2章ー30話 「疾風迅雷」
「なんだ、きさまは…?」
声音が変わる。
自身の攻撃がかわされたことで、魔物の声に先程までとは違い余裕の色が薄れた。
そして、その緑の瞳は突然の乱入者へと注がれる。
腰に双剣を差し、少し黒みがかった黄色の髪に鋭い瞳を携えた少年。
シャーリーを抱えた少年は、魔物を恐れることなくその顔を好戦的な笑顔に染める。
が、その瞳を何かに気づいたように今度は抱きかかえた少女へと移し、
「ふむ、やっぱり足手まといがいるしなー。どうしたもんか?」
「なっ!?」
自分を見て、肩を竦める少年にシャーリーが声にならないような声を上げる。
つい先程まで胸中にあったはずの助けてもらった感謝の気持ちや自分を抱えたままどうするのかという心配の気持ちはどこかへ吹き飛んでしまう。
「あ、あなたって人は! どれほどデリカシーがないんですか! 私だって足手まといなのはわかってます、けどそれを普通直接言いますか!?」
「俺様は思ったことはそのまま言うタイプだ。だが、自分が弱いことを自覚できてることはいいことだぞ、こむす――」
いつもの様に偉そうに話す少年――山猿の言葉は最後まで続かなかった。
再び魔物の爪が振り降ろされたためだ。地面が砕け、草木が折れる。
先程の一撃とは明らかに異なる威力、速度の攻撃。そこから魔物の本気度が伝わってきた。
しかし、またもそこに生物を貫いた感触は無い。
「――やはり…はやいな、こぞう」
その言葉には真剣さが垣間見えた。
先程の獲物に向けた声が敵に向けた声へと昇華されている。
魔物が目を向けた先、先程二人のいた場所よりも少し魔物から離れた場所に何か見えない力を体中に纏った山猿が立っている。もちろんシャーリーを抱えて。
「俺様がしゃべってる最中に攻撃とは、ずいぶんな真似だな。本来なら、ぶった斬るところだが…さすがにこの小娘を無傷のままでお前を倒すのは骨が折れそうだ。だから、――森の神よ、我に力を与えたまえ」
呟くような、また祈るようなそんな言葉が山猿の口から放たれる。
その変化は魔物にも、同時にシャーリーにも感じ取れた。
山猿が声を発した途端に、視認は出来ないが何故か何らかの力が吸い寄せられるように集まっている。内部から発する魔法とは違う、外部から何らかの干渉を受けている。
「にげるのか」
魔物の口から洩れる短い言葉。あるいは挑発。
瞬間的にシャーリーはまずいと思った。これまでの経験から軽い挑発だがこの少年は食い付いてしまうだろうと。
しかし、シャーリーは見誤っていた目の前の少年を――
「ハッ、悪いな、今回はその挑発には乗ってやれねー。思い通りになるのは気に食わねーし、それに――俺様は約束は守る男だからな」
次の瞬間、山猿の体に正体不明の力が巻き付く。
そして、
「しっかり掴まってろよ、小娘」
「え!?」
次の瞬間、魔物の眼前から二人の姿は消える。
一瞬の出来事。瞬間移動ではなく超高速移動であることを移動で起こった風が教えてくれる。
しかし、その場に残された魔物はその光景を見届けると焦る訳でも憤る訳でもなく、「ほう」と感心した様に声を漏らし、爪で頬をかいた。
それはまるで人間のようなしぐさだった。
「なかなかに、ほねのありそうなやつもいるようだ。…ただ、しっていよう、ここはわれのもりだ。かんたんに…にげおおせるとおもうな」
言葉を吐き、爪をくいっと振る。
そうこの森は、この強大な魔物の支配下。つまり、森全体の動きや大量に存在する魔物の指揮権は全て持っているのだ。
その動きに応じて、森がざわつきだした。
「ったく、どうしたもんか。とりあえず金髪と合流したいところだが…」
地面を蹴り、空気を切り裂きながら人間ではありえない速度で死の森を移動する山猿が何の気なしに呟く。
しかし、今のこの状況に苦痛の表情を歪める人物がいた。
「ぎゃあああああああああああああああっ!!!!!」
「うるせーぞ、小娘。ワクワクするのもわかるが自重しろ」
「これがワクワクしてるように見えますか!? 単純に怖いんですよ! なんていう速さで移動してるんですか!」
いったん止まり呆れたような声でやれやれと首を振る山猿。
その様子に怒りの線がプッチン切れたシャーリーが憤慨する。
実際にとてつもない移動速度で、なおかつ時々山猿は木を足場にしたりしながら移動していたため天地も逆転したりでシャーリーにとっては恐怖でしかなかった。
「普通おまえくらいの歳ならあれくらい笑って楽しむもんだろうが!」
「どこの世界の普通ですか!」
再び会ってから何回になるか分からない口げんかが始まりそうになるが、今はこの場に仲裁役のアイリスはいない。
それに今は喧嘩をしている場合ではない。
お互いにハァーっと息を吐き心を鎮める。
「…えっと、あのですね。あの、まぁーなんですか…。一応ですよ、一応です」
先に口を開いたのはシャーリーだった。しかし、何故かその言葉は尻すぼみで要領を得ない。
山猿が訝しげにその様子を見つめる。
そんな時、
