プロローグ 「すでに英雄となった男」
「…なんだか疲れちまったなー」
肩に大剣を担いだ男は戦場で一人つぶやいた。
男は見た目は三十代半ば程。短い黒髪で鋭い目をしている。
身長は190cm近く、その肉体は鍛え上げられ引き締まり、腕や首は丸太のように太かった。
大剣と男の体は返り血で真っ赤に染まっており、そして男の周りはおびただしいほどの敵兵の死体で埋め尽くされていた。
見慣れているはずのその光景を見て、男――グリシラ・リーヴァインはフッと小さく笑い、空を見上げる。その瞳には空虚さが詰まっていた。
「少しだけ…休むか」
次の瞬間、遥か後方で勝ち鬨が挙げられて、この戦争の終焉が告げられた。
*****―――
「まったく、グリシラ殿には敵いませんな!!」
場所は兵士たちによって貸し切られ、戦争の勝利による活気が溢れかえっている酒場。
先程終戦となった戦争の現場指揮官フリック・ダヌリフは木のジョッキ一杯の酒を一気にあおり、対面に座っているグリシラへと賛辞を贈った。
「敵陣の中での鬼神を思わせる暴れぶり、恐れを知らぬ勇敢さ。このフリック・ダヌリフ、王国軍兵士となって30余年になりますが感服いたしましたぞ! さすが王国五勇星に数えられる御方だ!!」
よほど酒が入っているらしく、その熱の籠った言葉にグリシラは苦笑する。
「褒めすぎだ。ガキの頃からずっと戦場にいたもんだから、生き残るために力だけ磨いてた。そしたら、いつの間にかそんな恥ずかしい大業な呼び名が付いちまっただけだ」
「ハハハハハハ!! 謙遜することはないですぞ! この北部の戦争グリシラ殿の助力があったからこそ、これほど少ない犠牲と短い時間でけりがついたのです。なあお前たち!」
フリックが酒場で上機嫌に飲んで、食べて、果てには踊っている兵士たちにそう問いかけると、「その通り!」「当然っすよ!」「グリシラさん、万歳!」と若い兵士たちの声が上がる。
そんな自分を讃える声を浴び、再びグリシラは苦笑する。
「いやはや、正直私もここまで早く戦争が終わるとは予想してませんでした! 家のほうで待っている家内と子ども達にもむこう一年は帰れないと伝えていたのですがね。こんなに早く帰っては逃げ帰って来たのかと驚かれてしまいますよ」
「マジで!? あんた、妻と子がいんの?」
そんな失礼な疑問がグリシラの口から飛び出す。もちろん、フリックの年齢的に妻も子もいて当然ではあるのだが、どうにもグリシラには目の前に座るこの自分に負けず劣らずの体格で厳ついスキンヘッド男が家庭を持っていることが予想外だった。
「はい、自慢の妻と3人の娘がおりますとも! 特に一番下の娘がシーファといいましてね、いや~この子が天使の生まれ変わりかと言うほどのかわいさで! 一緒にいるだけで癒されるといいますかね、私が座っていると膝の上にちょこんと乗ってくるんですよ! これがまたすこぶる可愛くてね~」
「お、おお…!? それはいいことだな」
先程の自分を讃えた時以上の勢いで、親バカを見せつけるフリックにグリシラがたじろぐ。そして、その様子を見たフリックの部下が数人近づいてきて困ったように笑う。
「あーそういやグリシラさんは見るの初めてでしたね。フリックさんは超が付くほど親バカで、特に娘さんの話なら酔うと一時間以上喋りまくるんですよ! 部下たちは正直みんな聞き飽きてますね~」
そんな一人の兵士の言葉で会場がワッと笑いに包まれる。そして、その様子をみたフリックは立ち上がり、その兵士の頭に拳を降り下ろす。
「貴様ら上司をバカ呼ばわりとは何事か! 連帯責任で全員に拳をくれてやる!」
その部下を叱責する口調とは裏腹にその顔は豪快に笑っており、部下たちも、「痛ってー」「今日は無礼講って言ったじゃないですか!」「ハゲ!」と方々から軽口を飛ばす。一部純粋な悪口もまざっていたが…。
―――ここはいい部隊だな。
グリシラは木のジョッキを傾けながら、目の前の風景を眺めてそう感じていた。
傭兵として今まで多くの戦争に関わり、その中で多くの隊に一時的に所属してきた。そんなグリシラだからこそ眼前の隊の上官と部下が心から信じあっていることがよくわかった。
そして、それと同時に一つ胸の中に浮かんだ想いがあった。
「……家族か」
そんな呟くような独り言は、酒場の喧騒に飲まれ誰の耳にも届くことなく喧騒に飲まれ消えていった。
そうして夜は更けてゆく。
祝いの飲み会は夜遅くまで続いた。現在は店主の厚意で一階に布団が敷かれており、はしゃぎ疲れた兵士たちの寝息が外まで聞こえてきていた。
「おや、もう行かれるんですか?」
そんな翌日の早朝、自分の荷物をまとめ酒場から出て行こうとするグリシラの背中に声がかけられた。振り返らずともその声がフリックのものだとわかる。
「ああ、昔から寝覚めが良くってな。一足先に失礼するよ」
「また、別の戦場ですか?」
「いや、ちょっと休業しようかと思う。あんたの言葉のおかげでやりたいこともできたしな」
その言葉に壁に寄りかかり煙草を吸っていたフリックの眉が少し驚いた様に上がる。そして、小さく笑った。
「私のどんな言葉があなたに影響を与えたのか皆目見当もつきませんが、それがあなたにとって良いことになるというなら、娘への自慢話が増えますな。それに休業にも賛成ですよ。英雄といえど休みは必要ですからね」
「ああ、ゆっくり休ませてもらうとするよ。あんたも達者でな。部下の兵士たちにもよろしく言っといてくれ」
そう、ぶっきらぼうに告げるとグリシラは振り返ることなく歩き出し、町を後にした。