5章ー43話 「三度目」
「ふぅ~…」
『聖道院』内に備え付けられたベンチ。
そこにアイリスは一人、落ち着かない様子でちょこんと座っていた。
シルヴィとロックと一緒に、三人がかりで若先生を聖道院まで運んだ。
素早くその決断をするに至ったのは、人斬りとの戦いが決着した後すぐにラグアが合流し、若先生は『聖道院』に伝手があると教えてくれたためだ。
ちなみに子ども達の面倒を見る為に彼はその後すぐに元の場所に戻ったため、若先生を運んだのは三人になった。
無事に送り届けた後は、シルヴィとロックが事の顛末をどうするかについて話し合い始めた。しかし、お互いの意見がすぐに合致したようで少しの時間でその話し合いは決着した。
その後、ロックはシルヴィから人斬りの持っていた長刀を受け取ってその場を後にした。その際に後で必要になるかもしれないと、通信魔道具の連絡先の交換を三人で行ったりもした。
それとほぼ同時にシルヴィは怪我の治療のために『聖道院』の中へと向かった。ラグア、人斬りとの連戦で結構な怪我を負っていたのらしい。
そして、今に至る。
つまるところ、現在のアイリスはシルヴィの治療待ちをしているという訳だ。
ちなみに現時点で待ち始めて四~五十分といったところだろうか。最初はせっかく『聖道院』に来たのだから、久しぶりにミリアンに会うために探しに行ってみたり、内部を少し散策してみたり、をすることも考えはしたが何となくベンチに腰を下ろしたら、その機会を逸してしまった。
――やはり即断で動かなかったのが運の尽きだったね。『聖道院』の治療時間がわからないから、十分過ぎてからはあたしが動き出してすぐにシルヴィさんが治療を終えて帰ってきたらどうしよう、という懸念に苛まれて動くに動けなかった。その結果、約一時間が経過という最悪パターンだ…。
ベンチに座りながら、心の声で自身の待ち時間を反省をするアイリス。
だが、当然今から動くという選択肢はない。
「ふぅ~…」
もう一度、大きく息を吐く。
そして、「よし」と小さな声で呟くと両手に魔力を集中させた。
流石にぼけーっ、としているのにももう飽きた。なので日課にしている、魔力による物理感知のトレーニングを始めることにしたのだ。
ルークに習った自身の魔力をを用いての練習法。正直に言えばもう物理感知はほぼほぼ我がものにしているのだが、ここから更に精度を上げるためにはやはり反復練習が大事になる。そしてアイリスはこういう毎日コツコツ系の地味な練習が苦にならないタイプであった。
練習を始めて数分。
「――――――――――」
「魔法の修行か?」
「――はい、物理感知の」
「ほぉ、興味深いのぉ…。今度暇があれば此方にも教えてくれんか?」
「ええ、それはもちろん構いません――って、うわっ…!?」
不意に後ろからかかった声と数度会話を交わした後に、アイリスはようやくそれに気づいて驚きの声を上げた。
バシュ、と手元の魔力が弾ける。集中状態が解かれた証拠だ。
そして「もう脅かさないでくださいよ」と後ろを振り返る。そこには「わるいわるい」と元気そうに笑うシルヴィの姿があった。
「待たせたの。というか、別に待っててくれなくてもよかったんじゃぞ」
「いえいえ、一応今日一日ご一緒していたので、最後にそれは流石に薄情かと」
「ふっ、律儀なことじゃ」
「怪我はもういいんですか?」
「うむっ、完治したぞ。しかし此方も実際には受けたことはなかったんじゃが、治癒術と言うものは中々のものじゃな。軽くない怪我ではあったはずなんじゃが、数十分で完全に元通りの身体に治りおった」
「へぇ~、やっぱり凄いんですね」
シルヴィの感心した様な感想に、相槌を返しながらアイリスが立ち上がる。
「それじゃあ、帰りますか」
「そうじゃな。此方もこれから団長に任務完了の報告に行かねばならんしの」
そうして二人は並んで『聖道院』内を出口に向かって歩き始めた。
「それにしてもそなたの集中力は中々のものじゃな」
「? もしかしてさっきの練習の話ですか?」
「うむっ、最初に話しかけたときの返答は無意識じゃろ。此方の存在に気付いたのは数語言葉を交わしてから。集中していた証拠じゃ」
「そうでもないですよ。それにホントに集中している状態ならば、言葉も周囲の変化も入ってこないですし」
「自身の思考もしくは行動にのみ全神経が注がれている状態じゃな。確かにそれこそが極限の集中状態と言うんじゃろうが、あの地味な練習でそこまでの状態になってしまっては逆に少し恐ろしいぞ」
「ふふっ、それは確かに言えてますね」
そしてそんな何気ない会話をしながら、二人は『聖道院』を出た…のだが、
「むっ?」
「…あっ」
そこで二人は同時にある人物を発見した。
なにやら『聖道院』の入口のある正面の道にて、キョロキョロしながら若干挙動不審にしているその人物。
見知らぬ人物ならば不審人物の一言で片づけてしまえるが、二人は彼を知っていた。
「………何をしておるのじゃ? ご老体」
