1章ー2話 「やがて英雄となる少女」
孤児院の宿舎の屋上。そこに中央に一人の小柄な少女が立っていた。
肩口までのびた金色の髪はあまり手入れがされている様子はなく少々荒れており、意思の強そうな深緋色の瞳をしている。そしてその少女の肌には珠のような汗が浮かび、右手には木剣が握られていた。
フッと少女は息を吐き、両手で木剣を構えるとそれをゆっくり頭の上まで持ち上げると、力を込め一直線に前に振り降ろす。木剣が風を切り、シュッと音が鳴る。
木剣の振り降ろされた軌道は歪みなく、少女が昨日今日からこの木剣を振っているわけではないことが示されていた。
少女は再び木剣を振り上げ振り降ろす。屋上に吹く風が頬を撫でて金髪が揺れが少女は表情を変えずただその動作を続けた。
「――いい太刀筋だな。誰かから習ったのか?」
少女が一定の回数を終えて、一息つこうとしたとき後ろから声がかかる。
振り返ると屋上の入口のドアが開いており、ドアの横の壁に寄りかかりこちらを見つめる男の姿があった。
「……おっさん、誰だよ?」
少女は不機嫌そうに眉を寄せ、着ている服の汗をぬぐうと不信感丸出しで尋ねる。そしてその少女の言葉に男は明確にへこみ、哀愁の漂った顔で空を見上げた。
「ああ、やっぱり俺もうおっさんなのかな…」
「いや普通におっさんだろ。つーか質問に答えろよ、誰だおっさん、変態野郎か?」
「口悪っ!? あのババアは一体どういう教育してやがんだ。……はぁー、まあいいや。俺はグリシラ・リーヴァインってんだ。名前は聞いたことあんだろ」
「いや、ねーけど」
自信満々に名乗ったグリシラを少女は即答で一閃した。
「マジで!?」と一人落ち込む男―グリシラを横目に少女は一人納得したように頷く。
「あんたのことは知らねーけどリーヴァインてことは、ここの出身者でしょ。こんなふざけた家名が他にあるとも思えねーし」
「……ま、そんなとこだ。さてお前も質問の答えろよ、がきんちょ」
「答える義理はねーんだだけど。……独学だよ。ここに来て、この木剣見つけてから毎日振ってる。あたしは強くならなきゃいけねーんだ」
そう言い放った少女の瞳には強い意志が刻まれていた。
それを見たグリシラはフッと笑って腰の辺りに着けている布袋を漁り、中から小さな巻物のようなものを取り出す。
その様子を怪訝な顔で見ていた少女は、グリシラが巻物を開き、手をかざすとその右手に自分の使用しているものより一回り大きい木剣が出現したのを見て微かに驚きを含んだ声を出す。
「……転移魔法術式」
「俺の名前知らねーくせに、こういうのは知ってんのかお前。その通り『転移魔法術式』だ。といっても術式組んだのは俺じゃねーけどな、俺は魔法からっきしだし」
グリシラはそのまま右手で木剣を構えると、数歩前に進み切っ先を少女に向ける。
「よっしゃ、いっちょ稽古をつけてやる。打ち込んでこい」
「は? 何言ってんだよおっさん。やだよ」
少女は変なものを見るような眼でグリシラを見ると、にべもなく拒否を示し、素振りを再開しようとする。しかし、そんな少女の背中に再び声がかかる。
「俺の経験上、剣は実際に対人で稽古を積むのが一番だ。実践的だしな。あー、安心しろ俺は受けるだけだから好きに打ち込んできていいぜ。といってもそれでも怖くて嫌だって言うんならしょうがね――っと」
―――パンッ!!
