第三話「嵐は唐突に」
アイルを仲間に加え、俺達は水場を求めて草原を迂回していた。
目的地は当然、昨日の夕方に見えた湖だ。
「……ホントにここで寝なきゃダメなの?」
緩やかな坂になった草原で寝転がる俺の顔を覗きながら、フィルトがぼやいた。
「少し濡れてるけどな。まあそこまで気にならないぞ」
今は贅沢も言ってられないし、それに、とにかく眠い。ここが日本と時差があるとするなら体内時計はとっくに真夜中を回っているだろうし、精神的にも肉体的にも当然の反応だ。
「仕方がありませんよ、フィルトさん。私も我慢します」
そう言ったアイルは急に籠手を外したと思えば、纏っている甲冑を脱ぎ始めた。
俺は危険を察知して目を瞑るが、暗くて俺の雄姿が見えなかったらしいフィルトに殴られ、俺はその場にくたばった。
「な、何してるのよ! い、いきなり脱ぐなんて!」
フィルトが狼狽した様子で眉を吊り上げアイルに怒鳴ると、アイルはフィルトの言葉の意味を理解できていないみたいで、
「どういう事ですか?」
不思議そうに首を傾げ、甲冑を全て脱ぐ。
「だから、急に人前で脱ぎ始めるなんておかしいでしょ! お、男が居るのに!」
「もちろん、全て脱ぐ際は男性の前で着替えたりしませんよ。ただ、眠るのにこれは邪魔なので」
「あ……そ、そうよね。ごめん、早とちりしてた」
素直に謝るフィルト。
サバサバとした性格のフィルトにしては、珍しく取り乱してたな。
「いえ。私もいきなり脱いだりしてすみませんでした」
「ううん。じゃあお互い様って事で」
「はい」
話が一段落した事を認めると、自然と瞼が降りてきた。
「カイト、もう寝るの?」
「ああ。お前も眠いだろ。早く横になれよ」
「……そうね」
諦めたらしいフィルトは、原子生成を使って濡れた草を乾かしてから横になった。俺の時もやって欲しかったんだけどそれ。
「ふわぁ……。おやすみー……」
フィルトは限界だったようで、語気を弱めながら目を瞑ると、数秒もしない内に風の音に混じって寝息が聞こえてきた。
「ふわぁ……眠ぃ」
俺も寝るか。
とその前に、寝転がりながらチラリと視線だけでアイルの方を見やると、
「カイトさんはまだ寝ないのですか?」
「えっ? あ、ああ……もう寝るよ」
この暗闇の中でも視線に気付きやがった。やはり天使の身体能力は侮れんな。
「空が、遠いです」
草原に座ったまま天を仰いだアイルが独り言のように呟いた。
「……。でも、綺麗だろ?」
今夜は雲も無くて、澄み切った満天の夜空だ。星々が瞬き、冷たく輝く月が浮かぶ。
昨日までの生活を続けてたら、こんなパノラマは見れなかっただろう。本当、自分が今此処に居る事がまだ信じられないな……。
「はい。すごく綺麗で、ここが『地』だって事を忘れてしまいそうです」
アイルが感傷に浸っていて悲しそうだったので、俺はふと思い付いた質問を口にする。
「不躾な質問になるかもしんないけど、天使って翼とか無いのか?」
「翼ですか? 翼は『地』ではあまり使えないのです」
「? そうか。悪いな」
「いえ、お気になさらず」
使ってはいけないルールみたいなものか? まあ、地雷を踏んでもあれだし、これ以上は触れないでおこう。
「じゃ、そろそろおやすみ」
「はい。おやすみなさい」
目を閉じると、緊張の糸が切れたように眠りに落ちた。
耳をつんざく爆音。
強制的に意識は覚醒した。
「――ッ!?」
かつてない警戒心を抱きながら、俺は跳ね起きて辺りを見回した。
何だ今のは……。
あれ程の爆音だ、まさか空耳ではあるまい。
突然の事態に、心臓は鼓動を速めている。
「な、なにっ!?」
フィルトとアイルも目を覚ましたようで、混乱した様子で首を振っている。
「あ、あそこ! あれを見てください!」
アイルが示す先は――空。
「は……なんだよあれ……ッ!」
頬が引き攣る。
上空には――ほんの数時間前まであった満天の夜空は跡形もなくなっており、ぶ厚そうな漆黒の積乱雲が天蓋を全て埋め尽くしていた。
突然、雲の一角が紫の光を迸らせ――次いで、地鳴りのような爆音が轟く。
「「きゃあっ!」」
「っ! かなり近いぞ!」
稲光とその直後の雷鳴との時間差はほとんど皆無だった。
つまり、雷雲はかなり近くにまで接近しているという事……!
