5章ー45話 「彼女たちが得たもの」
「それにしても長い一日だったのぉ」
「ですね…。盗まれた髪留めをとり返しに行った先で、まさかここまでの大事が巻き起こるとは全く予想していませんでしたよ」
「うむっ、偶然とは数奇なものじゃ」
「ですね…」
「――ところでアイリス。そなた此方に何か言いたいことでもあるのか?」
ラグアと別れ、二人で帰路に着きながらの会話。
そこでシルヴィはアイリスから少しの違和感を感じ取り、そう問いかけた。
それに「あー…」とアイリスが少々バツの悪そうに頬をかきながら、
「言いたいことと言うか、聞きたいことなんですけど…」
「む? なんじゃ?」
「怒ってます?」
「?」
シルヴィが小首を傾げる。何についてを言っているのか、がそもそもわかっていない様な表情だ。
それにアイリスは、「いや」と付け加える様に、
「結局地上に戻らずに、逆にあの場に戻ってきてしまったことですよ」
「ああ、その事か」
その説明で納得した様にシルヴィが頷いた。
そして、「怒っとらんよ」と当たり前の様にそう答えた。
「そなたが戻ってきたおかげで目標のスムーズな回収に成功した。つまり、結果的にそなたは此方を助けてくれた訳じゃ。指示に反した行動とはいえど、自身の助けになってくれたものを咎める程に此方は偉くはない。そなたが此方を心配して起こしてくれた行動であることは解りきっておるしのぉ」
「シルヴィさん…」
「むしろ、此方は怒るどころか礼をせねばならぬほどじゃ。今日は随分とそなたに助けられた。そうじゃ、何か欲しい物とかあるかの?」
そして、少し重くなった雰囲気を霧散させる様に笑ってシルヴィがそんなことを口にする。
「いやいや。そんなことありませんし、お礼もいりませんよ」
当然、アイリスとしてはその唐突な提案にそう遠慮した態度をとるが、
「い~や、それは此方が我慢ならん。別に少々値の張る物でもよいぞ。此方は物欲が薄くてのぉ、『近衛騎士団』の高給が貯まり放題なのじゃ」
「それは別に悪い事ではないでしょう。大事にとっておいてください」
「う~む…、しかし気が済まんのぉ。別に物品でなくともよいぞ。例えばお願いとか、――『近衛騎士団』に口利きなどどうじゃ? それなら此方がいくらでもしてやるぞ」
「いや、まだ思いっきり学生ですんで…。それにお願いって言われても――あっ」
「――! 何か思いついたか?」
名案でも浮かんだかのように唐突に足を止めるアイリス。
それにシルヴィが嬉しそうに反応を示す。
「えーっと、一個思い付きはしたのですが…」
「なんじゃ?」
「嫌だったら断ってくださいね」
「――ほぉ」
その確認に興味深そうにシルヴィが息を吐く。
そんな彼女の前で、アイリスは自身の腰の布袋に手を突っ込み、巻物を一つ取り出した。
それを広げ、転移魔法術式を起動させる。ポン、と小気味のいい音と共に現れたのは魔剣――ではなく、アイリスが腰に差しているものと同じ木剣だった。
「どうぞ」
「ふむっ」
それをシルヴィに手渡す。
そして今二人が足を止めている場所のちょうど隣。少し小さめの公園を指差して、
「怪我の治療したての状態で恐縮なのですが、一手ご指導いただいてもよろしいですか? 実は一度『近衛騎士団』の剣を体感してみたかったんです」
そうお願いを口にした。
「ふっふっふ、本当に面白いやつよ。よかろう、此方の剣技をしかとその目に焼き付けるがよい」
返ってきたのは、愉快さを隠そうともしない自信満々の笑みと了承の声だった。
***―――――
『近衛騎士団』本部。
そこで団長への任務達成の報告を終えて、四番隊隊長補佐シルヴィ・シャルベリーはそのままいつもの決まった場所へと向かっていた。
四番隊舎内の修練場。夕暮れ時なれど、そこには少なからず団員の姿があった。当然、全員の所属は四番隊だ。
そんな彼ら彼女らは修練場に姿を現したシルヴィを一瞥し、ある者は一礼し、ある者は何もなかったかのように自身の鍛練に戻り、ある者は畏敬の念を向け、ある者は不愉快そうに眉を顰めた。
しかし、そんな各人の反応には目もくれず彼女は一直線に修練所の奥で素振りをする一人の男の側まで進んでいった。
これと言って外見的特徴は見られない、悪く言えば地味な男だった。
年齢は二十代の前半あたりだろう。邪魔にならない程度の長さで切り揃えられた黒の髪に、平均的な容姿、平均的な背丈。
しかし、そんな男の纏う隊服の胸元には”Ⅳ”の文字が刻まれていた。
シルヴィはその男の側まで近づくと、声をかけるわけでもなく、一メートル程の距離を空けた真横でただ同じように無言で素振りを始めた。
「――――」
「――――」
「――――あっ」
そして素振りを何度か繰り返したところで、ようやく男はシルヴィの存在を認識したかのように目を横に向ける。
「集中が足らんぞ、隊長。此方の存在に気付くのが早すぎる」
「…そうかな? 横で一緒に素振りを始めるまで気づかなかったんだから、我ながら結構集中していたと思うんだけど…」
窘める様なシルヴィの指摘に、苦笑しながら男が答える。
