5章ー36話 「終焉に向かう騒動」
一分にも満たない短時間での決着。
その種を明かせば、それは恐ろしい程にわかりやすいものだった。
決して若先生がシルヴィよりも遥かに格上な剣士なわけではない。若先生と人斬りの相性が恐ろしく悪かったわけでもない。
ただ、彼は有していたのだ。
左片手一本で戦う剣士との莫大な戦闘経験を。付け加えるならば、その剣士が人斬りよりも遥かに強かったと言うだけの事だ。
だから彼には人斬りの剣筋がまるで止まっているかのように見えた。あの友人と比べれば威力速度キレ、その全てが明確に劣っていたのだから。
故に近接の剣戟に置いては自然と優位に立てた。
そんな中で唯一警戒すべきは遠距離の攻撃。それを防ぐために迫りくる一撃絶命の斬撃を最小限の動作で回避しながら、その瞬間を逃さぬように眼を光らせ続けた。
そして彼はその瞬間をしっかりと捉え、そして人斬りの残った一本の腕を斬り落としたのだ。
当然ながら、あくまでここまでの流れは彼が卓越した剣技と剣才をその身に宿しているという前提があればこその芸当だ。
『ぐっ、ぐあああああっ……!』
籠った悲鳴と左手からの血しぶきを上げながら人斬りがその場に膝をつく。
そして、
「―――はっ!」
そこでようやく見入ってしまっていたシルヴィも我に返った。
意図していた決着の形で当然なかったが、剣を振るための両腕を無くし人斬りは無力化された。それはすなわち、任務完了を意味していた。
「まったく…」
自嘲の混ざった苦笑を浮かべながらゆっくりとその場に立ち上がる。
何はともあれ今すべきことは、人斬りの本体である長刀と器であったと考えられるセネバの肉体の拘束。それを為すためにシルヴィが決着のついた二人に歩み寄ろうとした時だった。
『………っ! まだだ…、まだだ!!』
「?」
そんな言葉と共に膝をついた人斬りの身体が前方へと倒れる。
器が限界を迎えたのか、と一瞬シルヴィにそんな考えが過ぎるが、
「っ!?」
もぞもぞと動く上半身を見て、その考えが誤りだったとすぐに理解した。
そしてその理解に身体が反応を示すよりも早く、
『~~~~~~~~~!!』
ガバッと人斬りが立ち上がり、背を向けて全速力で駆け出した。
――その口には本体である長刀が咥えられていた。もぞもぞという動きは左手からこれを咥えとるためのものだったのだ。
「待てっ!!」
シルヴィがその背を追うために同じように駆け出そうとする。
しかし、そこである違和感に気付いた。剣を持ち、尚且つ彼女よりも人斬りの近くにいた若先生。そんな彼が逃げる人斬りに何も反応を示さなかったのはおかしい。
自然とシルヴィの目が彼の方に向く。そして、
「っ!? おい、どうしたのじゃ!?」
地面に膝をつく若先生。
そんな彼の顔には大粒の汗が浮かび、消耗した表情で荒く呼吸を繰り返していた。
とてもではないがそれは一分身にも満たない戦闘での消耗ではなかった。
「はぁ……! はぁっ……! だ、だいじょう…ぶ……です」
そんな自身の状態にシルヴィが気づいたことを察して、若先生は無理やりにつくった様なぎこちない笑みを浮かべそう言った。
言葉を発するのでさえ一苦労と言った様子だ。
―――こやつ、まさか……!
