6章ー1話 「地下で生まれた少女の思い」
物心がついたときから、光の一筋すら届かない暗い地下空間があたしの世界の全てだった。
親の顔も声も何も知らない。
気が付いたらここにいて、そしてボロ雑巾の様に粗暴な大人たちから雑用を押し付けられていた。
地上では子どもは誰もから庇護される存在だ。
しかし、地下ではその反対。誰もから虐げられる存在だった。
泣こうが喚こうが、暴力により黙らされる。そしてその繰り返しにより本能に刻まれる。自分たちが最下層の世界でも一番下の存在であることを。
そんな最悪の環境の中であたし――あたし達は生きてきた。
同じ境遇の同年代の子ども達数人と身を寄せ合うようにしながら。
だが、子どもの中でも女だけはある年齢を超えるとその扱いが雑用から変わる瞬間が存在する。
言うまでも無く、雑用よりも別の利用価値が生まれるからだ。そして多くの子どもがそれを受け入れる。いや、受け入れるしかなかった。
そして、あたしよりも少し年齢が上の姉の様に慕っていたある少女にもその時がやってきた。
彼女は諦めた様に笑って自らの境遇を受け入れようとしていた。あたし達を虐げていた大人たちもそれが当然の事の様に思っていた筈だ。
誤算があったとすれば――。
「………っ!? かっ…、はっ……!?」
「――なんだ、こんなに簡単に死ぬんだ。ならもっと早くやっときゃよかった」
あたしがずっとずーっと水面下で牙を研いでいたこと。
彼女が慰み者にされる前日。あたしは雑用でこき使われていた最中にくすねたナイフ一振りを手に宴会を開いていたあたしたちの雇い主の元を強襲し、その場にいた男三人の喉をそのまま切り裂いた。
そして蝋燭の火だけが照らす血だまりの中で、ナイフを片手に佇むあたしの元に一番に駆けつけてきたのはその姉のように慕っていた少女だった。
「なっ…なに、これ…!?」
血だまりと亡骸、そしてその中央に立つあたし。
狼狽えながらも彼女が状況を理解するのにそう時間はかからなかった。
「わっ、私のために…!?」
「違う」
擦れた声音で投げかけられた言葉に、間を置かず否定を返す。
「どっちみちいつかはやるつもりだった。それがたまたま今日だっただけだよ」
「こっ、これからどうするの?」
「…さあね。でも――大丈夫だよ、やる気になれば大抵のことはなんとかなることは今さっき分かった。あたしらだけでも何とか生きていけるよ」
そう言ってあたしはニヤリと笑った。
そしてあたしたちはその日の内に同じ境遇にいた他の近しい仲間数人とその場から逃げ出したのだった。
それからあたしたちは必死に生き抜く術を模索した。
徒党を組んでも所詮は子ども。だからこそより狡猾により強かにこの地下街にしがみ付くしかなかった。
そうしているうちにあたし達の存在はそこそこ地下街に浸透し始めた。だが、それはどちらかといえば悪い状況を生むことになった。
地下街の資源や財源は限られている。
被支配層が減って支配層が増えれば、当然誰かががその割を食うことになる。
だからこそ、新参者であり年端もいかない子どもの群れだったあたしたちを良く思わない者も少なくなかった。一人での行動は常に避けるしかなくなり、行動の多くが封じられた。
だが、そんな中でまるで降って湧いた様にそのツキはやってきた。
「――なるほど」
唐突にあたしたちの元へとそいつはやってきたのだ。
上質な生地で作られているであろうコートを身に纏い、フードを眼深に被ったままそいつはあたし達の顔を順々に見つめてそう呟いた。
背丈や声の感じからして、あたし達と同年代だという事はなんとなくわかった。
そいつは自身を王族だと名乗った。
そして言った。あたし達に力を貸してほしい、と。
胡散臭い話だ、と思った。
だが、身に纏う上質な衣類やどどこか只者ではない様な雰囲気。何よりこんな場所までやって来てあたしらみたいな地下街の薄汚れた子どもの集団にそんな嘘を吐く理由が無い。
それらが、不思議とその話を真実であるとあたしに思わせた。
「少し仲間と話し合う時間が欲しい」
そう短く伝えて、あたしは数人の仲間とその場から少し離れた。そして声が届かない位置まで移動し足を止める。
皆が皆、困惑した様な表情をしていた。
当然だ、不意に訪れたこんな想像もしない状況に困惑しない方がおかしい。そして、こういう時はあたしが口火を切るのが毎回の決まりだった。
「――あたしは乗ってもいい話だと思っている」
その言葉に、それぞれが思い思いの表情を浮かべる。
不安、恐怖、心配、微かな高揚、微かな喜び。マイナスな思いが多いが、その中には微かに今までの暮らしから抜け出せるかもしれないという期待の感情も入り交じっていた。
そんな仲間たちにあたしはニヤリと笑った。そして、
「とりあえずみんなはあいつのいう事に素直に従え。特別な指示があれば、あたしがその都度直接出す。――言ってる意味はわかるな」
「「「………!」」」
そう付け加えた。
そのあたしの言葉で、全員が何が言いたいかを理解した様に頷いた。
…………なにが、王族だ。
生まれたときから成功者。なに不自由なく、何の苦労も無く生きてきたんだろう。
そんなお前があたしたちに力を貸してほしい?
