2章ー幕間3 「退役軍人の愛娘」
王都の端のとある一軒家。
普通の家よりも一回り大きく、子どもが走り回れるほどの大きな庭を有したその家の前に一人の男が立っていた。
頭をスキンヘッドにした恐ろしく厳つい相貌の男。
その体は鍛え上げられており、そのおかげか既にそこそこの年齢のように見えるが衰えをあまり感じさせない風貌だ。
普通ならそんな男がじっと一軒の家の前に立っていれば通報されかねないが、男はここら一帯では有名人である。道行く人々がその男に声をかけ、男も笑顔で挨拶を返す。
ふーっと深呼吸を一つ。
そして、自身の自身の身だしなみや体から汗臭さがしないかなどを入念にチェックすると男――フリック・ダヌリフは自宅のドアに手をかけ、
「おーい、今帰ったぞ」
と家の中に聞こえるように帰宅を伝える。
しばしの沈黙。
その後に二つの足跡が家の中を進む音がフリックの耳に届き、彼の双眸をだらしなく緩める。
走っているわけではない。早く進みたいと心では分かりながらも、お淑やかに早歩きで近づいてくる足音。
その足跡の主たちが目の前まで迫り、
「「おかえりなさーい、お父様!」」
艶やかな長い黒髪に黒い瞳を携えた幼い二人の少女が満面の笑顔でフリックの元へ飛び込んできた。
その状況を予想していたかのようにフリックは両手を広げると、右手と左手で二人の少女を受け止める。
そして恐ろしく緩んだ顔で、
「よーしよし、良い子にしてたか。テリーヌ、シーファ」
と頭を撫でながら、靴を脱いで家に上がる。
「してましたー!」
「私もー!」
と二人から元気のいい返事が聞こえてきた。
その可愛らしい声ににやけ顔がさらに緩み、これはこれで相当恐い表情になっている。
「そうか、そうか~」と二人の愛娘の頭を見た目とは全く異なるとても優しい手で撫でながら、フリックは廊下を歩いていく。
そして、リビングまで行くと、
「おかえりなさい、あなた」
と自分より一回り程も若い妻が料理をしながらお淑やかに笑いかけてくる。
――ああ、俺はなんて幸せなんだろう。
美しい妻、可愛い三人の娘。
自分の恵まれた境遇を顧みながら内心で感嘆の声を漏らす。
「ああ、ただいま」
妻に向かい、笑顔で帰宅を告げる声を返す。
すると両手の袖が引っ張られていることに気付いた。見ると、テリーヌとシーファがその小さな手で袖を掴んでいる。
「ねー、お父様、遊ぼ~」
「遊ぼう、遊ぼう」
「こーら、お父さんはお仕事から帰ってきて疲れてるんだから。休ませてあげなさい」
「ん、かまわんよ。一人でゆっくりするよりこの子たちと遊んでた方が疲れがとれる」
自分を心配してくれる妻の言葉に感謝しつつも断りを入れて、フリックは屈んで二人の愛娘と目線を合わせる。
「テリーヌ、シーファ。お父さんはちょっとだけお姉ちゃんと話があるから、遊ぶのはそれが終わってからでいいか?」
「うん、もちろん!」
「待ってる!」
二人の素直な返事を聞き、「ふたりともいい子だな~」とその頭を撫でる。
そして妻へと視線を写し、
「で、フェリアはどこにいるんだ?」
「いつもの修練場だと思いますよ。午前中は二人の面倒を見てくれてたんで、今はまだ鍛錬の最中だと思います」
「そうか、じゃあちょっくら行ってくる」
そう言い残し、笑顔で見送る三人を残してフリックはリビングを後にした。
フリックは去年既にサリスタン王国軍を退役しており、今は教官としての指導職に就いて王国の未来を担う兵士たちの教育に励んでいる。
しかし、それは裏を返せば去年までは現役の軍人であったということを示す。
指揮官という立場上、若い頃のように最前線で剣を振ることこそなかったが、常に部下に甘くみられないように日々の鍛練を怠ったことは無かった。
そしてその鍛錬の場こそが、今向かっている家の裏手にある修練場だ。
退役を機にフリックは修練の機会を減らした。
そのため、修練場を毎日利用するのは今はただ一人になっている。
木製の扉の前に立って、ノックを二つ。コンコン、という音を木が響かせる。
「んー?」と中から少女の声が聞こえてきた。
「お父さんだ。入っても大丈夫か?」
「おー、おかえり。ごめん、気づかなかったよ。うん、別に大丈夫だよ」
