1章ー7話 「小さな悩みと突然の来訪者」
丘の上の一軒家、その家の朝は早い。
日が昇ると同じ時間帯に二人は起床。二人とも朝には強く、お互いに自分の部屋で目を覚まし大体同じ時間帯にキッチンへ集合して朝ごはんを食べる。その後庭へ出て昼まで剣の稽古、その後昼食。午後はアイリスの基礎体力を鍛えたり、腕力を鍛えたりし、最後にまた剣術の稽古。そして夕食を食べた後はお互いに思い思いのことに時間を使い、またお互いに自分の部屋で就寝する。
ちなみに朝食、昼食、夕食は1日交替の当番制で受け持っている。
―――そんな生活を送り始め、一か月の月日が経過しようとしていた。
「おっさん、朝飯できたよー」
そんな声がソファーに座るグリシラの耳に届く。
今日の料理当番はアイリス、孤児院で時々食堂の手伝いをしていたため料理はそこそこの覚えがあってか、いつも楽しそうに料理をしている。
「うーい」とグリシラが立ち上がり、椅子に座る。「へい、おまち」と元気よく料理の乗った皿をテーブルの上にテキパキと置いていき、アイリスもグリシラの対面の椅子に座る。
「今日のオムレツは自信作なんだ。食ってみ、食ってみ」
そう言ってオムレツの乗った皿を指差すアイリス。この一か月一緒に暮らし、同じ生活習慣を送るうちグリシラへの態度はかなり軟化し、親しみ深くなっている。
「む、たしかにうまいな」
グリシラの感想を聞き、アイリスは「へへへー」と笑うと自分も食べ始める。
しかしグリシラにはここ数日あることが気にかかっていた。それは一見くだらないように思えるが、グリシラにとっては深刻な悩みだ。
そうこうしているうちにアイリスが朝食を食べ終え、食器を素早く片づけて木剣を手に取って、
「んじゃ、今日もよろしく! あたし先に外行ってっから、おっさんもすぐ来なよ」
そう行って庭へ駆け出していく。その様子を見てグリシラは「元気だな~」とフォーク片手に笑う。そして、
「熱心なことは俺もすごくうれしいんだけどな~。……俺の呼び方ってこのままずっとおっさんのままなんかな?」
そんな悩みを誰もいない空間にグリシラ・リーヴァイン(32)は呟いたのだった。
*****―――
「おい、アイリス。釣りしようぜ!」
午前中の稽古が終わり、昼食を食べ終えたあと。食後の一休みを庭のベンチでしていたアイリスに陽気な声が後ろからかかる。アイリスが振り向くとそこには釣り竿を2つ担ぎ、釣った魚を入れるであろう桶を担いでいた。
「は? いきなりどうしたの。午後の稽古は?」
「たった今中止に決まった。思えばこんな近くに湖という素晴らしい釣り場があるのに1回も行ってなかったしな。おまえもここ1か月稽古のやりっぱなしで疲れただろ?」
「いや、全然まったく」
アイリスの即答にグリシラが苦笑する。
「可愛げがねぇな、おい。……まあ何はともあれ骨休めも重要、今日の午後は釣り大会に決定だ。親子の絆を深めよーぜ、さあついてこい!」
そう言ってグリシラはそそくさと歩いて行ってしまう。
その様子を見て、ハーッと諦めたような溜め息を1つ吐いてアイリスもその後ろに続く、しかし心なしかその口元は笑っている様だった。
湖のほとりまで移動したグリシラは釣り竿と桶を地面におろして、後ろを振り返る。
「アイリス、釣りしたことあるか?」
「ううん、ないよ」
「おー、そっか。ちょっと待ってろよ、っとほらよ」
アイリスの返答を聞くと、グリシラは持ってきた竿の一つに手際よく餌を付けてアイリスに渡す。木の棒に糸と針その先に餌が付いた単純な造りの釣り竿であるが、これもアイリスにとっては新鮮だった様で興味深そうにまじまじと見つめている。
「それを思いっきり湖へ投げて、ひたすら待つ。そして引いたら思いっきり引っ張ればいい。単純だろ」
「……恐ろしく簡単な説明だね」
「ハハッ、いーじゃねーか! 単純なのが一番だ」
グリシラがヒョイっと餌を付け終えた竿を湖へ向かって投げる。少し遅れて針が水面に落ちる音が聞こえる。アイリスもそれに倣い釣り竿を投げた。
「うっし、後はひたすら待つ。これが鉄則だ」
「わかった。……じゃあさ、この暇な時間におっさんの昔のことについて教えてよ」
