5章ー10話 「暴力の世界」
「そういえば、シルヴィさんは地下に来るのは初めてじゃないんですか?」
「二度目じゃな。一度だけ別の任務でこことは異なる入口から来たことがある。まぁ、その時はあまり長く滞在はせんかったのじゃがな」
「へぇ~。でもやっぱりあれですね、まだほんの入り口でしょうけどやっぱり地上とは雰囲気が違いますね」
「そうじゃな。別世界、と考えるのが正しいじゃろう。もう一度言うておくが油断せず、そして決して此方の側から離れるなよ」
そのシルヴィの言葉に「はい」と頷き、アイリスが少しだけ彼女の側に寄った。
今二人が歩いているのは横幅が人間五人が名連で歩ける程度、天井が二メートルない程度の狭い道だった。
しかしこれでもつい数分前に比べれば道はだいぶ広くなっているのだ。
まずアイリスの物理感知で最初に見つけた入り口。
巧妙とは言い難く乱雑に布や木材で隠されたその入り口は大人一人が屈んでやっと通れるような狭さだった。そこを一人ずつ四つん這いになり匍匐前進のような形で進んでいくと、少しして次に下に降りられる場所が見つかった。
匍匐前進で進んだ通路に不意に下へ降りるための穴が空いていたのだ。そこから下に誰もいないことを確認すると二人はそのまま通路から飛び降りる様にして脱出した。
足を突いた地面は、人二人がギリギリ並んで歩けるほどの薄暗い道。
そこをアイリスの物理感知と魔力感知で周囲の状況を把握しながら二人は進み、歩を進めている段々と道幅は広くなり今に至るという訳だ。
しかし、そんな中アイリスには一つ気になることがあった。
「それにしても…人、いませんね」
地下に入ってすでに少なからず時間は経っていた。
だが、そんな中まだ人とすれ違うどころかその姿を見かけてすらいなかったのだ。物理感知の範囲はそこまで広げているわけでもないが、そちらにも反応はない。
「恐らくあの出入口を知る人間自体が地下にもあまりおらんのじゃろうな。此方も当然、任務にあたるまでは知らなんだ」
「…じゃあそれを知っていたあの子は?」
「恐らく物心つく前から地下で暮らしておる孤児なのだろう。あの出入口を利用し地上で悪さを働き、誰も知らぬ通路で地下へと逃げ帰る。そうやって生きてきた童と考えるのが自然じゃな。そなたの話を聞く限り、どう考えても慣れた盗みの手つきだろうしの」
「…なんか居た堪れない話ですね」
「半端な同情はすすめんぞ。生まれ育ちはどうあれ、盗みは罪じゃ」
少し沈んだアイリスの声にシルヴィは凛とした声でそう返す。
真っ直ぐな瞳に真っ直ぐな言葉。きっと何があってもぶれない様なそんなシルヴィの人間性を窺わせる光景だった。
「…ですね。あたしも『だから返してもらうのは諦める』とまで割り切ることはできませんし」
「うむっ、そうじゃな。まずは眼前の目的を成すことだけを考えるべきじゃ。どうしても気になるのならそれが解決してから気に掛けるが良い」
「はい、そうします」
アイリスが頷く。
そんな彼女の横顔をチラリと見て、
「で、対象の動きはどうなっておる?」
シルヴィが自然な流れでそう確認をとるようにして話題を戻す。
「ちょうど今ある場所で止まったところです」
「ふむっ、住処かはたまた何かの用向きか。どちらにせよ、追いつくのは時間の問題じゃな。距離は?」
「そこまで遠くはありませんね。急いでいけば、そんなに時間は――」
そこで不意にアイリスの言葉が止まる。
その変化にすぐさま気づき、
「――どうした?」
シルヴィがそう問いかけると、アイリスは人差し指を自身の口元に当てて沈黙を促がした。
そして小声で、
「物理感知にひっかかりました。三人、恐らく体型から見て大人の男性ですね。前から歩いてきます」
そう簡潔に告げる。
「ほぉ」、その指摘にシルヴィは一瞬思案する様に顎に手を当てると、
「此方よりも前に出るなよ、アイリス」
すぐにアイリスを護るように二、三歩前へと出た。
コツンコツン、と足音が狭い地下空間に響く。
「どうします?」
「簡単なことじゃ。善人および常人なれば、そのまま何事もなく通る。悪人なれば、力で制圧し押し通る」
後方からアイリスの問いにサラリと答えて、同じく足音を響かせシルヴィが歩き出す。
そして、数秒後。
「お?」
「ふむっ」
お互いの視界がその姿を捉える。
アイリス達が邂逅したのは、お世辞にも綺麗な身なりとは言えない様な三人の男だった。
しかし、その着古した衣類からのぞく肉体は屈強であり腕っぷしの強さが窺える。暴力が日常と化した地下街で生き抜いてきた証拠だろう。
そして彼らは地下に不釣り合いな清潔な衣類に清廉な容姿の女性二人を見て、少し驚いた後にニヤッと粘着質の下卑た笑みを浮かべた。
「やれやれ、後者か。まったく…、これだから治安の悪い場所は嫌いなのじゃ」
シルヴィが苦笑を浮かべながら首を振ってそう言った。