日常の一コマについて
こんな話が書きたいという、長編のプロット。
アットホームヤクザと、若者と、超能力。
清水組の朝は早い。
朝稽古は6:30から始まり、受ける者はそれまでに身支度を済ませる。
屋敷裏の離れにある稽古場、そのすぐ側のひらけた場所で準備体操。
男達の掛け声はそれなりだが、全力ではない。
前に近隣住民から「子どもが起きる」と苦情がきたからである。
次に曜日によって種類の異なる武道の稽古を進め、7:30には終わり、8時から朝食となる。
ぞろぞろと集団で行き来する男達のいる風景は、組にとって日常のひとつだ。
自室を出た青年は、戻ってくる集団の中の1人、金髪の青年に声をかける。
「ヨウ、おはよう。稽古に出ていたのか」
金髪は青年に気付き、まあなと鼻を鳴らす。
「ちょっと組手稽古に呼ばれてたんだよ」
「トラさんか?」
「おう。緊張感ある方が稽古になるって」
「トラさんの方が緊張するんじゃないか?」
「俺もそう思うけどよ」
遠くで男達から質問を受けている、男性に目を向ける。
黒髪を1つにまとめ、黒い道着に身を包んだ30代も後半の彼は正しく侍とも思わせる雰囲気をまとっていた。
“トラさん”と呼ばれる彼は、武道を多く嗜んでおり、組員達の日々の訓練指導を請け負っている。
こちらの青年達に言わせれば、彼と相対する方が余程実戦に近い。
「アキラは今から飯か?」
「ああ、お嬢を起こしてからな。確認してもらいたい書類があるんだ」
「他のは?」
「ナオも寝てるよ。レンは知らん」
「飯になりゃ起きてくんだろ」
じゃあまた後で、と2人は廊下を反対方向へ歩いていく。
別れた直後の背後から、ヨウが他の組員に声をかけられているのを聞いたが、アキラは特に振り返らなかった。
何せ急ぎの用事がある。
辿り着いた“組長室”の扉をノックした。
「失礼します」
返事は待たない。
永遠に返ってこないことは百も承知だ。
さっさと扉を開き、中に入る。
左右にファイルの詰まった書棚、真ん中に漆の書卓と座椅子。
ゴミ箱には紙ゴミがたまってきており、「後で捨てなければ」とアキラのタスクに追加される。
用があるのはその部屋の奥の壁にある扉だ。
そこを改めてノックした。
「おはようございます。お嬢。8時ですよ」
当然返事は無い。
今度は何回かノックをしてから、そっと扉を開けた。
鍵はかかっていないので、恐らく部屋の主はこうして起こしに来られることまで見越している。
空気の淀んだ室内は散らかっており、服やら鞄やらが放置されていた。
洗濯物は昨日アキラが持ってきたまま、定位置に帰り着いていない。
奥のデスクには書類の山が乗っかって埋もれているし、床には食い散らかされたチョコの包み紙。
次々とタスクが埋まっていくのを感じながら、アキラはその真ん中の布団に声をかけた。
「お嬢、起きなくていいんですか」
身動きさえしないところを見ると、熟睡しているらしい。
やりっ放しで電源だけ落としてあるモニターとゲーム機を見れば、昨晩何で夜更かししていたから一目瞭然だ。
アキラは溜息をついてから、部屋のカーテンをさっさと開け始めた。
庭から差し込む光が、遠慮なく部屋の中を照らす。
ついでに窓も開ければ、秋の風が入り込んできた。
「……ぅぅ…」
微かな呻き声。
布団の主に意識が戻ってきたらしい。
最後の仕上げに掛け布団を取り払うと、中からキュッと丸まったジャージ姿の女が出てきた。
「お嬢、起きてください。朝食の時間ですよ」
「んん…誰…アキラか…」
「ええアキラですよ。昨日起こせと言ったでしょう」
「はい、はい…起きます…起きてます…」
うわ言のように呟きながら、丸まった彼女は動かない。
溜息を更について、アキラは腕を組む。
そのまま無言で眺めていると、ようやく目を開けてこちらをうかがってきた。
「……起きます」
「お待ちしています」
ここまでくればもう大丈夫だろう。
床に落ちていたゴミを拾って捨てながら、部屋を出る。
ごそごそと聞こえる物音は、身支度が開始された証拠だ。
そのまま食堂へ向かうこととする。
食堂でのお決まりの席には既に、ヨウともう1人青年が来ていた。
既に朝食を食べ始めている2人の傍へ、アキラも自分の食事を運ぶ。
「ナオ、おはよう」
「ん」
「アキラ、お嬢は?」
「起こしてきたところだ」
もうすぐ来るだろうと彼女の分の食事も運んでおく。
彼女に甘いことは自覚済みである。
「……きた」
寡黙なナオがボソッと呟く。
その視線の先には、やっと起きてきたジャージのままの“お嬢”と、その隣に白黒髪の青年が並んでいた。