代表してシルヴィが声をかける。
すると不審人物――ラグアは「おっ」とどこか安心した様な表情を浮かべた。そしてそのまま二人に小走りで近づいてくると、
「いやぁ~、待ってたぜ。若先生はどうだった?」
「えっと、『聖道院』の人の話によれば命に別状は無くてすぐに目を覚ますだろう、とのことです」
アイリスがそう説明をする。
すると、「そっか、そりゃあよかった」とラグアは胸を撫で下ろした。
「そういうそなたはここで何をしておるのじゃ? 失礼を百も承知で言うが、傍から見れば少々怪しすぎるぞ」
「いや、普通にあんたらが出てくるのを待ってたんだよ。こちとら若先生の事をガキどもに説明しなきゃなんねぇんだから」
「…いや、わざわざこんなところで待たずとも中に入ればよかろう」
何を言っているんだ、と言わんばかりのシルヴィの指摘に、「はぁ~…」とラグアはため息を吐いた。
「あのなぁ、こんなお世辞にも身なりの整っていると言えない様なジジイが『聖道院』の中に入れると思うか?」
「? 入れるのではないか? 別にドレスコードなどここにはないぞ?」
「…心持ちの話だっての。俺が気遅れするんだよ」
「なんじゃ、見た目と違い随分と繊細な男じゃな」
「ほっとけ」
そう言って、ラグアがその場でグーッと背を伸ばす。
そして、
「まぁ、何はともあれ無事って聞けて一安心だ。それに騒動も片付いたしな。今日は老体に鞭打って働いたし、俺は帰って寝るぜ。じゃあな、嬢ちゃんたち。――疲れたけど、なんやかんやで有意義な一日だったぜ」
「そうか。では、達者での」
「はい、またお会いしましょうね」
そのまま二人の別れの言葉を背に、片手を上げながらラグアはその場を後にしたのだった。
***―――――
「――ふぅ」
二人と別れ、ラグアは心を落ち着ける息を吐いた。
この格好じゃ気後れするから『聖道院』には入らない、そこに嘘はない。
だが、それ以上にあそこに入れない、それどころか近づきたくない理由が彼にはあった。
当然だ。あそこには彼女がいるのだから。
――向こうは俺の事なんざ憶えてないかもしれねぇが、それでもやっぱりな…。
かつて夢見た最強。
だが、ラグアは負けた。完膚なきまでに。
そして思い知らされた、自分は最強とは程遠い凡夫なのだと。最強とは彼女のことを言うのだと。
――情けねぇが、俺にはお似合いだ。
そんなことを思い返しながら、自嘲の笑みを浮かべると、足早にその場を後にしようとする。
しかし、
「?」
まるでそれを制止するかのように、そこで彼のすぐ前に馬車が一台止まった。
豪奢な馬車だった。――まるで立場の高い人物を送迎するかの様な。
――まさか…。
ゾワリ、とラグアの背筋に寒気が走る。
ここは『聖道院』の目と鼻の先。つまりそこに乗っているのは――、
――いやいやっ…、ありえない。そうだ、きっとどっかの貴族が『聖道院』に治療に…。
可能性を脳内で必死に否定する。何故か足はその場に縫い付けられたように動かなかった。
そして、否定した可能性は彼の前の現実として現れた。
最初に降りてきたのは、まるで二つの異なる修道服を中心で縫い合わせた様な奇怪な衣服に身を包んだ小柄な修道女だった。
そしてその後に続いて降りてきたのが、
「あ~、かったるい一日だったぜ…。それに――やっぱ見逃さずに殺っときゃよかったかね。俺も甘いなぁ」
「――――」
最初に会った時とも、二度目に会ったときとも、容姿の変わらないあの女だった。
その顔を見た瞬間に、拘束が解けた様に足が動き始める。心臓が早鐘を打つ音がうるさいぐらいに聞こえてきていた。
――…まだ認識はされていない。…大丈夫だ、大丈夫。さっさとこの場を――、
「ん?」
クルリ、と踵を返して、素早くその場を後にしようとする。
が、その後方から何かに気付いた様な『聖女』の声が響いた。
「おい、そこのお前」
気のせいかと思った。だが、気のせいではなかった。
確かにその声は自身にかけられている、とラグアは悟った。
そして一瞬の逡巡の後に、その場で足を止める。駆け出してもよかったが、無理やり力ずくで組み伏せられでもしたら目も当てられない。ならば、とラグアは潔く振り返った。
諦めた様な表情で『聖女』と見る。
すると、『聖女』は目を見開かんとばかりに驚いた後に、
「おいおいおいおいおい! 久しぶりだな、おい!!」
高揚した様な言葉と共に破顔した。
「なっ!?」、と思いがけない反応にラグアが驚きの声を上げる。
――俺を憶えている…? いや、それどころか…。
そしてもう一人、
「どっ、どうされたんですか? 『聖女』様」
小柄な修道女もまたその見慣れない『聖女』の様子に驚きを露わにしていた。
そして『聖女』はその修道女の背をバンバンと叩き、ラグアの方を見ると、
「聞きたいか、サウネリア。あいつはなぁ、――――」
『聖女』の口から告げられた言葉。
それにラグアは、
「――――は?」
ポカンと口を開けて、信じられない様な声をもらした。