木剣同士がぶつかる音が屋上に響く。グリシラの右手の木剣に踏み込んで打たれた少女の木剣が交差していた。
――いいバネだ。踏込、剣の威力の威力も上々。
グリシラは内心で笑みをこぼす。
「安い挑発だな、おっさん。けどのってやるぜ!!」
少女が好戦的に犬歯を見せ、好戦的な笑みを浮かべる。
グリシラも同様に笑って見せた。我ながら安い挑発だと思う。しかもこんな小さな少女に向かって。大人げないったらありゃしない。
しかし、それを踏まえてでもグリシラには確かめたいことがあった。
「――いくぜ!」
そう言った瞬間、少女は一度沐剣を引き半歩後ろに下がると、小さい体を駆使し素早い動きでグリシラの左手に回り込み横合いに木剣を振るう。対してグリシラは体の向きを変えることなく右手を回して少女の刃を受け止める。
再び屋上にパンッという音が響く。しかし今度の音は一度では終わらない。
少女は自分の木剣が受け止められた瞬間に身をひねり移動し、素早く次の刃を打つ。そしてグリシラは四方から打たれる少女の刃をその場から一歩も動かずに受け続ける。
木剣が打ち合った回数が10を超えたころ、再び左手から少女の刃が振るわれる。グリシラが受け止めようとするが、ここで変化が起こる。少女は木剣が交差する一瞬前に手を引き、刃の軌道をグリシラの足へと向けなおす。刃が無防備な右足へおちる。
「おっと、あぶね!」
「ちっ!」
木剣が当たる寸前、グリシラはひょいっと後ろへ飛び、少女の刃は空を切る。悔しそうに少女は舌打ちをするが、グリシラの顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
少女は十回程度の打ち合いで、正攻法では無理だと判断し変化を加えてきたのだ。
楽しくなってきた、そうグリシラは感じていた。そして、
「――いいね。剣才があふれでてるぜ」
自然とそんな言葉が口から洩れるのを止められなかった。
十分後、屋上には大の字に倒れてゼーゼーと息を吐く少女と右手の木剣を肩に担ぎ、立つグリシラの姿があった。
「お前すげぇな! その歳でこんだけ剣振れて、剣術も独学ってんだから中々のもんだ」
グリシラの心からの感心の言葉に、少女は心底嫌そうに表情を歪める。
「……嫌味かおっさん。あたしは手も足も出なかったじゃねーか」
「ん? そんなの当たり前だ。年季がちげーよ。それに国中探したって俺とサシでやりあって勝てる奴なんて5人いないぜ」
そんなグリシラの言葉に「まじで?」と少女は驚き、目を丸くする。
少女が初めて見せた年齢らしい表情に自然とグリシラの頬が緩み、少女に対する関心がわく。
「絆を深めたところでちょっと質問してもいいか?」
「深めたつもりはねーよ! けどまあ、めんどくさいけどいいよ」
先程の剣の打ち合いで少しだけ心を許してくれたのか、少女は体を起こし地面に座って答える。
「強くならなきゃいけないって言ってたよな。なんでだ?」
それは単純な質問。しかし大事な質問だった。
いくら孤児という特殊な環境であっても、こんな幼い少女が強さを求め日々木剣を振っているなど、普通ではない。
しかし、そんな環境だからこそ力を求める要因が一つ思い当たる。それは復讐だ。
親に捨てられ、この孤児院に行きついた子どもには実の親を憎んでいる子もいる。もちろん物心つく前から孤児院の子だったり、そんなこと思ったことないというケースが多いし、実際に憎んでいても直接害を及ぼそうなど普通考えない。
しかしもしそうならば、
「――世界を変えたいんだ」
「……は?」
「だから、強くなってこの世界を変えたいんだ! ……あたしは五年前に母親に捨てられた。別に恨んじゃいない、色々事情はあるもんだ。でも、この世の中じゃ捨てられた子がだれもかれもあたしみたいに生き延びられるわけじゃない」
そう言うと少女は、立ち上がり空を見上げる。その表情には決意がこもっていた。
「だからあたしは変えるんだ。みんなが当たり前のように生きられる世界に――人並の幸せをもって笑えるように」
屋上を沈黙が支配し、風の音がいつもより大きく聞こえた。そしてそんな空気を、
「――ぷっ! わははははは!! せ、世界を変えるかそりゃいいや!!」
