5章ー4話 「名乗り」
「むぅ~、まいった…」
髪留めをポケットからスラれて数分後、アイリスは王都の中央一番通りにて一人頭を抱えていた。
完全に相手の痕跡を見失っていたのだ。いや、そもそもスリに気付いた時点で相手は人ごみに紛れさせて姿を消しており、その後ろ姿すら確認できてはなかった。
その状況から追い始め、追っているうちに後姿を捉えるくらいはできるだろうと思っていたアイリスだったが、相手の動きが俊敏なのか結局はそれすら見つけることはできず時間だけが浪費させられてしまった。
その結果、現状では手がかりなし。完全に撒かれたと言ってもいい状況に陥っていた。
ここから先程のスリ犯を見つけて捕まえるのは絶望的に思えた。そう、二週間前のアイリスだったならばだ。
「しゃーない」
足で闇雲に探すのは諦めて、一度完全に足を止める。
止まった場所は少し開けた広場の様になっており、人通りも増して多い。そんな広場に備え付けられているベンチへとアイリスはゆっくり歩いていきそのままそこに腰を下ろした。
そして、その場で眼を瞑り「ふ~」と一度大きく息を吐く。
あの戦いでの経験からアイリスは学院で生活していた頃よりも剣や魔法をより深く学ぶことに対して貪欲になっていた。
二度とあんな思いをしないため、二度とあんな後悔をしないため。あのとき『聖女』に言われた言葉、それを胸に刻み込み、更にできることを増やそうと今までにまして努力をし始めた。
そんな努力の一つが魔力感知の習得だ。物理感知とは違い魔力の持つ物質の個別感知が可能な技術、扱うには魔法のセンスと長い修練が要求されるが会得すれば戦闘の幅は大きく広がる。
アイリスには当然その魔法のセンスがあった。そして何より二週間前から同居しているのは『中央魔道局』の長なのだ。その技術を教わり磨く環境は最高とも言えた。
故に、
「さて、やりますか」
二週間という短い期間の中でアイリスは簡易な魔力感知をすでに会得していたのだ。
精神を集中し、自身の魔力を鋭く研ぎ澄ます。
追うべきはぶつかった子どもの魔力――ではなく、持ち去られた髪留めが纏っている老人の強い魔力。
より精度を上げるため左手で現在身に着けている髪留めに触れながら、自身の周囲を円状に感知範囲を広げていく。そして、
「み~つけた♪」
アイリスの魔力感知が移動する髪留めの魔力を捉えた。
今のアイリスの位置から南西に一キロほどの位置をやはり南西に向かい移動中だ。人と建物の密集した王都、その中を走る子どもにしては中々のスピードなのだろう。
恐らくその迷いない動きから見て相手には相当の土地勘がある。アイリスが撒かれるのも無理はなかった。
しかし、位置がわかればこっちのもの。アイリスの全速力のスピードはその比ではないからだ。
「よしっ」
位置をしっかりと補足し、アイリスは円状に展開していた感知網を引っ込めた。
前述した様にアイリスの魔力感知はまだ簡易の域を出ない。感知範囲には限界があるし、位置も大まかにしかつかめない。それ故に対象を一つに絞ることで感知の距離と正確さを底上げしたのだ。
これで見失うこともない。あとは追いかけて、その姿を見つけ捕まえるだけ。
そう思い、アイリスはベンチから立ち上がりすぐさま魔力感知に従いスリ犯を追おうとした。
が、
「――?」
そこである異変にアイリスは気付いた。
対象の動きがある場所で停止したのだ。そして何かごそごそと動いたと思ったら、その位置が再び動き始める。だが、その動く座標は下へと進み始めたのだ。
先程まで対象は地面を移動していた、それは間違いない。それが地面よりもさらに下に動いたとなると――、
「地下に移動した? それも結構自由に動いてる。………え? 王都って地下空間なんてあるの?」
王都にあまり詳しくはないアイリスは知識としてはそのことを知らない。しかし、対象の移動の仕方からしてその推察はまず間違っていない。
――これはどうしたものか?