その声には威厳の様なものはあまり感じられない。それどころか、どこかシルヴィに押されている様にも見て取れた。
「というか、ここにいるってことは本当にあの任務を一日で終わらせちゃったんだ…。流石だね、シルヴィさん」
「此方ならば当然じゃ…と言いたいところじゃが、今回は意図せず多くの者の力を借り意図せず多くの者に助けられた。不覚をとり、『聖道院』にて治療も受けたことだしのぉ。一日で全てが片付いたのは正直運がよかったから、というのもあるじゃろう」
「――へぇ」
シルヴィの言葉に意外そうに男が声をもらす。
常に自信満々のこの隊長補佐が、ここまで反省点を口にするのはかなり珍しい事だったからだ。それに彼にはもう一つ…いや正確に言えば二つ気になることがあった。
「でも、そう言う割には機嫌が良さそうだね。良い事でもあったのかな?」
まずはその一つ目の事を聞いてみる。
すると待ってましたとばかりにシルヴィが「よくぞ気づいたな!」と声を大きくした。心なしか、素振りにも力が籠っている。
「実はのぉ、此方が隊長になった際の隊長補佐候補として素晴らしい者を見つけたのじゃ」
「…今回の任務で?」
「むっ、誤解するなよ。別に地下街の無法者ではない。偶然出会った学生の少女じゃ。卒業したら絶対に近衛に引き込むと決めたぞ、此方は」
「それは強引過ぎる気もするけど。――まぁ、シルヴィさんがそこまで言うんならきっととんでもなく凄い子なんだろうけど」
「うむっ! という訳で、優秀な補佐役は見つかったのじゃ。此方の事は心配せずに、数年後に安心してそなたは隊長職を辞めるとよいぞ。しっかり引き継いでやるのじゃ」
「いや~、僕も流石にあと十年くらいは隊長をやりたいんだけどなぁ~…」
「はっはっは、此方の様な才の塊を隊に迎え入れてしまったのが隊長の運の尽きじゃな」
高笑いをしながら素振りをする部下の横で、男は苦笑を浮かべ続けたままに黙々と同じく素振りを続ける。
だが、不意にその瞳に真剣な色が宿った。二つ目の気になること。最初はスルーしようとしたそれが、最初よりも顕著になっていることに気付いたからだ。
「――シルヴィさん。右手の手首、痛めてるね。治療が完全じゃないのかい?」
シルヴィが四番隊に入隊し少ししてから、仕事終わりに横に並んでのこの素振りは二人の日課になっていた。正確に言えば、昔から隊長の方は一人でここで黙々と素振りをしていたのだが、いつからかシルヴィが勝手に横に並んでそれを見本にするように同じ様な素振りを始めたのだ。
それがもう長い期間こうして続いている。
だからこそ、いつの間にか二人はお互いの些細な変化にも気づける様になっていた。
「むっ、やはりわかるか?」
「型が少し乱れている、その微かな痛みが原因だろうね。今日はあまり無理をしない方がいい」
「――了解、そなたがそう言うのなら従おう」
それ故に、シルヴィは何も言わず素直に引き下がった。
素振りをする動きが止まる。そんな部下に、
「人斬りとの戦いによる怪我かい?」
そう何の気なしに投げかけた質問。
しかし、
「い~や、これは純度百パーセントの此方の実力不足によるものじゃ。ふふっ、だが流石に此方が見込んだだけはある、と言っておこうかの」
「?」
返ってきたのは、どこか嬉しそうな要領を得ないそんな言葉だった。
***―――――
「たーだいまぁ」
現在住んでいるデイジー邸のドアを開けてながら、アイリスが疲れが凝縮されたかのようなそんな声で帰宅を告げる。
今日の朝。ここで絵描きの老人と会話をしていたのが遠い昔の事の様に感じられる程に、色々ありすぎた一日だった。
ドアを開けると、「おかえり~」というデイジーの声と共に美味しそうな夕飯の匂いがアイリスの鼻孔を刺激する。アイリスと同居するようになってから、デイジーは定期的に残業を減らしてこうして夕飯を作ってくれているのだ。
「今日も美味しそうな匂いですね~」
「ああ、実は今日グリシラさんも我が家に来るらしくって多めに作ってるんだよ」
「ええっ!? 何でですか!?」
「王城に用があったらしくてね、ついでにアイリスに会いたいからここに寄ると――ん?」
鍋を煮込みながらそう説明をするデイジーだったが、台所に現れたアイリスを見て何か違和感を感じた様で小さく首を傾げた。
そしてそのまま「ちょっといらっしゃい」と片手でアイリスを手招きする。アイリスもそれに従順に従い、デイジーの側まで小走りで近づいていくと、
「いたっ…!」
そこでいきなり頭に軽く手を乗せられ、アイリスが小さく悲鳴をもらす。
「っと、すまない」、デイジーがすぐに手をどけて謝る。そして心配した様な表情でアイリスの頭を見つめながら、
「で、このタンコブはどうしたんだ? どっかに頭でもぶつけた?」
と、最初に感じ今確信を得たその違和感について口にする。
するとアイリスは、
「いやぁ~、これはなんというか…あたしの剣の未熟のせいでしてね。やっぱり世の中にはまだまだいっぱい強い人がいるな~、と実感した次第であります」
「?」
何故か少し嬉しそうに、どこか要領を得ないそんな答えを返したのだった。