プロローグ
「はっ?」
ざぁぁぁぁぁ……。
草原が靡く音が鼓膜を支配する。
ずぶ濡れの全身を追い込むように冷たい風が、草の青臭い香りをむわっと運んでくる。
ぽたり、と頬を伝って、顎から雫が落ちた。
「んー……」
ああ、ドッキリか。
「カメラカメラは何処かな、っと」
ねえな。変だな。どこかしらにはあるだろうけど。
いや、俺に見える所にあったらもっとおかしいか。
にしてもよ。
寝起き大草原ドッキリって、酷くね?
ウィットに富んだ反応を期待している番組関係者の方々には悪いけど、このぶっ飛び方は素人にはちょっとキツイぞ。
まあだが……ドッキリなら考えてもしゃーない。
兎に角、立つとしよう。
そうして地面に手をついた、瞬間。
むにゅん。
「? これって……」
ぱいおつじゃないか。
布越しだから生ではないけど。
「よっ、初めまして!」
何度か揉むと、ぷるぷる。おお、震えておるわ。
ぷるぷる。僕は悪い人間じゃないよ?
「っとまずい。これ以上はさすがに起きたら殺さ、れ……」
「覚悟はいい?」
「へ、へいハニー。良い朝だな。ってお前は!」
「死ね──」
──刹那。俺は顔面から変な音を立ててぶっ飛んだ。
うん。こいつぁ、世界一ダサい刹那の使い方だな!
……あー、どうしてこうなった。
☆
駅到着のアナウンスが流れ、ドアが耳障りな音を鳴らしながら開く。
「うわ、さむ~。あ、じゃあね木嶋君。また明日」
電車を降りる際、焦げ茶色のミディアムヘアを揺らしつつ、可憐な少女がこちらを向いて微笑んだ。
「また明日」
俺が出来るだけ柔らかな表情に努めて片手を上げると、少女は白い歯を見せながら小さく手を振ってきた。
……カワイイ。まあ、それも当然だが。
彼女は、昨年の文化祭で行われたミスコンで推薦枠ながら二位という成績を叩きだした、全校生徒お墨付きの美少女なのだ。同じクラスとはいえ、彼女と偶然会って途中まで一緒に帰っただなんてクラスの男子に言ったら、殺されるかも。つーか、確実に死ぬ。
「お」
発進した電車――その窓の向こうでポンポンと過ぎる電柱の数なんかを数えていると、静謐な夜闇の中に、いくつもの白い雪が舞い始めた。
年の暮れが近付いている上、地域的に降ってもおかしくはないので驚きはしないが……もうこんな時期かと、やけにしんみりとした気分になる。来年はとうとう受験生だしなぁ。
「はぁ……」
思わず口から漏れた溜め息が窓ガラスを曇らせ、すぐに薄れて消えていく。
知ってるかい? これでまだ火曜なんだぜ。一週間って長いね。
『えー間もなく〇〇駅ー。〇〇駅ー』
もう最寄りか。ポケットからスマホを取り出して画面を点けると、20:21。いつもよりちと遅いな。
駅に着き、改札を抜けて雪空の下に出ると寒風が頬を撫で、かさついた肌が痛い。
少なくない人で駅が混雑する前に、俺は早足で帰路に着いた。
自宅がある住宅街は、昼間でも人気が少ない。その上電灯は所々故障して付いておらず、道幅も狭いときた。まあ、子供なら怖がって絶対に通らないスポットだ。
そういや俺も……今にしてみればなんて事ないこの道も、昔はよく後ろを気にしながら帰ってたっけ。
「マジで寒ぃな……」
傘を学校に忘れたので、降りしきる大雪を直に喰らう。風が吹く度、全身が凍みるようだ。
それに耐えながら、黙々と雪道に足跡を残していると、不意に、横合いから女の子の声が聞こえてきた。
「──イト、カイト!」
やや高めかつ、強気な口調。
「んだよ」
思わずそっけない返事をすると、暗い夜道に不満げな声が響いた。
「あのねぇ。さっきから呼んでるんだけど?」
「マジで? 悪い、考え事してて気付かなかった」
「もう。ちゃんと7時からの『インタの仏』録ってるわよね?」
そう口にした彼女に対し。
俺はそこで初めて、そちらを向いた。
「朝一緒に録っただろ。覚えて無いの?」
「……そうだったかも?」
照れたようにはにかむ少女は――目を疑うくらい、端麗だ。
澄み渡る青空のような色のポニーテール。少々きつめのほっそりとした眉に、磨き抜かれたサファイア色の大きな瞳。纏う純白のワンピースから伸びた白い肢体はすらりと長く、胸は服の上からでも分かるほどにデカイ。背も俺よりやや低い程度の──女性にしては長身の部類に入る、つまりはスタイル抜群の美少女。
見た目だけで言えば、まさに完全無欠。そんな彼女の唯一の欠点を挙げるとすれば、それは──
──彼女は今此処に、この世界に存在していない事か。
この少女は、存在しているが、していない。
再三言うが、たった今俺の隣を歩く(実際は浮いている)この少女は、本当は此処にはいない。
……うん。俺も意味分かんねえから安心してほしい。
だが、こいつはそういう奴なのだ。
俺にしか見えない彼女は、丁度一年前のこの時期から俺の傍に居る、ちょっと口うるさい幽霊少女。
ああそうだ、それともう一つ。
「なあ」
フィルト。彼女の名だ。
「なに?」
「お前ってさ、俺が大人になってもずっとこうして俺の近くにいるつもりなの?」
「……あによ。私といるのが嫌だっての?」
おっと、機嫌を損ねたかな?
