第六話「山へ」
外に出ると、太陽の光がやけに眩しかった。
「あ、カイトー! こっちよ!」
遠くでフィルトが、俺を呼んでいる。
白いワンピースと俺のコートを着ているのを見ると、もうやる事は全て済ませたのだろう。隣のアイルも完全装備だ。
傍まで来ると、湖はより広大だった。太陽の光に反射する水面。優しく波が打ち寄せる砂の岸辺。少し離れた所で、草食動物が水辺で水を飲んでいる。……うん、湖だ。
「あんた、泳ぐのは上手だけど、調子に乗るんじゃないわよ?」
「へいへい」
フィルトに言われて準備運動をさせられてから、俺は服を脱ぎ始める。
「若干腹減ったから、何か食べ物あったら摂ってきて」
オッケー、と親指を立てるフィルト。隣でアイルが元気良く森を指さして、
「なら、私はあの森に行ってきますね!」
「それは駄目だアイル。草原で頼む。な?」
「え? あ、はい。わかりました」
肩を掴んで真剣に語りかけると、アイルは首を傾げながらも頷いてくれた。森、ダメ、ゼッタイ。
二人が去るなり、俺は即行で全裸になる。
風が当たって結構寒いな。……フィルトに温めて貰えば良かったかな? あら。原子生成で、ですわよ? おほほほ。
浜辺に立つ。恐る恐る、湖に足付ける。
「いやぁつめたいっ!」
だが、こういう時は一気に入るべきだ。
一度深呼吸し、数歩後退る。再度息を吸ってー、吐いてー。
「あいやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
湖に走り出し、腰まで浸かった所で一思いに体を湖に投げだすと、ばしゃんと水が跳ね、秋ごろの冷たい水に全身が飲まれた。
「――ぷはっ! 冷てぇぇぇぇぇ!」
だが……気持ちいい。やっぱり水の中はリラックスするな。
そうして、三十分は泳いだ。
戻ってきた二人はまだ湖に入っていた俺を見て呆れた表情をしていたが、楽しいから仕方ない。
「服乾かしといてくれ!」
そう叫ぶと、岸辺に立つフィルトは手を上げて応じてくれた。
もう十分程泳いでから、ようやく湖を出た。
二人には反対を向いて貰ってパンツを履く。
「じゃ、フィルト頼む」
「ん」
フィルトに身体を乾かしてもらい――全ての準備が終わった時、太陽は真上から西の空へ大きく傾いていた。
「もう夕方か」
「今日は起きるのが遅かったしね。本格的な行動は明日からになるわね」
「行動……つっても、これからどうするんだ?」
「それを今から話し合うのよ。暗くなる前にね」
とは言え、まずは飯か。
二人が獲ってきた獲物をを落ちていた木でアイルが串刺しにし、フィルトが丸焼きにする。間近で見るとかなりグロテスクだった。
焼き終えた肉を三人で囲んで咀嚼しながら、話し合いが始まった。
「これから、か……まずは目的だよな」
「そうですね。私は最終的には『天』を目指しますが、お二人は?」
「私とカイトは別に『天』に行ってもしょうがないわよね」
「興味はあるが……そうだな。俺達は元の世界に戻るってのが目的になるのか?」
「……そうね」
頷くフィルトの表情は、浮かない。
「お前は向こうに戻りたくないのか?」
「そういう訳じゃないけど……。また身体を失うのは、嫌だわ」
……そうだ。フィルトは実体化出来てあんなに喜んでたじゃないか。無神経過ぎたな。
「悪い……」
「大丈夫。でも私はカイトが帰るってゆうなら、帰るわ」
「けどそしたらまた霊体になっちまう可能性もあるんだぞ?」
「その時はその時よ」
真っ直ぐと向けられたフィルトの澄んだサファイアの瞳を見ていると、心を覗き込まれているような気がして……俺は反射的に足元に視線を落とした。
「けど俺、別に心の底から向こうに帰りたいと思ってる訳じゃないんだよな……」
俺が情けなく渇いた笑いをすると、フィルトは少しばかり寂しそうに眉根を寄せた。
「そうなの? ご両親や百瀬ちゃんに会いたくないの?」
「まあ……あっちに未練なんてないしな。家族は、そりゃ心配だし会いたいけど……」
それ以上に、この世界で過ごしてみたい――。
なんて、身勝手過ぎるよな。
でも――
「でも、仲良い友達だって居たんでしょ? その……好きな子とかも、居たんじゃないの?」