彼の癖っ毛は前髪にだけ色がない。
曰く遺伝なのだそうだ。
「おはよ〜さん」
「……ッス」
前者が彼、後者が彼女である。
「お嬢、おはようございます!」
「レンも起きたのか、おはよう」
「ん」
背筋を伸ばしたヨウが大きな声で挨拶する。
アキラは青年に目を向け、ナオは小さく頷いた。
“お嬢”はさも当然のようにアキラの隣に座り、置いてあった食事に手をつける。
レンは大人しく自分の分を取りに行き、彼らのテーブルの席についた。
「お嬢、昨日遅かったんすか?」
「まあね」
「どうせゲームでしょう」
「今日が休みなんだからいーじゃーん」
「お嬢たら、休みはいっつもゲームで夜更かしやなあ」
レンには関西の訛りがあった。
“エセ関西人”は、ヨウが常用する彼の呼称だ。
「そういや昨日の調査どうだった?何人か行ったんでしょ」
“お嬢”が問うと、アキラが頷いた。
「報告によると大した情報は得られなかったとのことです。まあ大きな組織でもありませんし、後は警察に任せても大丈夫かと」
「ふーん。じゃあ潜り損かあ。ユウに悪いことしたなあ」
「ユウさんが調査行ってたんすか?」
「うん、何かちょっと気になってて。裏があったら嫌だし。簡単でいいからってユウに頼んだ」
これらは清水組の務めに関する話である。
彼らはまだ若者の部類だが、組の幹部として取り仕切っている。
5人は行動を共にすることが多い。
“お嬢”以外の全員には、“お嬢”の元に集った、という共通点があった。
食事を終えると、“お嬢”はアキラを連れて組長室に戻った。
程なくして部屋の据え置きの電話が鳴り始め、アキラが対応に追われる。
時折電話を取り次がれた彼女は、「清水です」と名乗った。
「はいもしもし、清水です。…ええ、清水凪です」
“清水凪”が彼女の名前である。
そして彼女こそが清水組の二代目組長である。
普段は“お嬢”と呼ばれ、時に“ナギ”と呼ばれている。
「報告書ですか?あー、今まとめているところですが……え!今週中⁉︎わ…わかりましたー」
「お嬢、今週中なら間に合います」
「まじか…え⁉︎ああ、いえいえ、間に合うそうです。頑張りますー。はい、失礼しますー………ごめんねアキラ」
「承知しております」
アキラは副長の立ち位置にいる。
ナギの右腕として彼女の就任時からサポートしてきた。
加えてアキラは、彼女が組にきた時から世話役の務めを負ってきた。
やたら甘やかしてしまうのはこのためだ。
幼少の彼女の世話をして早十数年、分からないことなどない。
「はー、事務溜まってるわ……」
「署名は貴女にしかできませんからね」
「まあ課題はナオが肩代わりしてくれっからさ」
「姉思いですね」
「目が笑ってないよ」
ナオはナギの弟に当たる。
血の繋がりは無いが、共に同じ養親を持つため戸籍上は姉弟だ。
だが物心ついた時からナギはナオの姉であり、ナオはナギの弟であった。
今更血の繋がりなど持ち出す者も滅多にいない。
次の瞬間、再び電話が鳴る。
単調だがメロディあるこの着信音は内線であることを示していた。
素早くアキラがとる。
「はい、組長室、アキラです」
受話器の向こうから微かに男の声がした。
「強盗ですか、現在逃走中、“リアル”持ち……念動能力ですか。はい…武器所持、警察官負傷多数…」
アキラの言葉にナギが反応する。
現状を電話伝いに報告するアキラの声を聞きながら、ナギは書卓に飾ってある写真にちらりと目を向けた。
笑って映る自分と弟、そして幼い姉弟を片腕ずつで抱き上げて笑う男。
写真を見て感傷に浸るほどナギの情緒は豊かではないが、時折目を向けてはホッとする自分を感じていた。
がちゃ、と受話器が置かれる。
「お嬢、」
「聞いてたよ」
ナギは傍にあった組内の人員表を見ていた。
誰が動けるかが示してあるその表は、読解するには困難なほど何かが手書きで書き込まれている。
その中の今日の日付に目をやり、ナギは続ける。
「レンに任せる。運転と連絡役つけて、後は好きにやらせていい。念のためルコも連れてっていいよ。二班に新人がいるね。そいつも一緒に行こう。アキラは大熊さんに連絡。現場が近ければナオ呼んで」
「はい」
「前科持ちかな?できたら今日中に会いたい。連れてくるのが無理なら行くから、連絡待ってる」
「承知しました。それでは」
アキラはさっさと出て行った。
しまった扉を見やり、ナギは再び書類の山に戻る。
何せ今起きている事件より優先させなければいけない紙だ。
ウンザリしながら、再び写真を見る。
我ながらそっくりになったものだ、とナギはかつての先代を思い出した。