1章ー1話 「変わらないもの」
一週間後、グリシラは先週まで滞在した町の二つほど隣にある中規模な街の中の、とある建物の前に立っていた。
「――久しぶりだな、全然変わってねえじゃねーか。相変わらずボロい」
グリシラの目の前には二十年以上前に自分が暮らしていた孤児院があった。
石造りの壁では蔦などが絡み、鉄でできた門は錆びついているが、これもグリシラがいた当時と何も変わらない。変わったところがあるとするならば、グリシラがいた当時は何もないただ広大なだけの庭にいくつかの遊具が設置されていることくらいだ。
そしてそんな昔の思い出に浸っていると、横合いから声がかかった。
「…おや、これは懐かしい生意気そうな顔がいるじゃないかい」
いきなりの失礼な声にムッとしてグリシラが目線を向ける。そして、その顔を驚きと懐かしさが覆う。
簡素な服装にエプロンを身に着け、真っ白に染まった頭髪を後ろに適当にながした老婆がそこに立っていた。そしてその背後には一人の小さい子どもが付き従っている。
その孤児院と同じく変わらない姿に自然と笑みがこみ上げ、グリシラは口を開く。
「おお! 久しぶりだな、まだ生きてやがったのかババア!」
「それはこっちのセリフだクソガキ! 二十二年も連絡よこさねーから、当の昔にどっかでのたれ死んだかと思っていたよ」
「アホか、俺は今やそこそこ有名人だぞ! どんだけ情報の少ない世界で生きてんだよ!」
「やかましい、情報得ても三歩歩けば忘れるような頭の造りしてるおまえにはいわれたくないわ、たわけ!」
ムーッとお互いに睨み合うが、直ぐにその顔は崩れ、お互いに笑みが浮かんだ。
グリシラの言うように、今やグリシラ・リーヴァインの名はこのサリスタン王国どころか他国にまで響き渡っているため知らないはずはない。そして、グリシラ自身もある方法でこの老婆の院長がいまだに存命であることは知り得ていた。
「…院長先生、この男の人は誰?」
すると先程まで院長の陰に隠れて二人の会話をポカンとした様子で聞いていた少女が問いかける。怖いのかグリシラのことを見ようともしない。
そんな少女の目線に合わせるため院長がしゃがみ、グリシラへ向けたものとは明らかに違う優しい口調で話す。
「あーごめんよマリー。この厳つい顔のおっさんはグリシラっていうんだ。20年以上前にうちにいた子だよ」
「おい、俺はまだ32歳なんだが…」
「32にもなったらおっさん以外の何者でもないだろう。やーい、おっさん!おっさん!」
「相変わらずなんてむかつくババアだ!」
再びいがみ合いを始めようとする二人に、先程とは違うマリーと呼ばれた少女の安心したような穏やかな声が割り込む。
「そうなんですか~。どおりで院長先生ちょっとうれしそうです! ゆっくりしていってくださいね、おっさん」
そうさらりと毒を吐くとその少女はスキップをしながら、一人孤児院の中へと入って行ってしまった。そして、その光景を見て、院長とグリシラはハァ――っと大きなため息を一つつき、
「―――おかえり。グリシラ」
「おう、ただいま。ババア」
親と子が再開の挨拶を交わした。
*****―――
「しっかし、あれだな。外から見た感じは昔と変わんなかったけど中はけっこう変わってんな。俺がいたころは腐りかけだった机とか椅子とか綺麗になってるじゃねーか」
数分後、院長とグリシラは二人並んで孤児院の教室があるエリアの廊下を歩いていた。
グリシラの言うように孤児院の内部は、数年前に大規模にリフォームされており、壁や床は新品とはいかないまでも綺麗に整備され、教室内部も一般の学校のように綺麗で設備が整っている。
「……ふん、十年以上前から差出人が不明の寄付金が毎年贈られてくるんだよ。その金を使って子どもたちが暮らしやすいように改良してるんだ」
「はー、ずいぶん奇特なやつがいるもんだな! こんなババアが1人でやってるおんぼろ孤児院にそんな寄付金送るなんて」
「ああ、そうだな。おまけにそいつは金の価値がいまいち分かってないらしくてな。私の預金が年々増えて、とんでもない量になってやがる。……おそらく、孤児院育ちで金に興味のない筋肉ダルマの生意気でアホな男だと私は思うんだがな。お前はどう思うグリシラ」
