銀の匙を曲げる
「ユリ・ゲラーっているだろ」
出会って早十五年にもなる、俺の腐れ縁の友人がそう言いだしたのは、真冬のある日のことだった。
窓の外ではしんしんと、純白の雪が降り積もって空の底が白く染まってゆく。
国境の長いトンネルを越えた先にある訳でもない温暖なこの地域で、今日のように雪が降るのは数年に一度あるか無いかというぐらいだ。そう考えれば、この迷惑な雪も少しは有り難く感じられてくるから不思議である。
ちなみに今は、俺の部屋にて友人とトランプ中だ。最近のお気に入りはスピードである。だが今やっているのは神経衰弱だ。
「ユリ・ゲラー?ああ、あの詐欺師のことか。いたねえそんなのも」
「詐欺師じゃなくてせめて奇術師と呼んでやろうや・・・。まあそれでだな。何故いきなりこんな話を始めるかと言うと」
「スプーン曲げをやってみたくなったと」
「おうともよ」
友人は炬燵の上に並べられたトランプ達を滅茶苦茶にして勝負の行方を煙に巻いた。それからおもむろに立ち上がると台所からスプーンを取って来る。俺はまだこいつとの勝負を終えたつもりはないし、そもそもここは俺の部屋である筈なのだが、我が竹馬の友にして腐れ縁の友人はそんなのお構いなしな振る舞いだ。
「曲げたらちゃんと元に戻せよ」
果たしてその訴えが、彼の耳に届いていたかは定かではない。届いていても反対側から抜けて行ったかもしれない。
友人が手にするのは、一見普通に見えて本当に何の変哲もないただの安物のスプーンである。持ち手の部分に装飾すらない武骨さを誇る。格好良く言えば銀の匙。ただたとえどう形容した所で、その値段が百円プラス消費税程度であることは疑いの余地もないし、そんなことは俺が一番良く知っている。だから鬼の首を取ったかの如く、突っ込むのはやめていただきたい。そこのあなた。あなたのことである。
「せいやあああ!」
左手で持ったスプーンに、友人は右手で念のようなものを送り始めた。何かが致命的におかしい気がするが、傍から見て愉快なので放っておこうと思う。だから鬼の首を取ったかの如く、突っ込むのはやめていただきたい。そこのあなた。あなたのことである。
だがしかし。この世界には、時として奇跡が起こりうるのだ。
ある瞬間。突然そのスプーンが、まるで粘土細工のようにグニャリと曲がってしまったのである。
「おお!」
「おお!?」
俺たちは同時に素頓狂な叫びを上げてしまった。
固まったまま、目の前の無残にもねじ曲がった銀の匙を眺める。驚きはやがて過ぎ去り、俺は静かに呟いた。
「んで、元に戻るんだよな?」
「え?」
こんなに寒いのにどうしてしまったのだろうか。友人の額には大粒の冷や汗が浮かんでいる。俺は努めて冷静沈着なる口調で告げたはずなのだが。
スプーンの両端を掴んで、友人は思いきりカを込めた。二の腕の筋肉が盛り上がる。しかし奇妙なことに、スプーンはピクリとも元に戻る気配を見せない。二人がかりでやってみたが、やはり駄目であった。百円の癖に生意気である。
十数分の格闘ののち、俺たちは諦めてその場にへたり込んだ。友人の手の平で銀の匙は、曲がっているのにどこまでもまっすぐな強靭さを見せつけてくる。
「ダメだこりゃ」
友人はそう言うとポイッと匙を投げてしまった。・・・上手い事を言おうとして、滑ってしまっているのは俺自身が一番よく分かっている。
だから鬼の首を取ったかの如く、突っ込むのはやめていただきたい。そこのあなた。あなたのことである。