「ど、どうすればいいのよ!」
フィルトが泡を食って立ち上がり、そしてまたよろめいて倒れる。
「まさか、あの黒き天使の怒りなのですか……?」
アイルも茫然として何事かを呟いており、判断は任せられそうにない。
かくいう俺も焦っていた。
テレビでも見た事がない規模の雷雲。映画でやるぐらいの壮大な自然災害。
そんなものに遭遇して、俺達に何が出来るというのか――。
「と、取り敢えず……体勢を低くしろっ!」
雷に狙われたら、一巻の終わり。
絞り出した俺の叫びに、二人は素直に応じてくれた。
俺達は地面にうつ伏せになり、ただこの災害が過ぎるのを待ち続けた。
――だが、不幸は重なる。
ポツリ、と。
顔に落ちてきた冷たさに、俺は歯ぎしりした。
「ここで雨かよ……ッ!」
それはものの数分で豪雨と化し、俺達の全身からじっくりと体温を奪っていった。
そして雷は収まるどころか、ともすれば先刻よりも近付いているような感じさえする。
――ピカッ! バツンッッッッ!
再び迸る紫の雷光、轟く爆音。
ついに、雷が落ちた。
「――ッ」
ものの一瞬で、一条の光が少し離れた場所の地面を跡形も無く消し飛ばした。
その余波で俺達は数メートル程吹き飛ばされ、ばしゃばしゃと濡れた草原を転がる。
「なんなんだよ……クソッ!」
暫く何も食べていないので、お腹が空いた。
体はとっくにボロボロだ。
もういいから、寝たい。
でも、眠ったらもう二度と目覚められ無い気がする。
けれど、それでも……この苦しみから解放されるのなら――
そんな考えが頭を過ぎった時、視界の端にフィルトとアイルが映った。
次の瞬間、俺は立ち上がっていた。
自分の行動に驚いた。きっと、パニックだったんだと思う。
――何故、立ち上がる。
分からない。
――早く倒れろ。雷に打たれるぞ。
知った事か。
――お前には何も出来ない。止めておけ。
ああ。確かに、俺には何も出来ないな。
――ならもういいじゃないか。倒れたって、眠ったって。
そうしたいよ。そうしたい。でも、無理だな。
――訳が分からない。お前は一体、何がしたいんだ?
知るかよ。俺だって分からん。けど、体が勝手に動いてんだよ。
――…………。
黙ったか。なら俺の勝ちだな。はい論破。
「クソったれ……クソがぁッ!」
ふざけるな。
こんな所で死んでたまるか。
こんな所で、あの二人を死なせてたまるか。
始まったばかりなんだ。
退屈でくだらないと吐き捨てた日常が、ようやく変わりそうだったんだ。
俺はまだ、生きたい。
絶対に……あの二人と!
「「――! ――!」」
何処からか二人の声が聞こえてくる。
ずっと遠くで聞こえているようで、何を言っているかは分からない。
でも恐らく、俺を静止する声だろう。
けれど、もう、止まれないんだ。
「こんな……こんな所でこの俺が死ぬ訳ねえだろッ! クソ野郎ォォォォォォォォォ!」
半狂乱になりながら、俺は天に向かって吠える。
――刹那、アメジストの閃光が俺を貫いた。