「そんなのいないよ。もういいんだ、そういうのは」
二年前のあの時から。
俺はもう、誰かと必要以上に親しくするのはやめたんだ。
「カイト……」
「今はこの話はいいだろ。ともかく、俺らは元の世界に帰るのを第一に考えよう」
フィルトの答えを待たず、俺は次の話題を振った。
「じゃあ今度は当面の目的をどうするか決めようぜ」
空気を読んでくれたのか、アイルがやや明るい声で、
「ならまずは、この辺りにある一番高い所を目指しませんか? もっと遠くまで見渡せれば、指針も立て易い思います」
「一番高い所か……うん、悪くないわね。でも高い所って言ったら……」
俺たちはほぼ同時に、湖の向こうで夕陽をも遮るように聳える山々を見やった。
「山か。なるほど。あそこからならうんと遠くまで見えそうだな」
「食料はどうする?」
「道中で探すしかないと思う。保存方法がないのに生肉を持ち歩く訳にもいかんからな」
「ふむ……」
フィルトは顎に手を当て、考える仕草をした。
「私は良いと思います。目的があれば、やる気が出ますし。何より、行動しなければ何も始まりません」
アイルの言う通り、人間、目的があれば頑張ろうと思える。逆に、無ければ気力を失う。この状況下で行動する気力を失えば、野垂れ死ぬだけだ。
フィルトは暫くの間黙っていたが……やがて深く頷いた。
「うん……そうよね。分かった。あの山を目指しましょ」
満場一致にて、可決。
「一先ず、明日中に山の麓に辿り着くように頑張ろうぜ。んで、明後日の早朝に登山開始。それでいいか?」
「了解よ」「分かりました」
「あとはどの山に登るかだが……」
俺は首を振り、連なる山々をじっくりと眺める。
すると湖の向こう……草原をずっと越えた先に、一際大きな山が。
「あれだな」
「あれね」
「あれですね」
そうして目的地を定めた俺たちは、明日に備えて早々に眠りに就いた。
☆
早朝。
陽が昇り始めると共に目を覚まし、俺はすがすがしい気分で伸びをした。
「んー、いい朝だ」
何となくごちてみる。
この世界に来て初めて苦の無い目覚めを迎えられたな。
ちょっと腰と首が痛いけど。
「さて、と。行くか」
半日以上掛け、俺たちは山の麓に辿り着いた。
「さすがに疲れたわね」
ふぅ、と岩場に腰掛けたフィルトに、俺は、
「いやぁ、俺まだ全然余裕だわー。実に愉快なステップ刻めるわー」
フィルトの顔の前で軽快に踊りながらからかうと、売り言葉に買い言葉でお馴染みのフィルトさんは、全力で額に青筋を立てた。
「あーうん。あっれぇ? 私ぜんっぜん疲れて無かったわー。さっきのマジ気のせいだったわー。だってほら、こんな事もできるし?」
と言って立ち上がりざまに炸裂させたフィルトロイドの二段蹴りを、俺はひょいひょいと避け――それに更にイラついたらしいフィルトに、がしぃっ。
俺は両足で腹を挟まれ、そのまま豪快に投げるフライング・ボディシザース・ドロップを喰らって後頭部を強打した。軽く意識が飛び申した。
こいつの技のバリエーション、半端ないって。
俺とフィルトがふざけている間にアイルが水場を見付けてくれたらしく案内してもらう。
面目ないので、フィルトと二人で申し訳なさそうにしてとぼとぼと歩く。
「お前のせいだぞ」
「あんたでしょうが」
ぼこすか殴り合ってると、アイルが立ち止まった。
「ここです」
山の麓の岩場を幾つか越えた所で、川はせせらぎと共に流れていた。
「それじゃアイル。お先にどうぞ」
「お言葉に甘えて」
籠手を外したアイルが膝をついて手を洗う。俺たちと行動を共にしてからは兜を脇に挟んでいるが、邪魔じゃないのかな。可愛いから素顔のままで居て欲しいね。
「冷たい……それにすごく透き通ってます」
アイルは川の水を手で掬って口につけた。
それを数度繰り返すと、おもむろに立ち上がって振り向く。
「どうぞ」
フィルト、そして俺と順にのどを潤し……最後にアイルが剣で器用に木から削って作った水筒に水を汲んで、山の麓に戻った。
「意外と早く着いちゃったわね。ちょっと登って様子でも見る?」
「そうだな。まだ暫く陽も沈みそうにないし、明日の登山のルートでも決めるか」
天を仰ぐと、空高く聳える灰色の山は遠くで見るよりもずっと大きく感じられた。