「さあな~。物好きの貴族とかじゃね。人の厚意を素直に受け止められなくなったら終わりだぜババア。それに余った金は好きに使っていいんじゃねーか。ガキども連れて旅行でも行って来ればどうだ?」
「……まあ、ひとまずそういうことにしといてやるか」
とぼけた様にヘラリと笑うグリシラ。
そしてその様子を見て、呆れたようにハァーっと息を吐く院長。
しかし、やり取りをする二人の様子はまるで二十年前に戻ったかのようだった。
そんな歩く二人の耳にドタドタっと慌ただしく走る音が聞こえてくる。
そして、その音の主はグリシラ達が差し掛かろうとしていた曲がり角から飛び出し、キキキッと靴でブレーキをかけて、ストップした。
孤児院の、それも廊下を走っていることからグリシラは「元気な子だな」と心中で子どもと判断し、院長は院長で立場からして「廊下は走っちゃダメだよ!」と注意しようと声を上げかけていたのだが、予想外なことに飛び出してきたのは二十代の前半と思しき、特徴的な茶色の髪を後ろで一つに纏めた女性だった。
服装は院長と同様に簡素な服装にエプロン姿だが少し短めのスカートを履いており、女性らしい体つきをしている。
そして、その女性はグリシラを見るなりその顔を笑顔に染め、グリシラに飛び掛かってきた。
「おおおおおおお!! 久しぶりー!! グリシラ兄ちゃん!!」
突然の女性の行動に驚いたグリシラだが、戦場での経験からか素早く体が反応し、女性の脇の下の辺りを手で支え空中で受け止め、まるで親が小さい子を持ち上げているような状況になる。
そして、その女性の顔をまじまじと見てグリシラは心底驚いた様な声を出す。
「……お前、シオンか!?」
「大正解!! あなたの可愛い妹分、シオン・リーヴァインですよ~」
グリシラの言葉を聞き、嬉しそうな顔をさらに明るくする。
「いや~、マリーが母さんがグリシラって名前の男の人と喋ってるっていうもんだから洗濯の仕事を途中でほっぽいてダッシュで来ちゃったよ! で! どう? 十年ぶりの大人の美女となった妹は? ん? ん?」
「テンションたけーな!? ……まあ、あれだな。うん、美人になったな、シオン」
「でしょー! やっぱ絶世の美女でしょ! えへへ~」
グリシラの言葉に、今度は顔がにやけ嬉しそうな声が漏れる。
実はシオンは院長とは異なり、グリシラが孤児院を出た後も何度か顔を合わせる機会があった。といってもここ十年ほどは実際に顔を合わす機会がなかったのだが。だがここで「ん?」とグリシラの脳内に疑問符が浮かぶ。
「……シオン、たしかお前って俺と二つしか歳は違わないよな?」
「ん? そだよ」
その言葉を受け、両手でシオンを持ち上げたまま後ろの院長を振り返る。
すると院長は中庭を遠い目で眺めていた。その表情は哀愁に満ちていた。
「あれだね。稼ぐ手段も決めず10歳で勝手に出ていく子も問題だが、大人になっても子どもみたいに世話のかかってずっと出て行かない子も問題だね…」
そして、再びグリシラはシオンに目を向け、
「ということはお前、もう三十――グハッ!?」
グリシラの言葉は、持ち上げられた体のまま体を捻り繰り出されたシオンの回し蹴りの顎へのヒットによって途中で強制的に止められる。そして、蹴りを放ったシオンは空中でひらりと身を回し着地する。
「いってーよ、何すんだ!? あと思いっきりパンツ見えたぞ!」
「相変わらずデリカシーがないな~。 乙女に年齢の話するとかさ」
シオンは何の気なしにそう言い放つ。だが次の瞬間、その頭にいつの間にか隣に来ていた院長の拳骨が落ちた。
「いったいな、何すんのよ母さん!?」
「――いいかい、シオン。働かなくても食っていいのは子どもだけだ。お前は大人だろ? ん? こんな立派なものぶら下げてるのだから」
そういって院長はシオンの豊満な胸をポンポンと叩く。
本来なら恥ずかしがる場面なのだが、当のシオンは文字通り胸を張り誇らしげにしている。
そんな様子に院長の額に青筋が浮かび、シオンの首根っこを掴む。
「ちょ、ちょっと!? 母さん!?」
「そろそろ、夕飯の準備があるだろ。食堂へ行くんだよ!」