一端足を止め、少し考える時間をとる。
地下というだけで常識が反転するような世界になっているなどということはないはずだ。しかし、アイリスの今までの人生で王都の地下の空間について誰かから聞いたりしたことはない。初めて王都に来た翌日にデイジーに王都案内をしてもらった時でも彼女は地下について一切何も言わなかった。
ここからはアイリスの想像だ。
それを総合すると、恐らく王都の地下空間は公的な場所ではないのではなかろうか? 少なくとも普通に生活していれば関わらないような。
つまり、そこには少なからず危険はある。
それを正しく認識した上で、
――ま、行ってみなくちゃ始まらないか。そもそもこのまま大事な髪留めをくれてやるわけにはいかないしね。貰って数分で誰とも知れない人にスラれましたじゃ、お爺ちゃんに顔向けできない。
アイリスは迷わず対象が地下へと移動したであろう場所に向かい歩き出した。
***―――――
少ししてアイリスが辿り着いたのは、デイジー邸の周辺とは異なり少しさびれた雰囲気すらある路地だった。周囲に建物は建っているものの普段生活している王都の様な華やかさはあまりない。
ただ暮らすだけの住居といった感じだ。その上、いくつかはもうだれも住んでいない廃屋と化している。
――こんなところに地下への入り口が?
対象の気配が下へと移ったのは間違いなくこの周辺。
しかし、あからさまな地下への道は見当たらない。そうなると次に考えられるのは、
「――そこの娘。そのままその場で手を上げて、一歩も動くでない」
「!?」
そんな風に考えていたとき、アイリスの後ろから唐突に声がかかった。
肩がビクンと跳ねる、聞こえてきたのは若い女性の声だ。
それが耳に届いた瞬間に反射的にアイリスは体を反転させながら前方へと飛んだ。そして、腰の布袋へと手を入れ声の主と向かい合う様な体勢をつくる。
「――ほぉ」
その素早い反応と軽快な身のこなしに声の主は感心した様に息を吐いた。
向かい合うアイリスの目に映ったのは、どこか高貴さの漂う美しく若い女性だった。アイリスともそこまで歳は変わらないかもしれない。
目を引くのはもう一つ。女性が着ている何かの制服の様な衣服と腰に差した剣だ。それが女性の容姿とどこか噛み合わず、それが逆に強く目を引いた。
少なくとも彼女がこの周辺の様な場所に住んでいる人間とは思えない。
加えて、
――ちょっと何か誤解されている状況かな? それはまずい。この人、かなり強そうだし。
相対しただけでその力量の高さをアイリスは感じ取っていた。
ただ立っているだけにも見えるが、立ち姿に隙が無い。まるで地面からピシッと身体の中央に線が一本と通っているかのような一切ブレていない見事な重心だ。
「…えーっと、動いちゃったのはごめんなさい、反射です。それであの…失礼ですがどちらさまでしょう?」
敵対するのはどう考えても得策ではない。
ペコリと頭を下げ、下手に出て丁寧にそう問いかけるアイリス。
が、
「…ぬ? 此方を知らぬじゃと?」
そのアイリスの言葉に女性は信じられない様にポカンとした表情を浮かべた。
その言葉からすると、どうやら女性は王都では有名人らしい。しかし、王都歴の浅いアイリスからすれば完全に見知らぬ人だった。
「…えっとすみません。実は王都で暮らし始めたのが最近で」
適当に誤魔化して後で厄介ごとになっては嫌なので素直にそう伝える。
すると、
「――ふふっ。そうかそうか、そなたは此方を知らぬか。ならば名乗りを上げねばなるまい」
有名人である自分を知らないとはっきり伝えられる。
人によっては不機嫌になるかもしれないその言葉に、女性は怒るどころかどこか嬉しそうにそう笑った。
そして、
「よく聞き、括目せよ。此方こそ『近衛騎士団』に咲く高貴にして荘厳なる一輪の花。『近衛騎士団』四番隊隊長!! …補佐。シルヴィ・シャルベリーである!!」
背後に花が咲くかのような華やかなポーズと共にアイリスに凄まじく堂々とその名を名乗ったのだった。