「中々険しそうね」
「気合を入れて頑張りましょう」
当然整備されてないこの山に、俺たちは軽い気持ちで挑むのだった。
だが、俺たちはこの後に待ち受ける困難をまだ知る由も無かった……。
とは別段ならず、普通に探索をして、陽が沈む前に下山した。
結果として、様子見の収穫は二つ程あった。
一つ、食糧である動物の発見。肉食か草食かは分からないが、山岳地帯に生息する角が三本生えた動物を見付け、アイルが一匹仕留めて持ち帰った。
一つ、ある程度の道順の確保。傾斜や安全面から、出来るだけ楽そうなルートを慎重に見極め、三人の合意で決定した。
まあ、まずまずの結果だな。
それじゃあお次は、この様子見の主役でもある《サンボンヅノザウルス》(フィルト命名)の試食兼夕食タイムにしゃれこむとしよう。
「楽しみですね! どんな味がするんでしょう。ええと……」
「《サンボンヅノザウルス》!」
「そう、それです!」
自分の命名した《サンボンヅノザウルス》に誇りを持っているフィルトが肉を焼いているのを、アイルはウキウキ。
ふんふーん、と鼻歌を歌いながら眺めている。
「俺の予想、不味い」
「食べさせないからねあんた……!」
晩飯の焼き係が怒りの形相を向けてくるので、頭を下げるしかない。
「――出来たわ! 会心の出来ね!」
今日の疲れが襲ってきて船を漕いでいたが、フィルトの声で目が覚めた。
「やっと食べれますね、カイトさん!」
「そだな」
欠伸を噛み締めて適当に頷きつつ、俺は二人と一緒に手を合わせる。
「「「いただきます」」」
ともあれ、飯は飯だ。
山の麓に来るまでに《スライムザウルス》──最初に食べた草食動物で、序盤に出てくることから俺が名付けた──を昼食に食べたが、山を登ったので腹は減ってる。
三人同時に肉にかぶりつく。熱い肉汁が溢れ出た。
硬さは……若干噛みにくいな。
だが味は、そこそこいける。
少なくともこの世界に来てから食べた肉の中では、一番美味い。
そう評価付けて顔を上げると、二人は目を見開いて俺の顔を見ていた。
「ぷっ。なんだよお前ら」
思わず吹き出すと、フィルトが唇を尖らせた。
「あによ。なんで笑うのよ?」
「いやだって、二人一緒に見てくるから」
「このお肉がとっても美味しいので、思わず!」
「アイルの言う通りよ! 少なくとも《スライムザウルス》よりはましだった!」
「まあな」
それは同意するが、こんな肉生活ばっかしてたら飽和脂肪酸の摂り過ぎで体壊しそうだな。魚とか野菜も本格的に探さないと。
「まーでも、山越えるまではこいつで我慢するか」
「そうよねー? いいんだったら最初からそう言いなさいよ!」
フィルトはしたり顔で胸を反らしているが……口許の笑みが抑えられてねえ。
あんなに嬉しそうだと、こっちまで笑けてくるぜ。苦笑だけどね。
「これが毎日食べられるなんて幸せです……」
アイルはアイルで幸せそうだな。
元の世界のレストランとかに連れてったら昇天するんじゃね? 天使だけに。うわくっそつまらん事言ったな俺。
兎に角、明日も早いし、今日もさっさと寝るかね。
☆
朝。起きてすぐ川に向かうと、アイルが生まれたままの姿で水浴びをしていた。
「――そんな簡単に済ませられるかッ!」
一瞬にして気配を静め、素数を数えつつ岩陰に隠れる。
足元に気を付ける事も忘れない。小枝を踏むような真似はせんよ。儂は覗き仙人じゃ!
岩陰に身を潜め、とりあえず深呼吸。
よし。うん行こう。
静かに、音を立てないように。
冷静沈着かつ明鏡止水の心で。
俺は今、楽園を見る──
「あれ?」
俺が岩陰から顔を出した時、既にアイルは純白のシャツとスパッツを着用していた。
「そ、んな……」
がくっ。膝から崩れ落ちる。
――クソ、何が仙人だッ! 何も出来なかったじゃねえか……! いやあのピチピチのシャツ姿も素晴らしい事山の如しなんだが……じゃなくて! チキッて深呼吸さえしていなければ……!
「カイトさん?」
「うおっ! っと、おはようマーガレット」
「? おはようございます」
ぺこり。
頭を下げ、颯爽と歩き去っていくアイル。
その後姿を茫然と眺めながら……俺はそれは深い溜め息を吐いた。