「別に。単なる質問だよ」
俺の答えにフィルトはあっそうと鼻を鳴らし、
「そんな先の事を聞かれても私が知る訳ないじゃない」
と、不機嫌そうに顔を背けるのだった。その際に見えたフィルトの眼がどことなく悲壮を帯びているように思えたのは、俺の気のせいだろうか。
家の前に着き、俺は悴んだ手で鞄を漁りながら、
「すまんフィルト。さすがに寒いから先に風呂入るわ。テレビは付けとくから、一人で先に観てていいぞ」
取り出した鍵を差しつつそう言うと、フィルトはううんと首を振った。
「カイトがお風呂を出るの待つわ。あの番組って誰かと一緒に観た方が面白いでしょ?」
「それもそうだな。なら、早めに出るようにする」
「ふふっ、ありがと」
正面に降り立って満面の笑みを向けてくるので、たじろぐ。
未だに美少女の、というかこいつの正面切っての笑顔には慣れない。てか一生慣れる気がしねえ。だって、あまりに可愛すぎるんだ。
「……?」
フィルトから目を逸らした際、俺は、背後の上空に何かを見付けた。
「なんだあれ……」
未だ止む気配を微塵も見せず、降りしきる大雪。その奥の、暗黒の天蓋から、一条の強い光が地上へと伸びていた。
「あれは……!」
フィルトが、俺の視線を追って雲がかった暗い夜空を見上げ、目を見開いている。
「どうした? っておい、フィルト!?」
突然、フィルトがふわりと舞空術みたいに空を飛んで行った。ので、俺は慌てて荷物を玄関前に放り、フィルトの後を追った。
走り出すこと、数分。
感覚を頼りにフィルトを追っていると、住宅街から外れた所にある小さな公園に着いた。
そしてその公園の中央に、それは綺麗な円形を描いていた。
光は──
雪にも、風にも、他の何ものにも遮られる事なく、幻想的な雰囲気を湛えて空から一直線に地面へと伸びていた。
「フィルト!」
地に足をつけて歩くフィルトに駆け寄って顔の前で手を振ったり声を掛けたりしてみる。が、反応は無い。
「これがなんだってんだ……」
一度そう思い始めると、俺は光のことが気になって仕方がなくなった。
そしてふと気付けば、俺はフィルトと一緒になって光を目指して歩いていた。
フィルトと二人、光の手前で立ち止まってから、俺は我に返って空を見上げる。
暗黒の空を貫くように立ち上る光には、確かな温度があった。
流れがあり、力がある。
そう、まるで、生きているかのような──
「カイト」
フィルトがチラリと俺の顔を見た。
「……私、あんたに出会えて良かった」
「? なに別れ際みたいな台詞言ってんだ。つーかこれなーんだ?」
「知らない」
知らんのかい。知ってる風だったじゃねえか。
「……クスッ。まあ、そうね。この光が何なのかは皆目見当も付かないけど、なんでか無性に気になるのよね」
「ああ、それは俺もだ」
会話をしながらも俺とフィルトは光を見つめ続ける。
すると、段々と周囲のことが頭から排除されはじめた。
例えば、今いる公園のこと。
例えば、今日やらなきゃいけない宿題のこと。
例えば、友達のこと。そして、家族のこと。
果てには、すぐ側に立つフィルトのことさえも──
そして俺たちは一歩、踏み出す。
「っ!」
光芒に包まれた瞬間。
身体感覚や平衡感覚が失われるのを感じた。
意識がぼやけ始め、重力までも感じなくなった。
朦朧とした意識の中、最後に、誰かに何かを引っ張られるような感じがして──
それが、俺がこの世界で触れた最後の温もりだった。
お読み下さり、ありがとうございました。
気になった部分があればどんな事でも教えて頂けると幸いです。
頑張ろうってすごく思えるので、出来ればブクマして貰えると嬉しいです。