「ん? 俺のこと。まあ別にいいけどそんなに面白くはねーぞ」
アイリスの突然の提案にグリシラは疑問を浮かべるが、アイリスは「それでもいい」と頷き、興味深々そうな目線を向ける。
その様子に「ホントに面白くねーぞ」ともう一度断りを入れてからグリシラは話し出した。
「前に屋上で話した通り、俺は十歳の時に孤児院を出た。傭兵団に入ろうと思ってな。でもホントにどこにも相手にされなかった。行く先々で子どもに構ってる暇はねーよってな。それでも半年近く色々なとこ歩き回ってようやくガキだろーが容赦なしで戦場へ出すって条件で入れてもらえる傭兵団が見つかった。――っと」
そこでグリシラの釣り竿が揺れ、釣り竿を引っ張る。針には中々のサイズの魚が食い付いており、それを水の入った桶に入れて、
「それが俺にとって結構な幸運だった。団員が癖はあるがいいやつばかりでな、そこで釣りも教えてもらった。そして二度目の転機が十三の頃、戦場の戦利品で俺は魔剣を手に入れた。そっから魔剣士になったって感じだな」
そこで再び釣り竿が揺れ同じくらいの魚を釣り上げる。ここでグリシラは横のアイリスを見ると、聞いていて思いのほか楽しいのかその顔からは早く続きを話してほしいというような感情が読み取れた。
「でまあ、結構そこでお世話になって俺の名前も辺りに広まりだしたんだ。んで、三度目の転機が、あれは今から大体十年前ぐらいかね。いきなり王都に呼び出されたんだ」
「なんかやらかしたの?」
「やらかしてません! そこで王国五勇星に選ばれたってことを伝えられたんだ。っとそういやアイリス、王国五勇星って知ってる?」
その問いにアイリスは少し嬉しそうに答える。
「うん、この前に本で読んだ。もとは五百年前に王国建国に携わった五人のことだったんだけど、その風習が残って初代の五人以降は王国最強の五人がその呼び方で呼ばれてるんだよな。ちなみに全員戦い方からそれぞれの肩書きがついて、初代は『聖女』『聖剣星』『純剣星』『魔法星』『武拳星』の五人だよね」
「まあ、そんな感じだな。つーか詳しいなおまえ」
グリシラの言葉に褒められてうれしいのかアイリスが自慢げに笑う。
しかし、ふとアイリスの頭に疑問が浮かぶ。
「あ、そういえば本に載ってなかったんだけど今の五勇星はどうなってるの?」
「ん、たしか今代は『聖女』『聖剣星』『魔法星』『天弓星』と『魔剣星』の俺で五人だな。ちなみに雑学だが五百年の歴史の中で五勇星にずっと名前があるのは『聖女』だけだ」
「へぇー、なんで?」
「聖女だけが代替わり制だからだな。っと話がそれちまったか。といってもその後は大したことはないな。俺の名前がさらに有名になったのと、最初の傭兵団が解散して、その後の俺はフリーの傭兵として色んな所を回って今に至るって感じだな」
「なるほど。話聞かせてくれてありがとう、中々激動の日々を送ってたんだね」
グリシラが話し終えると隣のアイリスは興奮したようにそう言って何かを考えるような真剣な目をする。そして何かを決意し、
「ねぇ、あのさ……」
「おい、竿引いてっぞアイリス」
「あたし、……ってええ!? ど、どうすりゃいいのこれ!?」
「どうするっておまえ、思いっきり引け」
「え、ちょ、うわ! これけっこう重い」
意外と慣れていないことに弱いのかアイリスが慌てる。その様子を見て「なにやってんだ」と一緒にアイリスの釣り竿を支える。
「お、たしかにそこそこ重いな。いっせーので引くぞアイリス。ほれいっせーの!」
掛け声と共に二人で竿を引く。一気に力を籠めすぎて二人して後ろに倒れるが獲物はしっかりと陸に打ちあげられた。
釣り針には今日一番となる大きさの魚が食い付いており、グリシラとアイリスの二人は湖のほとりで二人ハイタッチをしたのだった。
*****―――
その後も釣りを続け、時刻は5時。すでに夕日が傾きだし、肌寒くなってきている。
そんな中、家までの道を二人は歩いていた。
行きと違う点は桶の中に大量の魚がいる点とアイリスがグリシラの前を歩いている点だ。
「……あたしさ、捨てられる前も母親はいたけど父親はいなかったんだ」