馬鹿も休み休み言え。
ま、何に力を貸してほしいかは知らねぇが最初は力を貸してやるよ。最初だけはな。
まずはこの地下から地上へ出してもらう。いい生活をさせてもらう。地上での地位を貰う。金を貰う。何もかも貰う。
そして絞り取れるだけ絞って、全部貰ったら後の事は知るか。さっさと見捨てておさらばさせてもらう。
甘ちゃん風情があたしらを利用しようなんて、そもそも無理な話なんだよ。
逆にこっちが甘い汁を啜るためにたーっぷりと利用させてもらうぜ、王族様。
「待たせたな。そしてあたし達みたいなもんでよければ、喜んで力を貸させてもらう。王族様の助けに慣れるなんて身に余る光栄だよ」
そしてニコリと笑ってそう答えると、あたし達はその日に地下を抜け出した。
懐に特大の刃を潜ませながら――――。
***―――――
「リーネット! 朝よ、起きなさいよ! リネット・アーリウス!!」
「………うるせー」
朝から女言葉の野太い男の声で無理やり起こされる。
目を開けて、上体を起こすと執事服のガタイのいい男が箒を片手にあたしの私室に立っていた。
「おい、レイン。嫁入り前のうら若きレディの眠る部屋に勝手に入るとか何を考えんだよ」
「あら、それを言うならば私も嫁入り前のうら若きレディよ♪」
「………あっそ」
まぁ、こんな問答をしていても時間の無駄なのはわかっているのでさっさとベットから立ち上がり、残った眠気を飛ばすために伸びをする。
それにこいつがわざわざ起こしに来るってことはもう中々いい時間なんだろうしな。
「始まるわね」
カーテンを開けながら、その男――レインが呟く。
何についていっているのかは当然解った。「ああ」、と短く頷きを返す。
「早いものね。あれからもう何年も経ったのよね」
「…ちょうどその夢を見てた」
「あら? そのせいでお寝坊さんなの? 流石の貴女も緊張しているのかしら」
「してねーよ」
「フフッ、頼もしいのね。それでこそ私たちのリーダーよ。はぁ~、私なんて昨日は緊張でほとんど眠れなかったのよ」
「…今からそんなんでどうすんだよ。まぁ、確かにこのためにずっと細心の注意を払ってバレない様に水面下で準備して来たわけだし――」
「こら、誰が聞いているかわからないのよ」
あたしの言葉を事の他に真剣な顔でレインが制止する。
その様子に思わずフッと笑みをこぼすと、「そうだな」と短く言ってあたしはクローゼットへと向かった。
「着替えるから出てろ。すぐに行く」
「ええ、今日も一日お仕事頑張りましょ」
「――ああ、この仕事をするのもあと少しかもしれないしな」
「――そうね」
そして、あたしはレインの出て行った私室でもう何年も着ているメイド服へと袖を通したのだった。
という訳で、6章開幕です!
この章に関しましては、張る伏線、回収する伏線、起こるイベント、登場キャラなどなどメチャクチャ多くなるので、6章にして本作初めてゴリゴリにプロットを組んでみました。この初めての超慎重姿勢が吉と出るか凶と出るか…、何とか吉と出るように頑張りたいと思います!
という訳で、王線編のはじまりはじまり~です。