グリシラの笑い声が一変させた。よほどツボにはまったるしく腹を抑え笑う。少女の答えはグリシラの全く想像外で、壮大なものだった。
そんな様子に少女は顔を真っ赤に染め、眉を吊り上げて怒りを露わにする。
「うっせーな! 確かに今はそんな力はねーけど、10歳になったらこの家を出て傭兵団に入る、そこでもっと力をつけんだよ! そんなに可笑しいか、てか笑いすぎだおっさん!!」
「ははっ。ふー、いや悪い。別にお前が可笑しいから笑ったんじゃねーよ。お前が面白いから笑ったんだ」
「一緒だろーが!」
「いや違うな。まあ俺の感じ方の問題だけど」
笑ったことで目元に浮かんだ涙を指で拭いながら、グリシラはなぜこの少女に初めて見たときに関心が向いたのかその答えを得た。
どうもこの少女は昔の自分に似ている。幼心に力を求め、独り孤児院を出て行った自分に。
いや、この年齢でそこまで大きなことを心に秘めているのだ、自分よりはるかに優れているのかもしれないが。
「なあ、がきんちょ。歳はいくつだ?」
「9歳。あとひと月で10歳だ」
「ん? さっきおまえ、10歳になったら家を出てくって言ってたよな、まあババアが認めないだろうけど。つまり来月には出てくつもりだったのか?」
グリシラのその指摘に、少女の顔が曇る。
「……院長先生にはホントに感謝してるよ。あの人はあたしを実の子どもみたいに育ててくれたしね。でも――」
そう言葉を区切り、少女は顔を上げる。その瞳には強い覚悟の炎が宿っていた。
「もう決めたことなんだ」
「そうか。―――よし!」
少女の言葉を聞き、グリシラは何かを決めたかのように頷く。そして、
「おまえ、俺の娘にならねぇか」
そんな言葉を少女に投げかけた。その提案に少女は心底驚き、声を上げる。
「はぁ!? 何言ってんだおっさん、やっぱ変態かよ!?」
「いいから聞けっつの。まず傭兵団なんてお前みたいな10歳ぐらいの女のがきんちょが行ってもまず門前払いだぜ」
「そんなこと承知の上だ!」
「いや実際相手にもされねーぜ。経験者の俺が言うんだから間違いねーよ」
「経験者?」
少女の顔に疑問が浮かぶ。
「おう。俺も今から22年前に、10歳でここを出て行ったからな」
「まじで!? で、でもおっさんは強くなってるじゃねーか! ならあたしだって」
「俺の場合、結構運が良かったってのもあるさ、いい巡り会わせが何回もあったしな。それでも何度も死に掛けたのが事実だ」
そう前置きし、グリシラは少女に真剣な目を向ける。
「だから、今からだとそうだな……成人を迎える15歳ぐらいだな。それまでに俺がおまえを鍛えてやる。だから俺と来い、そこで15歳までに強くなれ」
そこまで言って一呼吸置き、
「そして、いつかおまえが―――世界を変えてみせろ」
グリシラはそう少女に笑いかけた。
屋上に再び沈黙が訪れる。
どれくらい経っただろう、少女が口を開いた。
「1個だけ聞いていいか」
「おう」
「なんで見ず知らずにあたしにそんなことを提案するんだ?」
「理由は3つある。1つ目はお前には剣の才能があると感じた、それも相当な。2つ目はおまえは何だか昔の俺に似てるから、なんか危なっかしくてしょーがねー。3つ目は……あーなんだ、俺は今まで傭兵やってたんだけど先日休業することにしたんだよ。それでだな……一緒に暇をつぶす相棒が欲しかったんだ」
少女がポカンとした顔をする。そして、少女に一つの感情が湧きあがり、
「―――ぷぅ、ははははは。なんだおっさん寂しがりだったのか!」
「うっせーよ」
屋上に再び笑い声が響く。
しかし、その笑い声はすぐに止み少女はどこかすっきりしたような表情を見せる。
そして、
「わかった! あんたの話乗っかるぜ。あたしを強くしてくれ」
少女の反応にグリシラはどこか安心したような、そして楽しげな表情を浮かべた。
それと同時に今まで聞いていなかった重要なことを思い出す。
「おっとそういや大事なこと聞いてなかった。おまえ名前なんて言うんだ?」
「ん、そういやそうだな。あたしはアイリス。アイリス・リーヴァインだ」
――この日、1人の英雄が1人の少女と出会い、その運命を変えた。
そしてこの出会いは世界の運命を変えることとなる。