前を歩くアイリスが振り返らず話す。そして後ろのグリシラは黙ってそれを聞いている。
「だからさ、こうやって父親と遊んだりとか、結構憧れがあったりもしたわけでさ。えーと、あのさ、ありがとね…親父」
一瞬、時が止まり恥ずかしそうにアイリスがグリシラへ振り向く。グリシラはその言葉に驚き、そしてうれしそうに、
「アイリス、おまえ……女の子が親父って呼び方どうなのよ?」
「――とうりゃ!!」
「うおっ!?」
アイリスの蹴りがグリシラの腹の真ん中辺りへ打ち込まれ、グリシラが間一髪でそれを避ける。
「あ、あぶねーだろ!? せっかく釣った魚がこぼれちまうだろうが。反抗期か!」
「反抗期以前の問題だっつーの。空気読めバカ親父!」
お互いにそんなふうに言い合うもその様子は楽しげであり、二人とも顔はホントに怒っているわけではないのがわかる。
そして、これがこれからの五年間で何度も起こる微笑ましい小さな親子喧嘩の一回目。
こうしてグリシラ・リーヴァインの小さな悩みが解決したのだった。
帰り道そんなことがありつつも二人はならんで家の前に着いた。
今日の料理当番はアイリスであるため彼女が、
「さて、この魚どう料理しようかな」
そう口にしながら家のドアノブを回そうとした瞬間後ろから、その手をグリシラが静止しアイリスを抱きかかえ後ろへ三歩ほどさがる。
「ちょ、どうしたの」
「――家の中に誰かいる」
耳元のグリシラの言葉を聞き、アイリスがギョッとする。ここら一帯は1ヵ月前に滞在した村まで行かないと集落はない。そのためあの時の盗賊のようなものの可能性が高い。
「俺がドアを開けるから後ろについてろ」
グリシラの言葉にアイリスがうんうんと頷く。
それを確認しグリシラはドアの前まで行き勢いよく開け放った。
アイリスがグリシラの後ろから部屋を覗き込むが、これといって変わっている場所はない。しかし、玄関から進むと変化はすぐ感じ取れた。音が聞こえてくる。
その音の発生源はリビング。そして耳を澄ませばその音が何なのかアイリスは気づいた。
「寝息?」
そんな言葉が口から洩れる。グリシラも気づいたらしく二人でリビングまで移動する。
リビングのソファーで一人の少女が横になり規則正しい寝息をたてていた。
身長はアイリスと同じくらいで、年齢はアイリスより少し上、14歳くらいだろう。透き通るような水色の髪をしており、魔法使いのような黒のフードつきのローブを着ていた。
「――アイリス、おまえたしか誕生日そろそろだったよな?」
「え? ああ、たしかにそう考えればあたし今日誕生日だ」
グリシラの突然の疑問に虚を突かれるが、そういえばと思いだしそう答える。その答えにグリシラは嬉しそうに笑って、
「ナイスタイミングだ! アイリス、こいつ俺からの誕生日プレゼントだ」
「え!? ……あたし姉妹ほしいとか言った憶えないんだけど」
グリシラの思わぬ発言にアイリスがドン引きする。
「そんな目で父を見るんじゃありません! 誤解だ、誤解。 こいつはおまえの師匠だ」
「え、師匠!?」
「まあ師匠っつっても――」
「うるさいな~。眠れないじゃないか~」
そこで、寝ていた少女が目を覚ましマイペースに起き上がった。眠っていたときは分かりづらかったが大きな目をしており、顔立ちもくっきりしている。
そんな眠たそうに眼をこすっている少女の肩をグリシラが揺さぶる。
「うっす。久しぶりだな、セシュリア。よく来てくれた」
「眠いっつってるだろ~、離せハゲ~」
「ハゲてはねーだろが!」
そんな知り合いらしい二人の会話に呆気にとられていたアイリスを意識が覚醒したセシュリアと呼ばれた少女の瞳が捉える。
「この子が手紙に書いてあった子か~?」
「おう、そうだ。名前はアイリス」
「えっと、初めまして。アイリス・リーヴァインです」
グリシラに紹介され未だに状況が全く掴みきれないアイリスであったが、一応敬語で名を名乗る。そして、グリシラは再びセシュリアに目を向ける。
「というわけでおまえも自分で名乗って。わかりやすいよう肩書もつけてな」
「はぁ、メンドクサイけど仕方ないな~。僕はサリスタン王国五勇星――『魔法星』セシュリア・コナーだ~。君に魔法を教えにきました~」