1章ー3話 「責任と決意」
「おーい、迷子になんなよアイリス」
「ち、ちょっと待てよおっさん。人多いんだからしょうがねーだろ」
屋上での出会いから1日過ぎた翌日の昼。
グリシラとアイリスの二人組は、孤児院のある町の隣町、その中心部に来ていた。
グリシラが前を進み、アイリスが人をすり抜けながらそのあとに着いていく。
もともと、孤児院自体は町のはずれのはずれといったあたりにあり、買い物も近場の商店で済ませていたため、アイリスにとって人ごみは慣れていないものだった。
「こんなくらいでへこたれてたら、いつか王都なんて行ったら大変だぞ。あそこはホントに人が多すぎて嫌んなるぜ」
「しょーがねーだろ、田舎者なんだから。院に来てからはあんまり外にも出てなかったし」
「あー、他の子ども達が庭で遊んでる中で一人で屋上で素振りしてるの見たときから薄々感じてたんだけどさ。……おまえさ友達いなかっただろ」
「うっせーよ、おっさん! あたしはちょっと口下手なだけだ! ……たぶん。つーかいきなり友達いないとかそういうナイーブなとこ突っ込んでんじゃねーよ!!」
怒ったアイリスが横に並び、グリシラの足にひじ打ちをするがひょいっと身をかわされ、ひじが空を切る。
グリシラは「甘いな」と笑いながらつぶやき、そんなアイリスの頭を軽くポンポンと叩くと話題を変えるため右手にある店を指差した。
「とりあえず飯でも食おうぜ」
二人が入ったのは定食屋フーリン亭。グリシラは過去に一度だけ訪れたことがあった。
簡素な外観で室内は落ち着いた雰囲気に満たされ、料理は地元で作られた肉や野菜が使われており中々においしかった記憶が残っていた。
店員に二人であることを告げ、テーブル席に着く。
「うっし、なんでも好きなもん注文していーぞ」
そういってグリシラがメニュー表を対面のアイリスに渡すがアイリスはチラッと一瞥すると、すぐにテーブルに置いてしまう。
「よくわからんし、外食なんて久々だからおっさんに任せるわ」
「あー、わかった。にーちゃん、日替わり定食二つね」
グリシラは近くを通った店員に向かって指を二つ立て注文をする。店員は「わかりました!」とハキハキとした声で答えると店の奥に消えていった。
「なー、おっさん。孤児院からこの町まで歩いてきたけど目的地まではまた歩くんか?」
コップの水を傾けながらアイリスは尋ねる。
「ん? どした、疲れたのか?」
「いや疲れてない! 全く、全然、完璧に疲れてないよ!」
そう強がりをみせるアイリスにグリシラの頬が自然に緩む。
まだ会ってから一日も経ってないが、グリシラはアイリスの性格を少しずつ理解し始めていた。
初めて会ったときは年齢の割にしっかり受け答えができ異様に大人びていた風に感じていたが、この少女は挑発に弱かったり、自分の興味あるものには心から興味を示したりと子どもらしい一面もある。まあ、実際に子どもだから当たり前なのだが。
「安心しろ、この町出てからは馬車だ。ずっと走って夜までには目的地だぜ」
「そ、そうか。まあ、あたしは歩きでも全然よかったけどさ」
いまだに強がりながらも、少し安心したかのようにアイリスは頷く。
朝早くに孤児院を出てこの町に着くまで歩きどうし。いくら日頃から少しずつ鍛えていたとはいえ、まだ10歳にも満たないアイリスにとっては少々きつかっただろう。
しかし、その間まったく弱音を吐かなかったことにグリシラは感心していた。
「まあ、今は昼飯を食おうぜ。うまそうだ」
そんな会話する二人のテーブルにおいしそうな香りと料理が運ばれてきて、半日歩き空腹だった二人はペロリと日替わり定食を平らげた。
グリシラが会計を済ませて店を出ると、ちょうどピークを越えたのか人ごみは減っており、先に出ていたアイリスが少し安心したような顔をしていた。
「んじゃ、とりあえず俺はもう用事はないんだが。アイリス、町出る前におまえどっか行きたい所とかある?」
そう尋ねた理由はアイリスの様子にある。町に着いた時からキョロキョロと何かを探すように周囲を見渡しながら歩いていた。「便所か?」と聞いたら足を蹴られたことからトイレを探しているわけでもない。
そして、そう投げかけられたアイリスは期待と嬉しさの入り交じった顔で答えた。
「あたし、本屋に行きたい!」
歩くこと数分、二人はとある書店の前にいた。
王都にある王立図書館や大きな書店に比べれば、規模ははるかに劣るが、それでもアイリスにとっては新鮮らしく目をキラキラさせている。
そんなアイリスの様子にグリシラは知らない新たな一面を発見したように感じる。
「俺は外にいるから、好きに見てきていいぞ。買いたい本決まったら呼びにこい」
グリシラがさらっと言ったそんな言葉にアイリスは目を丸くした。
「え!? 買ってくれんのか?」
「ん、本ぐらい買ってやるよ」
