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2章ー34話 「幻想域の魔法使い」


「くっ…」


 魔物の迫る選択にアイリスが苦渋の声を漏らす。

 

 事実この方法は効果的だった。この狡猾な魔物――クリストロは本能で理解していたこの目の前の二人組に正攻法では勝つことはできないと。

 クリストロがリジェネからの指令は全てを殺せ。それを最優先にした場合はこの方法が最適。自分の嗜好もあったが、強者と敵対した時のためにも弱い侵入者は半殺しのままにしておいたのだ。


 しかし、同様にクリストロの中には不安もあった。いや、どちらかと言えば不安の方が強かった。なぜならこの作戦はある前提条件が合わさらなければ機能しない。

 それは人質の価値だ。もし、強者側が人質の命を度外視して犠牲を周知の上で挑んできた場合、作戦は一瞬で破綻する。

 

 クリストロも自分の力量には自信があった。事実、先程自分に挑んできた討伐隊の集団――二小隊を無傷で撃退済みだ。しかし、それでも今目の前にいる二人――シルクールとアイリスを相手取って勝利を収めることは不可能だと本能で悟っていた。それだけの力量差がある。

 

「私の事はいい! こいつをやって!!」


 その時、クリストロの手中の魔法使いの女性が叫ぶ。

 勇気を絞り出したような賢明な声だった、クリストロが再び爪を女性の喉元に押し付け血が滲むが、そのままクリストロをキッと睨みつける。

 不測の事態に内心クリストロは焦っていた。この言葉、たった一言で眼前の二人の覚悟を後押ししてしまうのではないかと。十分それに値する言葉だったと。

 しかし、


「いや~、参りましたね。ちょっと死なせたくなくなっちゃいました」


 頭をかき、苦笑をしながらシルクールはそう言い放った。

 女性が唖然とする。

 そして、クリストロがニヤリと笑った。


「そうかそうか、優しいねぇ」


「しかし、自害ってやったことないからどうやればいいのかわからないんですよね。よろしければあなたがやってくれません?」


「ちょ、ちょっと!?」


 シルクールの突然の提案にアイリスが声を上げる。

 クリストロの言いなりになるつもりのシルクールに対して、驚愕と困惑そして怒りが合わさったような声だった。

 しかし、それを聞いてシルクールはアイリスを真剣な眼差しで見据えた。


「じゃあ、どうするんだい? 君は彼女を見捨てるというのかい」


「いや、それは…」


 正面からの問いに言葉が濁る。

 見捨てようと思っているわけじゃなかった。しかし、隙を窺いながらもう少し交渉を進めるべきだ。簡単に言いなりになるなど馬鹿げている。

 アイリスが心中で叫ぶが、シルクールには届かない。


「彼女を頼んだよ」


 シルクールが笑顔でアイリスに呟く。


「…いいだろう。その代わり、その何か隠してそうなでかいローブを脱いで両手をあげろ」


 クリストロの徹底した指示にシルクールはすんなり従う。

 アイリスは黙って見ているしかなかった。


「じゃあ、僕からも一つお願いをしていいかな。僕の命だけで勘弁してくれない。この子はまだ子どもだし見逃してよ」


「なっ!?」


 アイリスの再びの驚愕。そんな条件をクリストロが飲むわけがない。

 しかし、クリストロはポカンとした顔でシルクールを眺め、視線をアイリスに移して笑みを浮かべる。


「ああ、約束しよう」


「そっか」


 だれがどう聞いても嘘だとわかる薄っぺらい言葉。

 それにシルクールは笑顔で頷いた。

 そして、そのままクリストロは女性に押し付けた右腕とは逆の空いている左腕をシルクールに向けた。

 右手をアイリスに無言の警告でも送るかのように女性の首にひときわ強く押し付ける。


「人間を確実に殺すには首をはねるのが一番だ。――『リファル』」


 クリストロの手から風の刃が飛翔する。

 そして、それはいとも簡単に一人の男の首を飛ばした。


「まずは一匹」


「いやあああああああああぁぁぁ!!」


 クリストロに捕えられている女性が悲鳴を上げる。

 人質にされたことの負い目からだろう、クリストロの拘束の中で暴れてさらに首筋に血が滲む。

 しかし、拘束から逃れることは出来ずグッタリと頭を落とす。

 その反動でかぶっていたローブが外れる。よく見たら作戦会議の際に受付をしていた女性だった。


「さあ、次はおまえだよ。お嬢ちゃん」


 右手の腕でガッチリ女性を固定しながら、何のためらいもなくそう言い放つ。


「シルクールさんとの約束はどうしたんだ」


 アイリスの声には明確な怒気が滲んでいた。

 その言葉にクリストロが本当に何を言っているのかわからないといった顔をして、


「は、ははは、ははははは! あんな口約束守る訳ねーだろ、馬鹿が!!」


 哄笑を響かせる。

 女性が悔しそうに唇をかむのがアイリスからも見て取れた。

 しかし、それとは別にもう一点。シルクールを消して油断したのか首に押し付けられた爪が微かに緩む。