そこでシルヴィはようやくこの若先生が内に抱える問題に気が付いた。
あれほどの剣技と戦闘センスは『近衛騎士団』内にもほとんどいない。加えて彼は貴族階級出身者だ。
『近衛騎士団』に憧れ入隊を志していたのに、それを諦める理由は存在しない。
むしろ『近衛騎士団』の方からスカウトをしても一つも不思議の無い人物と言ってもいいだろう。
だが、諦めた理由が本人の意思や剣術の質、生まれ育ち以外にあったとすれば。
諦めたのではない、諦めなくてはならない理由があったとすれば。
――何らかの疾患、それが長時間の運動を不可能にしておるのか…!! だからこやつはあれほどのものを持ちながら、
「私に構わずに…彼を追ってください……!」
「………っ!」
その必死に絞り出したような言葉に、動揺を隠せずにいたシルヴィが我に返る。
確かにここに留まっている場合ではない。現時点では無効化したとはいえど、あの長刀がある限り同じような事件が再び起こる可能性は高い。
そうなれば今日の今までの全ての戦い、その戦いに関わった全員の思いと行動が無駄になる。
「…………くっ!?」
だが、それを理解して尚シルヴィはその場からすぐに動き出すことはできなかった。
言うまでも無く理由は目の前の青年。このまま放置して大丈夫なのか、もしや処置が遅れて手遅れになる可能性があるのではないか?
そんな可能性は今この場で考えても仕方がない。医療の専門家ではない、シルヴィには答えが出せないのは解りきっている。
だが、こうして彼がこんな状態になったのはすべて自分の不甲斐なさが理由。もっと自分が強ければ、一人で勝てていれば。そんな負い目が彼女の身体をこの場に縫い付ける。
「――必ず助ける。死なせはせん」
「はい。行って…ください……」
だが、それもほんの少しの間だけ。シルヴィはすぐさまそう言い残すように呟き、若先生の腕から聖剣を受け取り立ち上がった。ここで人斬りを逃がした場合の危険性は、騎士として絶対に無視できるものではなかったからだ。
その逡巡の時間は、わずか数秒だった。だが、この場の数秒は致命的な意味を持つことを当然シルヴィは理解していた。
だから、彼女は全力で駆け出した。
体中が痛む。その痛みを無視して力の限り早く、早く。
絶対に逃がしはしない。その強い思いを込めながら。
少し直進した後に右へ曲がる別れ道がある。そこを人斬りが曲がった瞬間はしっかりと目にしていた。
だが、そこから先の道順は当然解らない。つまり僅かな手掛かりと勘で後を追うしかなくなる。気持ちだけではどうにもならない。その数秒のロスはそれほどまでに重かった。
だがら、彼女はかなりの確率で人斬りに追いつくことはできないはずだった。人斬りを取り逃すはずだった。
――もし仮に人斬りを追っていたのが彼女だけだったならば。
『ぐあっ!?』
「――!?」
別れ道まで来て右へ曲がろうとした瞬間に、シルヴィの耳に人斬りの声とカランカラン、と金属が床に転がる様な音が届いた。
そして、
――ドン!!
「なにっ!?」
シルヴィの完全を何かが横切ったかと思うと、側面の壁にそれは激しい音と共に激突した。
見れば、信じられないことにそれは人斬りの器だった。口に咥えていた筈の長刀は無くなっている。恐らく先程の金属音が長刀が地面に落ちた音なのだろう。
だが独りでにこんなことには絶対にならない。当然ながらそれをやった人物は存在する。
敵の敵は味方。そんな単純な話ではない。
壁に叩きつけられたその身体を一瞥すると、すぐに気持ちを切り替え、シルヴィは聖剣を構えてゆっくりと右へ曲がる道へ足を踏み入れた。
しかし、
「シルヴィさん!」
「!? アイリス…か?」
飛んできた予想外の声に思わず口からそんな気の抜けた声が出てしまう。そして前からゆっくりと歩いてくる姿を段々とシルヴィの目が捉え始めた。
そこにはアイリスの他にもう一人だけ人影があった。見たこともない、やけに大荷物の明るいオレンジ髪の女性。
そんな彼女はシルヴィを見るなり、
「悪いねぇ~、最後にいいとこ取りさせて貰っちゃいました♪」
そう地下街に似合わぬ快活な笑みと共にそう言った。
右手にあの長刀を握りながら――。