5章ー20話 「別れ、別れ、一人」
「――さて、それではそろそろ此方らはお暇するかのう」
若先生から出された紅茶を綺麗に飲み干して、シルヴィが腰を上げる。
それに続く様に「そうですね」とアイリスも同じく立ち上がった。
「そうだ、ご老体。行く前に此方に先程言っていた一番近い現場の正確な場所を教えい」
「へいへい。わかってますよ」
そのシルヴィの物言いに苦笑しながらも、ラグアは黒板まで近づきそこにチョークを走らせる。
「ふむっ」、それを見ながらシルヴィが小さく頷く。
「ここを現在地としてだな。こう行けば――」
その説明と地図は意外なほどにわかりやすく、数分でシルヴィは全容を把握することができた。
そしてそれによりここに留まっている理由は完全になくなった。
ラグアの説明をしっかりと脳に叩き込み、「ご苦労」と一言だけ言うとシルヴィは教室の入り口へと歩き出してしまう。
「ちょっ、待ってくださいよ。シルヴィさん」
慌ててその後を追いながら、「お邪魔しました。皆さんお元気で」と言い残すとアイリスもまたその後へと続くように歩き出したのだった。
――ガララ。
と教室のドアが開き、そして閉じられる。
それにより地下街の通路には再びアイリスとシルヴィの二人だけになってしまった。しかし、その二人にもまた別れのときは近づいていた。
「――さてと。これにてそなたの用向きは仕舞いじゃな」
アイリスを見つめながらシルヴィがそう口にする。
その通りだ。髪留めをとり返した時点で、もうアイリスが地下街にいる理由は存在しない。ここから先は『近衛騎士団』の仕事になる。
しかし、
「あ~…、そうですね。そうですけどぉ~…」
その先のシルヴィの言葉を察してかアイリスがそう煮え切らない様な声で答えた。
「ならん」、同じくその言葉の意味を察したシルヴィがすぐに否定する。
「ここから先は此方の仕事じゃ。これ以上そなたを巻き込むつもりは欠片も無い」
「それはわかるんですけど…、でも」
「でも、なんじゃ?」
「――シルヴィさん、まだお腹痛むでしょう?」
「………!?」
そのアイリスの指摘に、シルヴィの顔に驚きが浮かぶ。
「あの時食らったおじいさんの突きのダメージが残っているはずです。あれだけ急いでた貴女がお茶の誘いを受けたのも時間の経過による治癒を期待してのものなんじゃないんですか?」
そしてその続く問いかけに、「ははっ」とシルヴィは心底愉快そうな笑顔を浮かべた。
「本当にそなたは優秀じゃのう。此方なりに完璧に隠しているつもりじゃったが…しっかりと見抜かれておったか」
「ならやっぱり…」
「うむっ、想像以上に重い一撃じゃったからな。そなたの言うように未だに痛みはある」
「じゃあ――」
「じゃが、それでも此方の答えは変わらん。お主と一緒はここまでじゃ。これ以上は本当に命が危険に晒されるかもしれんからのぉ。後の事は此方に任せい」
「シルヴィさん…」
「そんな心配そうな顔をするでない。なに、痛みはあるが剣術に支障が出る程ではない。骨も無事じゃしな。ささっと見つけて斬ってそれで仕舞いじゃ」
ニッと笑い、シルヴィがアイリスの肩に手を置く。
それでアイリスはどれだけ弁を尽くしてもこのシルヴィの決定が覆ることはないという事を何となく理解した。騎士としての彼女の覚悟と決意がしっかりと伝わってきたからだ。
「…わかりました」
「うむ、よろしい♪ まぁそんなに此方が心配ならば明日明後日にでも『近衛騎士団』の本部に来るとよい。怪我一つなくピンピンしているであろう此方が歓迎してやろう」
「――はい! 学校もないんで喜んでお邪魔させて頂きます!」
その気遣いにアイリスも明るくそう答える。
そして、
「本当は入り口まで一緒に行ってやりたいんじゃが…すまないな」
「いえいえ、来た道をそのまま引き返せばいいだけですから」
「よいか。寄り道するでないぞ、知らないやつに話しかけられても相手にするでないぞ、真っ直ぐに帰るのじゃぞ」
「はい、了解しました」
「うむ、良い返事じゃ」
「――あの、シルヴィさん」
「? なんじゃ?」
「お気をつけて」
「――ああ、そなたも気を付けての」
そのやり取りを最後に二人は互いに背を向けて歩き出した。
「――ふむっ、本来の形であるのに随分と寂しくなった気がするのじゃ」
ラグア達と別れ、アイリスと別れ、一人になったシルヴィがポツリと呟く。
この任務は単独の任務。それ故に一人だけなのが自然の形には違いないはずなのに、今日そうなるのは地下街に来てから初めてだった。
ズキズキッ、と鈍く痛む脇腹に手を当てる。
アイリスに嘘は言っていない。実際、剣術を行使する上で足枷になるほどの痛みではない。人斬りとの一戦にそこまで影響は出ないはずだ。
「ふぅ~~」
一度、大きく息を吐く。
次の瞬間に目標と遭遇しても何らおかしくない。命を賭した戦いが始まっても何らおかしくない。
その状況に神経を尖られながら、シルヴィ・シャルベリーは地下街のさらに奥へと一人歩き出したのだった。