「ふっふっふ、謹んで断る! 私はこれからグリシラ兄ちゃんに改装された孤児院を紹介かつ自慢して回るという重大な使命が―」
「あんたさっき洗濯ものほったらかしにしてきたって自分で言っただろうが! まずはそれを片付けなさい、バカ娘!」
そう若干荒れた口調で言うと院長はシオンをズルズルと引きずって歩き出す。そして思い出したかのように振り返り、
「このバカ娘の言うとおり、結構他の場所も変わってるから見て回ってくればいいさね。今すぐ帰るってわけじゃないんだろ」
そう立ち尽くすグリシラに言うと、院長は老婆とは思えぬ力でシオンを引きずりながら、曲がり角を曲がって食堂のあったエリアへと行ってしまった。
グリシラはその後ろ姿を眺め、「兄さ~ん! た~す~け~て!」と悲痛に叫ぶ妹分の声を聴きながら、本当に嬉しそうに笑みを浮かべ、
「ホント、変わらねぇな~」
そう、廊下で一人つぶやいた。
院長に連行されるシオンを見送った後、グリシラはかつて自分が寝泊りをしていた木造3階建ての宿舎の前にいた。
この宿舎は、先程の昼間に勉強を教える教室や朝昼晩の食事をとる食堂がある場所とは渡り廊下で繋がっており、ここからは広大な庭が見渡せる。
現在、時刻は午後4時30分。遊びたい盛りの孤児院の子どもたちの姿が見て取れた。
グリシラは少し躊躇するが、宿舎の中に足を踏み入れた。
「お! 確かに凄いな、こりゃ」
院長やシオンの言っていた通り、その内部の構造自体グリシラのいた頃とたいして変わってはいないが、その他は大幅に改善されており、腐りかけの壊れかけだった床や壁、窓は新装されていた。
キョロキョロとまるで不審者のように色々な個所を見渡しながら、グリシラの足は自然とある場所に向かっていた。
階段を二つ上がった3階の一番奥の部屋。その部屋はグリシラ・リーヴァインが生まれてすぐ顔も見たことのない親に捨てられて、院長に拾われてから9歳で出ていくまで暮らしていた部屋だった。
近づいていくにつれ心なしか感情が高ぶるのを感じる。そして、その部屋の扉を見た瞬間にグリシラの顔が驚きに染まり、そして次第に呆れたような、うれしそうな、そんな表情に変わる。
宿舎の扉は、壁や床などと同様にすべて改築されており、綺麗な木材で造られていた。しかし、その扉だけは当時と変わらずおんぼろのままで、金属製のドアノブは錆び、扉には『グリシラ』と下手くそな字で書かれたプレートが打ち付けられていた。
この孤児院で育てられた子ども達は、15歳を過ぎたあたりから各々仕事を見つけ自立していく。もちろん、グリシラやシオンといった例外もいるにはいるが大半がこれに当てはまる。
その際、部屋に打ち付けられたプレートは外され、新しい子どもが入ったときにその子の名前が書かれたプレートが打ち付けられる仕組みとなっている。
つまりそれが取り換えられていないということは―――
「まったく…」
そう一言つぶやくと、グリシラはドアノブを回して部屋に入る。
想像通り、中は出て行った時のまま家具の配置なども変わっていなかった。掃除も行き届いており、まるで「いつ帰ってきてもいい」という思いがこもっている様だった。
グリシラは部屋の奥まで進むと、備え付けられている窓を一気に開放した。
夏から秋に代わる時期。心地よい風が部屋の中に舞い込んだ。
――――ああ、来てよかった。
そんな思いがグリシラの心を満たす。
勝手に何も告げず、自分勝手に出て行った。そんな自分を変わらぬ態度で迎え、帰る場所をとっておいてくれた。
そんな家族に温かさをもらった気がした。
「ん―、さーってと! そろそろお暇とするか」
背筋をグーッと伸ばし、晴れやかな顔でそうグリシラはつぶやいた。
自分がいつでも帰ってこれる場所を残しておいてくれたことは嬉しい。でも、もうここは自分のいるべき場所ではない。そう思い、窓から見える元気一杯の子ども達を見る。
―――最後に院長とシオンの顔を見てくかな。
そんなことを思い、窓を閉めようとした次の瞬間。
何かが風を切るようなそんな音がグリシラの耳に聞こえてきた。音の出所は自分のいる3階よりさらに上、屋上からだった。
そしてこの音。グリシラにとっては何度も聞いている馴染みのある音だ。それは、
「木剣を振る音だな、……誰だ?」