下の娘二人とは、少し毛色の違う口調の声が耳に届く。まるで活発な冒険者の少女のような話し方だ。
許可が取れたため、扉に手をかける。
そして、開いた先、フリックの目に飛び込んできたのは地面に片手で逆立ちし、右手一本で全体重を支える少女の姿だった。
その姿を見て、フリックがやれやれと首を振る。
年齢は下の娘二人とは少し離れた十五歳。
テリーヌとシーファと同じく黒い髪に黒い瞳の少女だ。
しかし、二人とは異なりその長さは邪魔にならない首までで切り揃えられ、少しおかっぱのような髪型をしている。
その眼光は鋭く、体は女性らしさをしっかりと保ちながらも鍛えられ引き締まっている。
父としての贔屓目なしに見ても、その容姿は整っていると思う。まあこれはテリーヌとシーファにも言えることだが――
フリックとしてはもう少し女の子らしく育ってほしかったのだが、昔からこの長女――フェリアは鍛錬が好きで今もなお、ある人物に憧れて日々自身を鍛えている。
そんなことをフリックが考えていると少女は「ほっ!」と右手に力を入れて、その体を宙へと投げ出す。そして、空中で一回転。そのまま危なげなく修練場の床へと着地した。
その身軽さに自分の娘ながら舌を巻く。
「んー。父さん、また鈍ってるんじゃないの?」
「仕方ないだろ、俺も年だ。それにすでに教官の身だしな」
「まあ、そりゃそっか」
そう言って前もって準備していたであろう床に置かれたタオルで汗をぬぐうフェリア。
「でだ。話は変わるが、確か今週中には出発だろう。準備は出来てるのか?」
「あー、まあ一応できてるんだけどさ…」
歯切れの悪い答え。
その時点でフリックは何を言われるかは察していた。
――それはつい先日出たニュースだったから。
「ねぇ、父さん――」
「ダメだ」
「ちょっ!? まだ何も言ってないけど!」
意見を述べる前に即座に否定されたことに驚愕するフェリアだったが、フリックは真面目な顔で目を合わせる。
「――俺と約束しただろ」
「…わかってるよ、約束を破るつもりは無い」
フェリアがしぶしぶと言ったふうに頷く。
しかし、やはり諦めきれないようで、
「ねぇ、父さん。私からは約束を破るつもりは無い。でも、父さんが可愛い娘の願いを聞く形ならどうよ?」
「悪いが愛娘の頼みでもそれは聞けんな。さあ話は終わり、飯だ」
そう言ってあっさりと踵を返すフリック。
フェリアはハァーっとため息を吐くが、やがて諦めた様にその後に続き、修練場から出る。
「でもさ、実際いまさら三年間も学園になんか通って意味あるの? どうせ貴族の坊ちゃん嬢ちゃんしかいないんでしょ」
「いや、お前と同じ特待生は何人かいるぞ。まあ、中央で聞いた話だと今年は一人を除いて無名らしいが…だがその分、内部からの貴族組に優秀なのが多いらしい」
「へぇー」
心底興味のなさそうなフェリアの相槌。
きっと大して期待もしていないのだろう。
その右手は自然と自分の腰の横、そこに差されている白い刀に触れる。鞘から鍔に至るまで真っ白の刀。
どんな時でも肌身離さずに身に着けているフェリアの愛刀だ。
「私よりも強い奴いるかな?」
「親としての贔屓目を抜きにして言うけど、――たぶんいないだろうな」
「あーっ、やっぱり心が揺れる! なんでこのタイミングなのー!!」
「ハハ、まあ機会はそのうち巡ってくるさ。お前がこのまま強くなれば、きっとあの人と会う日も来るだろ」
後ろで頭を抱えるフェリアへフリックが笑いかける。
ふと、頭の中でとある男を思い浮かべる。
ずっとフェリアが憧れていた人物。
五年前、あの男と現場で話した最後の軍人であることはフリックにとって最高の自慢であった。そして、自分の言葉が何かしらの影響をその英雄へ与えたことも。
その男が先日傭兵として戦場に復帰したニュースが報じられ、王国でそこそこの話題を集めている。
どうやら、今もその獅子奮迅の活躍は衰えていないらしい。
フッ、と笑みをこぼしてフリックは呟く。
「やりたいことは無事為せましたかな、グリシラ殿」
その言葉は風に乗って、流れていった。
そして付け足すように、
「フフッ、もしかしたら私の娘は、あなたを超えるやもしれませんよ」