そう答える途中でグリシラは思い出した。本は一般的にもそこそこ高級品。誕生日に買ってもらったりするのが普通だと聞く。しかし、小さいころからグリシラは本など読み物の類が大の苦手だったため、あまり接してこなかった。
書店のあるような大きな町まで行くことは、これからほとんどないことを考慮してグリシラは笑顔でさらに言葉を付け足した。
「好きなだけ買っていいぞ!」
「マジで!? 愛してるぜおっさん!!」
「いや、現金すぎんだろ!」
「ハハッ、冗談だよ。じゃあ行ってくるね」
そう言って上機嫌でアイリスは店の中に消えていった。
「やれやれ」とその様子を見て笑みをこぼしたグリシラは店の横の壁に寄りかかり一息つく。そして空を見上げながら昨日の夜のことを思い出していた。
院長と交わした会話のことを。
*****―――
夜の孤児院の食堂。とうに夕食の時間は過ぎ、誰もいないはずのその場所に二人の人影があった。
グリシラはカウンターに寄りかかり、院長は椅子に座っている。
話の内容はもちろんグリシラがいきなりアイリスを引き取ると言い出したことについてだ。
初めは面喰った様子の院長だったが、一つ深呼吸すると「夜に食堂に来な」と告げたのだった。
「まさか、あんたがあの子を引き取るなんて言い出すとはね。驚いたよ」
「俺も自分がそんなこと言ったことに驚いたよ」
その受け答えに院長はフッと笑う。しかし、すぐさま真剣な顔になると、
「――結論から言おう。院長としてお前がアイリスを引き取ることを許可する」
「いや、でもな……ん? 今、許可するって言ったのかババア?」
「耳が遠くなるには早いだろ。そう言ったんだよ、アイリスはあんたが責任もって育てな」
そこまで言って院長は一呼吸置き、何かを思案するように上を見上げる。
「アイリスはおまえと違って、顔は整ってるし頭もキレるししっかり者だ。でも根っこの部分がどこかおまえに似ている」
「前半の俺への酷評いらなくね?」
グリシラのツッコミを無視し、院長は続ける。
「このままだと、おまえみたいに成人までに飛び出ていきかねん。ならよく知った子どもに預ける方がはるかに安心だ。たとえ、それが出て行った張本人でもな。だけどもう一度言うけど責任もって育てなよ、それが条件だ」
そう言って院長は真剣にグリシラの目を見て、そして最後にニヤリと笑った。
その言葉に少し胸が熱くなるのを感じた。そしてその信頼に応えねばならないと誓う。
「ああ、安心しろババア。俺がアイリスを15まで責任もって育てると誓うぜ」
そこまで会話を終え、茶でも入れようかとカウンターの中へ移動するグリシラの背中に声がかかった。
その言葉は、なぜだか重みがあるようにグリシラには感じられた。
「しっかりやりなよ、グリシラ。私は子どもたちを差別する気はない。でも、一目見た瞬間にこの子は特別な存在だ、大器だとわかるときがあるんだ、長いこと生きてるからね。あんたのときも、シオンのときも、デイジーのときもそうだった。そして、アイリスもそうだったよ」
*****―――
「――大器ねぇ」
院長の言うように自分が、そしてアイリスがそうなのかはわからない。ただ自分とアイリスが似ていると思ったのは事実だ。
まあ、いまは考えても仕方ないかと納得する。
「つーか、なんでシオン?」
ふとそんなこと疑問を口にしたとき、背中に声がかかる。
「おっさーん、会計頼む。わりぃ、あと半分持ってくれ」
両手で結構な量の本を抱えたアイリスがそこにいた。
その様子にグリシラは苦笑し、
「とりあえず、本好きなとこは俺とは似てねーな」
そう言って、会計を済ませたのだった。
図書館から再び数分歩いて、場所は馬車乗り場。
ここで、グリシラはアイリスが買った本を置くためや横になれるように荷台が少し大きめの馬車を指定した。そして、御者に金と目的地までの地図を渡して二人は荷台に乗り込こんだ。
「馬車に乗るの初めてか?」
「いや、捨てられる前に乗ったことはあるよ」
「……そうか」
その言葉にグリシラは触れてはいけないところに触れてしまったかと少しびくっとするが、アイリス自身はなんら気にした様子もない。
馬車が走り出し、荷台に揺れが響く。
「なんやかんやで、疲れただろうから寝ていいぞ。まあ、寝づらいだろうけど」
「うん、そうする」
やはり相当疲れていたのかあまり揺れは気にならないらしく、アイリスはは馬車の荷台にある布を枕代わりに横になる。
馬車の中はただ道を進む音だけが響いていた。
「おっさん、ありがとな」
ふいにそんな声がアイリスから聞こえてくる。
「ん、気にすんな。俺はあんま金使わねーし、おまえが喜んでくれたならよかったよ」
「いや、違うよ。あ、いや本買ってくれたのも、もちろん感謝だけど……あたしを連れ出してくれてありがとう。これからよろしく頼むよ」
グリシラがアイリスの突然の言葉に何も言えずにいると、規則正しい寝息が聞こえてきた。その寝顔は子どもそのものであった。
「――ああ任された。俺が責任もって、おまえを強く育ててやる」