 アイリスはこの隙を見逃さなかった。

 距離は、二歩あればいける。無強化の木剣で一発入れてまずは女の人を開放。そして追撃で確実に斬る。

 頭の中で一瞬で思考をまとめ、行けると判断するアイリス。


 しかし、


「はい、油断した~」


 そんな軽い声と同時に、クリストロの側頭部に指が一本添えられる。


「な――」


「『ラクリーナ』」


 反応する隙を与える間もなく、指から光が溢れクリストロを弾き飛ばす。

 拘束から解き放たれた女性が重力に従い、地面に落ちるが、


「アイリスちゃん」


「え!? ちょ、ちょっと!?」


 いきなりの自分を呼ぶ声にビクッとするが、男の視線から何が言いたいのか一瞬で察し、飛び出したアイリスが地面に着く寸前に受け止める。


「うん、ナイスキャッチ」


「自分で受け止めろよ! ……っていうかなんで生きてんの!?」


 女性を受け止めたアイリスが見上げた先にいたのは、先程首を飛ばされたはずのシルクールだった。

 怪我一つなくいつもの爽やかな笑顔で微笑んでいる。


「ん? あんなので僕が死ぬはずないでしょ。受け止めなかったのはごめん、さっき僕は幻想域にいたから物理的接触が出来なかったんだよね」


「…いや、何言ってるかわからないんだけど??」


「フフッ、まあそれはそうだよね。その子をちょっとお願いね、僕は後始末をするから。あなたも、もう大丈夫ですよ」


 そう言ってアイリスにニッコリ笑い、女性へと安心させるように言葉をかけるとシルクールはクリストロの方へと歩き出した。

 腕で支えている女性が顔を赤くしているが、まあ仕方ないかとアイリスは見ないふりをしておく。


「な、何で生きてやがる? 確かに首をおとしたはずだ!」


 地面に倒れたクリストロが近づいてくるシルクールへと心底驚愕したような声を投げる。

 しかし、当のシルクールはキョトンとした顔で、


「えっと、それ本気で言ってます? あなたみたいなゴミを一匹片づけるために何で僕が死ななくちゃならないんですか? そもそもあんな馬鹿みたいな交渉に乗る訳ないでしょ? あなたごときに僕が命を賭ける価値があるとでも思ってたんですか、頭大丈夫ですか?」


「てめぇ――」


「『バリム』」


「ぐああああああああっ!?」


 シルクールの手から放たれた鋭い岩がクリストロの四肢に突き刺さる。

 完全に動きを封じるための確実な手段。

 痛みに絶叫するクリストロ。しかし、それを行うシルクールの目には全く感情が浮かんでいなかった。まるでつまらない単純な作業を行うような顔。


「くっ…、ふぅー…。な、なんなんだ、てめぇは?」


「ん? そう言えば名乗っていませんでしたね。まあ冥土の土産にでもしてください」


 痛みに苦痛を漏らすクリストロの問いに、一瞬嬉しそうな色がシルクールの顔に差す。

 そして、一つ息を吐くと、


「セシュリア・コナーが六番弟子。”幻想”シルクール・スノーデンハイムです」


 そう名乗ると、シルクールは何かを思い出したかのように先程脱ぎ捨てた自分のローブの場所まで移動しそこから小さな巻物を取り出す。

 アイリスにはそれに見覚えがあった。自分も持っている転移魔法術式の書かれた巻物だった。


「おい、そりゃなんだ!?」


 しかし、そんなことを知らないクリストロは恐怖の滲んだ声を漏らす。


「いやー、僕の師匠からこの…『死の森』ってあの人形は言ってましたっけ? まあ何でもいいけど――その森の中のサンプルを取ってきて欲しいって連絡がありましてね。本当なら適当な魔物とか植物を取って帰ろうかと思ってたんですが――あなたを生け捕りにできてよかったです」


 その言葉にクリストロの顔が引きつる。


「ま、待て! 頼む、慈悲をかけてくれ!! さっき冥土の土産って言ったじゃねーかよ!!俺は――」


「フフッ、あれは嘘です。あなたのお願いとか聞く筋合いはないんで」


 そうにべも無く言い放つと、シルクールは術式を起動。

 一瞬でクリストロは巻物の中に吸い込まれていった。


 ふっーと息を吐くシルクール。

 そして、踵を返すと何事もなかったように笑顔でアイリスたちの方へ移動する。


「さて、アイリスちゃん。あれの言うとおり、まだ大半の人が息がある。一か所に集めて、応急処置だけでもしちゃおっか」


「――うん、そうだね」


「じゃあ、アイリスちゃんはこっち側。僕はあっち側の人たちを運ぶね」


「りょーかい。……あのさ」


 アイリスの言葉に動き出そうとしていたシルクールが振り返る。

 そして、


「会った時から少し思ってたけど、あなた結構おっかないですね」


「そうかな。大切な仲間が傷つけられたんだから普通だよ」


「……まあ、そりゃそっか」


 アイリスの納得したような答えに、シルクールはいつも通り爽やかにニッコリ笑って見せた。 

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