ガサガサッと周囲の草木が揺れる。
そしてその音は次第に大きくなっている。
「あー、やっぱりこんくらいの距離じゃすぐ追手がかかっちまうな」
「え、追手?」
「さっきのやつがこの森もボスなんだろ。そして、あいつはおまえを狙ってた。ならそのおまえが逃げたんなら配下の魔物にお前を追わせたんだろ」
「ほら」とまるで他人事の様に眼前の木々を指差す山猿。
そして、次の瞬間、そこから魔物が飛び出してくる。
ある個体は赤い体表に鋭い爪をもった四足歩行の魔物。ある個体は黒い体表に背中に大きな羽を携えた魔物。またある個体は――。
その群れは統一の種ではなかった。
まるで近場にいる魔物を無作為に集めたような集団。
シャーリーの肌に寒気が走る。
しかし、今回は自分の怯える心を押し殺し目の前に立つ自分と大して年齢の変わらない少年へと目を向ける。
「…私のことは気にしないで大丈夫ですから、あなたは全力で戦って下さい。私だって多少の心得はありますんで」
その声は少し震えていた。でも、覚悟は決まっていた。
王都を出たときに発現し、アイリスと旅をするうちに磨かれた戦いに対する覚悟。
恐怖はぬぐえないが、気持ちで律した。
しかし、そんなシャーリーの顔を不思議そうに山猿は見ていた。
そして納得いったかのようにポンと手を打つとニカっと笑う。
「ああ、なるほどそういうことか」
「そういうことって?」
「いや、まあなんだ。おまえにも戦いに対する覚悟があったんだなって再認識しただけだ。――あと見当違いが一つ。さっき俺が言ったのは、あくまであれクラスが相手だっただけの場合で、」
そう言うと、シャーリーの前から一瞬でその姿が掻き消える。
目で影を追うのがやっとだった。
山猿は一体の魔物の背後に移動し、右手の刃でその首を切り裂く。
アイリスとは種類が違うが鮮やかな太刀筋。
その瞬間一斉に魔物たちが山猿に襲いかかる。四方八歩からの攻撃。
しかしその全てが空を切り、それと同時に山猿は死角に風の様に素早く移動し、雷のような鋭い一撃でその命を散らす。
圧巻だった。戦いでありながら見るものに感嘆の息を漏らさせるような完成された動き。
一撃で急所を穿つ刃。
地の利が魔物にあるにもかかわらず、一向にその攻勢は止まらない。
そして、見る見るうちに魔物の数は減っていき、
「ふぅー、これで終わりだ。まあ、雑魚相手ならお前の近くにさえ寄せ付けずに殲滅できるってわけだ。俺様は最強であり、天才だからな」
相変わらずの自信。
しかし、それがその実力に裏付けされたものだと初めてシャーリーは実感した。
「!」
そんな時シャーリーは気づいた。笑いながらこちらに近づいてくる山猿の背後、そこにまだ一体のまものが鳴りを潜め生き延びていた。
そして、その魔物は口を大きく開けると、牙を前面に押し出し背後から山猿の頭に齧り付こうとする。
山猿は気づいていない、そう判断したシャーリーは瞬時に手を前に出し、
「『ラクリーナ』!」
唯一シャーリーがコントロールできる初級光属性魔法を唱えた。
シャーリーの右手から光弾が生まれ、それは一直線に伸びて山猿に齧り付こうとしていた魔物の顔面に命中する。
ふぅーっと息を吐くシャーリー。
しかし、山猿の方は…
「うーん、気づくのがちょっと遅いな小娘。もっと感覚を鋭くせにゃこれから戦って勝てるようにはならねーぞ。いつ自分が襲われてもいいように周囲の警戒をおこたらないようにな」
「……は? えーっと、もしかして気づいてた?」
「ん、当然だろ。まあ戦い方ってのは習うより慣れろだ。一つ賢くなったんだからいいじゃねーか。それにおまえが少なからず戦えるのはわかったしな」
「な…」
あっけらかんと言い放つ山猿に言葉が出ないシャーリー。
しかし、奇しくもその理屈は師であるアイリスと同じものだった。
二人の周囲にはもう生きている魔物はいない。しかし、それは時間の問題だ。事前情報でこの森には予想よりはるかに大量の魔物がいることは分かっているためすぐに第二陣、三陣がくるだろう。
「じゃあ、移動するか。あの二人は器用そうだから、何らかの合流のための手はずは考えてるだろ」
「まあ、そうですね」
そう言って歩き出す山猿。シャーリーも同意して後に続く。
今度はさっきの移動方法は使わないようでシャーリーはほっと胸をなでおろす。
すると、山猿が不意にシャーリーの方へ振り向いて後ろ向きで歩き出す。
「そういや小娘、おまえさっきなんか言いかけたよな。あれなんて言おうとしたんだ?」
おそらくふと気になった程度の疑問。
それに対しシャーリーは、
「ああ、簡単なことですよ。――さっきは危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」
「……ハハッ、気にすんな」
つい数分前までなかなか言い出せなかった言葉があっさりと口からでた。
山猿は笑い、そして二人は死の森を進む。
少しだけ、しかし固い信頼関係が生まれつつあった。




