5章ー9話 「地下への新参者達」
「うお~っと…。う~ん、よく寝た~」
心地よさそうな声と共に横になっていた身体をその場で起き上がらせる。
地下街のとある空間。少し開けたその場所は、たまに行商人が訪れたりすることもある様な比較的浅い地下空間だった。
そんな中でその一人の女性は、硬い地面に一枚だけ敷いた簡素な布団に先程まで寝ていたのだ。
といっても、そこで眠ること自体はなんら不思議なことではない。宿などの存在しないこの地下街に置いては道端で眠る者も少なくないのだ。周りを見渡せば女性と同じく床に横になり眠っている人の姿が確認できた。
しかし、それは等しくみな男性であった。
当然だ、こんなところで無防備に女性――それも彼女の様な若い女性が寝ていればいくら浅いと言えども無法の地下街に置いてはそれだけで身の危険に直結する。
ならば何故、彼女は無事なのか?
その理由は一つしかない。彼女を身の危険に陥らせることができる者など地下街どころかこの世界にほとんどいないからに他ならない。
「ふあっ~あ、――…ありゃ?」
欠伸をしながら、立ち上がりそのまま目を覚ますかのようにグーッと伸びをする。
が、そこで女性は目いっぱい伸ばした手の先が何かにぶつかる感触を感じ取った。
一見しただけでは何もないただの宙。しかしそこには目には見えない魔法の壁が張り巡らされていた。
「ふぅー。毎回忘れちまうんだよな、これ」
やれやれと言う風に首を振りながら、壁の内側を撫でる様に触れる。
すると張り巡らされていた魔法の壁が塵の様に消えていった。
「よう、起きたかお嬢さん」
そこで横合いから不意に声がかかる。
話かけてきたその顔を見て、女性は「ああ」と声をもらした。知り合いなのだろう。
「おはようさん、おっさん。早起きだね」
「地下街の優良児は早寝早起きなのさ」
「児って歳じゃとっくの昔にねぇだろ」
「こりゃ手厳しい」
そう愉快そうに笑って、女性に話しかけた少々小汚い身なりをしたワイルドな老人は「よっこいせ」とその横へと腰を下ろした。
そして、
「じゃ、景気づけにいつもの頼むわ」
そう女性に向かって片手を上げた。
「いつものっつってもここにきてまだ三日だけどな」
「それだけ俺らの間にお嬢さんのあれが浸透したってことよ」
「そいつぁ、嬉しいねえ。――じゃあ、ちょっくら期待に応えるとしますか。他のおっさん方からうっせぇって苦情が来たらクレーム対応はあんたに任せるぜ」
「安心しな、来やしねぇよ。それに他の連中も自分で起きるよりも美女に起こされる方が寝覚めもいいだろ」
老人のその褒め言葉に「そいつぁ、どうも」と気軽に答えると、女性はすぐ側に会った自身のバックの中から手探りである巻物を取り出した。
ゆっくり開き、そして手をかざす。すると、ポンという音と共にいつの間にやら女性の手にはギターの様な弦楽器が握られていた。転移魔法術式の描かれた巻物だ。
そして、
「じゃあ今日も朝から張り切って行こうじゃないかい! という訳で、ロックに行くぜ♪」
その朝、とある地下の空間にて激しく力強い楽器の音色が木霊した。
三日前からここで暮らしている一人の流浪の魔法使いの手によって――。
***―――――
楽器の音色が響いていたその場所を地下街の陽とするならば、ここはきっと地下街の陰とでも呼称すべきなのだろう。
王国内でありながら王国の法も秩序も機能していない地下街。しかし、そんな中においてもやはり治安の良し悪しは確かに存在していた。
そして、
「……い、……りない」
ブツブツと何かを呟きながら、良し悪しの中でも恐ろしく悪しに傾いたエリアを一人の男が歩いていた。
フラフラと左右に揺れるような足取りではあるものの、顔色は悪くない。しかし、その瞳はどこか好戦的な色を携えながら怪しく光っていた。
腰に差したる長めの刀も相まって、普通の人間ならば絶対に積極的には関わりを持とうとは思わない様な雰囲気を男は放っていた。しかし、ここは地下街。その中でも治安が最悪とも言われるエリア。
「おう、とまりな兄ちゃん」
必然、単独で歩く見慣れない顔の部外者というだけで男がここの住人に絡まれることになるのは時間の問題だった。
「あ?」、前方からかけられた言葉に男がゆっくりと顔を上げる。
前方には身長が二メートルはあろうかと言う大男。縦にも横にも長いガッシリとした体形をしている。そしてそのままチラリと視線を周囲へと動かせば、左右に一人ずつ別の男が立っていた。
大男の手下なのだろう、二人とも武器を構え口元には嘲るような笑みが浮かんでいる。
「――何か用か?」
三人の代表であろう話しかけてきた大男へとシンプルな問いを投げかかえる。
返ってきたのは「身ぐるみ全部置いてけ、命が惜しけらな」というこれまたシンプルな答え。
その答えに「はぁー」とため息を一つ吐くと、彼はゆっくりと前へと歩き出した。
唐突なその行動に大男が一瞬目を丸くしたかと思うと、すぐに腰に差した大きな鉈の様な武器を手に取った。――しかし、
「――――………あ?」
そこで大男が唖然とした声を上げた。
そして、次の瞬間視界に身体を袈裟斬りにされて胴体から血しぶきを上げる子分二人の姿が映った。同時に、
「っ!? ああっ、ぎゃあああああっ!?」
胸の中央に激しい痛みが走った。
その正体を確認しようと反射的に目を自身の胸へと向ける。そして、身体が倒れそのまま地面に激突する一瞬前に大男の目に映ったのは、自分の胸にいつのまにやら刺さっていた長刀が引き抜かれ血液が滝のように噴出する光景だった。
そこで大男はようやく気づいた。
自分たちが絡んだ男が、絶対に関わってはいけない最悪の死神だったことに。
先程まで生きていた三人が嘘の様に一瞬の内に亡骸と化して血の海へと沈んだ。
そしてその状況を作り出りた男は再びゆらゆらと揺れる様な足取りで何事もなかったようにその場から歩き出した。
「…足りない。もうこんな雑魚じゃ何一つ満たされない」
うわごとの様に呟きながら、男はまだ見ぬ強者を見据えていた。
「教えてくれよ…、俺は強いのか? 弱いのか? 冒険者は斬った、傭兵は斬った、兵士は斬った、騎士は斬った。――そうだな、なら次の相手は決まっている。早く会いたいな、『近衛騎士団』」
人斬りは求める。
そしてその求めに従う様に、その日一人の近衛騎士が一人の少女を引き連れて地下街にやってきたのだった。
それぞれの求めに従い、それぞれの目的のために、多くの思いと人がこの無法の地下街にて交差する。
これはそんな長い長い一日の物語だ。