5章ー38話 「地下から地上へ」
僕の両親は少し風変わりな貴族だった。
祖先が建国時より王国の発展に尽力していたことにより、貴族の中でもかなり位の高い家柄だったにもかかわらず、住んでいたのは王都の端の緑が豊かな自然にあふれた場所。
聞いたところによればここは元は父方の祖父の別荘だったのだが、心底気に入った父と母が本拠にしてしまったらしい。木々や河川、緩やかな雰囲気が性に合ったとのことだった。
当然、周囲には他の貴族の方々は住んでおらず隣人はもっぱら平民の方々。
しかし、そこで本来は多少は生まれるの身分差による壁を僕は幼いころから一度も感じたことはなかった。それはきっと両親の人柄がそうさせたのだろう。
そうなると僕の友人も当然平民の子となるわけだ。
そして、――僕は彼に出会った。
唯一無二の親友であり、同じ夢を追いかけた同士でもあり、互いを高め合った好敵手。
…いや、後ろ二つはもう過去形だ。
――だって僕の夢と思いは、全て彼に託したのだから。
***―――――
「…………うっ」
意識の覚醒と同時に感じたのは、少しの息苦しさと重い疲労感。
そしてそれから一歩遅れる様にして感じたのは、柔らかいベットの感触だった。
――ああ、久しぶりだ。
目を開ければ、見慣れたくはなかったが見慣れた光景。
そして、
「よぉ、起きたか。久しぶりにぶっ倒れたらしいな、リーン」
聞こえてきたのは聞き慣れた女性の声だった。
「………」、身体を持ち上げて声のした方を向こうとするが思った様に動かない。なので仕方なく地下街で若先生と呼ばれていた青年――リーンは横になったまま首だけをそちらに向けた。
そこは子どもの頃は定期的に運ばれていた『聖道院』内の個室の病室。
そしてリーンのベットから少し離れた小さなテーブルを挟んだ二つの椅子に二人の修道女が腰かけていた。
一人は彼にとっては見覚えのない若い修道女。しかし、もう一人は子どもの頃から彼に治癒術をかけてくれている顔馴染みの修道女だった。基本的には『聖道院』は手の空いた者が患者の治療をするのだが、幼少期からここの常連だったリーンにはいつの間にやら担当のような感じで彼女が基本的に毎回治療をするようになっていた。
「ご無沙汰しています、イーリアさん」
小さくペコリと頭を下げると、『聖道院』の東を背負う修道女は「おうよっ」、と修道女らしからぬ豪胆な受け答えで片手を上げた。
そしてそうしながら、もう一方の手ではテーブルの上で駒の様なものを動かしていた。
――当たり前の様に人の病室でボードゲームに興じていますね…、まったく相変わらずの人だ。
そのジトッ、とした目線に気付いたのかイーリアが苦笑を浮かべる。
「あのなぁ、一応言っとくがこちとら今日は大変だったんだぞ。あわや王国崩壊の危機だったんだよ、ひやひやしたぜ。気分転換でもしなきゃやってらんねぇの」
「まぁ、別に私達は何もしてませんけどね」
「何もしていなくても心労は溜まるだろ」
そうボードゲームの相手をしている修道女と軽く会話をしながら、イーリアが再び視線をリーンに向ける。
「で、その後に急にお前が運び込まれてきたってわけだ。ったく、ホント騒がしいな一日だったぜ」
「それを言うならこっちも今日はだいぶと疲れました」
「…って、そうだ! で、お前なんで今日は運ばれてきたんだよ? まさか昔みたいにあれと本気の稽古をしてって訳じゃないんだろう?」
「―――! あっ!」
が、そこでリーンは思わず大きな声を上げてしまった。
目覚めたばかりであまり頭が回っておらず、そのことが頭から抜け落ちていた。一番重要な、真っ先に気にするべきことを。
自分をここに運んだのは誰なのか? そしてあの地下街の騒動の顛末はどうなったのか?
「あっ、あの! 誰が僕をここにっ!?」
食い入る様にそう問いかける。
するとイーリアは「声がでかい」、と呆れた様に言いながらも、
「何か聞いた話だと、女三人だったらしいぞ。一人は騎士でもう一人は魔法使い、あと一人は普通の少女だと」
そう詳しく教えてくれた。
騎士…というのは恐らくシルヴィだろう。だが残り二人に心当たりはない。特に魔法使いの方などさっぱりだ。
――でも、彼女が僕をここに運んでくれたということは無事に決着した…ということでいいのだろうか?
と、なんとか納得しようとするリーンだったが、
「それでその女騎士から伝言だ」
「?」
どうやら説明はまだ終わってなかったらしい。
そして一拍置いて、
「『騒動は万事解決じゃ。そなたのおかげじゃ、礼を言う』、だとさ」
そうイーリアは口にした。
そして、その言葉でようやくリーンは確証を得ることができた。
――そっか、無事に全部片付いたんだ。
身体に籠った力が抜けるのを感じる。
聞く限りではシルヴィも無事。それはつまり、ラグアも子ども達もまず怪我一つないと考えていいだろう。あの人斬りは無事に確保できたのだろう。
「よかった~…」、万感の思いが込められた呟きがリーンの口から自然と漏れた。
「――ふっ、なんかそっちも色々と大変だったみたいだな。何があったかは聞かねぇが、まぁお疲れさんだ」
それを見て、少しだけ慈愛の様なものが籠った微笑みを浮かべながらイーリアが労いの言葉をかける。
それに少し照れくさそうに「どうもです」、とリーンが返した、
――コンコン。
その時だった。
不意に病室のドアがノックされる。そしてそれに室内の誰かが返事を返す前に、ガララッ、とドアが外から開かれた。
「なぁ~にやってんの? お前は」
少しだけ呼吸を乱しながら、ドアを開けたその人物は呆れた様な表情で、ベットに横たわるリーンにそう声をかけた。
その突然の登場に少し驚いた表情を浮かべたリーンだったが、すぐにクスリ、と笑うと、
「やぁ、リアナ。御覧の通り、少し無茶をしてね」
そう唯一無二の親友を病室へ迎え入れた。