5章ー22話 「暗中模索」
――ふむっ、やはり空気が暗く重くなってきているように感じるのじゃ。
アイリスと別れ、単独にてラグアによって伝えられた一番新しい人斬りの痕跡残る現場へと向かうシルヴィ。
そんな中、彼女は周囲の変化に目を向けていた。
ラグアの言っていた通り、大して距離の離れていないエリアであろうと治安はだいぶ変わる様だ。少なくともこのエリアではとてもではないが子どもに勉強を教える教室などは開けないだろう。
深く深くに足を踏み入れていくほどに、地上の常識とはかけ離れた空間に変わっていく。
「いまさらじゃが…、こんな空間を王都の下に放置しておくのは如何なものかのぉ。――臭い物に蓋をするだけではいずれは限界が来るのは目に見えておるはずなのじゃがな」
ポツリとそう呟きを漏らす。
この真上では多くの人間が何不自由ない暮らしを享受している。しかし、ここはまるでその対極だ。その対照的な空間が同じ位置に縦座標だけ異なって存在している。
そんなアンバランスな状況を王国は何十年何百年と放置しているのだ。
地下街。
独自の生活様式を有した治外法権の王都の地下空間。
この場所がいつ生まれたのか、正確な日付は定かではない。だが少なくとも始まりは3~400年前くらいだと言われている。
初代『五勇星』が魔神を破り、魔族との戦いはここで一つの区切りを迎えた。しかし、その次に待っていたのは隣国との――つまり同じ人間との戦いだ。
王国建国から百年程は、小競り合いはあれど戦争にまで発展することはなかった。それは一重にサリスタン王国における上の人間も優秀であれば下の人間も同じく優秀であったためだ。しかし、王族が何代も代替わりをしていくうちに段々と優秀でない者、統治する技量が十分でない国王も増えてくる。
その隙に乗じるかのように今まで息を潜めていた王国に良い感情を持たない他国が戦争を仕掛け始めるようになったのだ。これが大体、王国が建国されてから百数十年後の話。
ここでその戦争により職や住処、家族を失った者や戦争孤児などが中心となりこの地下街が少しずつ少しずつ形づくられていった。そう言われている。
そしてそれが今日まで放置され、これほどまでに巨大な空間ができあがったという訳だ。
――まぁ、今はそんなことを考えている場合ではないんじゃがの。
そんな王国の暗部の歴史について考えていたシルヴィだったが、そこで前方から近づく気配を感じ取って即座に思考を切り替える。
のだが、
「――おいおい、何でこんなところに女が一人でいるんだ」
「どうも、こっち側の人間じゃないっぽいなぁ」
「ハズレじゃ」
そこから現れたのは地下街に来て初めて遭遇した名も知らぬ三人組と似たり寄ったりの風貌の二人組の男。それを見て、目的の人斬りではないと判断するとシルヴィは小さきため息を吐いた。
「何がハズレだって?」
「そなたらに用はないという事じゃ。さっさと去れば見逃してやるぞ」
「面白いことを言うじゃねぇか」
「…はぁ、望み薄じゃが一応聞いてみるとするかの」
***―――――
「という訳で、此方は王国の勅命でその人斬りの男を追ってここに来たという訳じゃ。何か知っていることはあるか?」
数分後、そう尋ねるシルヴィの前にはボコボコにされて神妙な顔で正座させられている地下街のチンピラ二人の姿があった。
「…すみません、ありません」
「…………」
その問いに二人の内のリーダーと思しき男が先程までとは真逆の心底怯えたような顔でそう答えた。この数分で、それほどまでにシルヴィに対する恐怖を植え付けられたのだろう。
そんな答えに「であろうな」とわかっていたかのようにそこまでがっかりした様子無くシルヴィは答えた。
「よし、もう行ってよいぞ。此方は急いでいるのでな。――ただし、次に見かけたら容赦なく叩き斬るからの。そのつもりでこれからはちゃんとした生活を心がけるのじゃぞ」
「はっ、はい!」
「うむっ」
時間が惜しいのでそう二人にしっかりと釘を刺して、その場を音にしようとするシルヴィだったが、
「…あっ、あの」
そこで呼び止める様な小さな声がかかる。
「むっ?」、その声に彼女が振り返ると声をかけたのはリーダー格の男の方ではないもう一人の男だった。
「なんじゃ?」
「昨日の事なんですけど…、俺の知り合いがそいつを遠目で見たって」
「なにっ!?」
期待していなかった、そしてその通りの結果が待っていた。
そう思って立ち去ろうとした瞬間のその本命の予感に思わずシルヴィの口からそんな大きな声が出る。
「それはこの先へと進み右へ曲がった通りであった殺人の事か?」
「あっ、それです!」
「詳しく聞かせい」
昨日という時間、そしてラグアから教えてもらった場所。
その両方が一致していることがその予感を確信に変える。
「あの……結構遠くて、それでおっかなくてずっと息を潜めていたらしいんですけど…」
「うむっ」
「チラリと見えたその男が持つ刀が紫に光っていたって言ってました」
「――――」
紫?
闇属性魔法の魔力付加か? ――いや、あるいは、
「それと――」
「それと?」
「見つかったら自分も殺されると思って音一つ出さない様にしていたら、その男の独り言が聞こえてきたらしくて」
「独り言じゃと」
「はい、その内容が――なんか強いやつと戦いたい的な事をずーっとうわ言の様に言ってたらしい…です」
「…………!?」
確証はない。
しかし何故だか、その時シルヴィの脳裏に浮かんだのは先程別れたばかりの老人の姿。
あの老人はここに来て長いと言っていた。それに加えてあの強さならば恐らくここでも名は売れているはずだ。
――もしその人斬りがこの地下街にて強者を求め、情報収集の様な事を行っていたとすれば。
「いや、まさか…」
考え過ぎだと口で否定する。
しかしその嫌な予感は彼女の背中に汗となってスーッと伝った。