懲りない男
梅雨が明けた7月上旬の休日、勇一くんは私の家に来ていた。
これは私の両親が仕事で不在のため小学生の私一人では危ないということで、数年前から勇一くんと休日を過ごすのは半ば日常的だった。
勇一くんは正午の陽が射し込む私の部屋の、僅かに光が当たらない南西側にある学習机を使って医学の本を黙々と、しかしどこかルンルンとした笑みを浮かべながら眺めていた。
どうやら勇一くんはいままであまり接点はなかったが、以前からずっと好きだった女子から交際を申し込まれたらしい。
学業成就や恋愛成就は私が贈ったビーズのおかげだとか言ってとても喜んでくれているようだ。
もしかしたら本当にあのビーズにはなんらかの力があるのだろうか。
「さやかちゃん、お昼にしようか」
「うん、そうだね」
勇一くんは本を机に置いて絨毯に体育ずわりをしながら考え込む私を誘った。
私は勇一くんに連れ出され、駅の北口にあるピザ屋に入った。
北口は私たちが住む海側の南口より栄えていて、駅ビルの下に位置する割と大きめのロータリーにはバスやタクシーが溢れ、歩行者は駅ビルの3階エントランスから伸びるペデストリアンデッキを歩く。周囲には銀行や証券会社、6階建ての大型スーパーやファストフード店などが建ち並ぶ。
「さあ、きょうは好きなだけ食べていいよ。さやかちゃんのおかげで僕はサクセスライフを送れているんだから」
「そんな、大袈裟だよ」
この店はランチタイムに食べ放題を実施していて、どれだけ食べても値段は同じなのだが、そこは敢えて突っ込まなかった。一般的な学生が金銭的に貧困な生活を送っているのは承知している。食べ放題であろうと御馳走してくれるだけで有り難い。
「いやいや正直なことを言うと僕、あのビーズをお守りくらいにしか思ってなかったんだけど、言われた通り一日一粒テグスに通してみたら受験に成功したり定期試験の順位が格段に上がったり彼女ができたり、きっとなにかあるよ、ホントに」
小さく扇形に切られたパインアップルが乗っかったフルーツピザをかじりながら、ビーズを始めてからの運気の上昇ぶりを語る勇一くん。
「良かった。でもね、私も実は半信半疑なんだ。でもきっとこのビーズをみんながやれば幸せになる人が増えるよね」
「そうだね。ありがとう、絵里にも分けてくれて、ビーズ」
絵里という固有名詞を口にしようとしたとき、勇一くんは少し頬を赤らめ照れ臭そうな顔をした。
きっと絵里さんは勇一くんの彼女なんだから良い人に違いない。私はそう信じていた。だからビーズを分けたのだ。
食べ放題を利用して、たらふく食べたのは勇一くんだった。私は腹八分目辺りで手を止めた。彼はからだが重たそうに、私に手を引かれながら猫背になって店を出た。
「ごめん、さやかちゃん、小学生に手を引かれるなんて、情けない」
はぁ、と溜め息をついてとぼとぼと歩く勇一くんは、まるで何かに取り憑かれたようにぐったりとしていた。その姿はビーズの効果でサクセスライフを送る成り上がりの『勝ち組』の人間とは真逆で、運気を使い果たして廃れ、やがては倒れて灰になり風化しそうな、奈落の底に堕ちた『負け組』だった。
「食べ放題だからって調子に乗るからだよ。せっかくビーズで運気が上がっても、調子に乗って悪いことをすると地獄に堕ちちゃうよ?」
勇一くんを落ち着かせるべく駅から少し北へ向かい、国道の向こうにある中央公園で休む。
中央公園には子供用の遊具などはなく、東西に芝生が広がっていて、中央部には背の高い木が何本か立っている。公園の西側には入口にトイレがある建物、東側にやや大きめな池があり、北側には人工の滝と、その上に小高い丘がある。噂によるとその丘には捨てられたウサギが多く棲んでいて、夜になると公園中を自由気ままに駆け回るようだ。
私たちは滝の前に常設されている木製のステージに上り、滝を背に腰掛けた。私は両足をぶらぶらさせ、勇一くんはうずくまっていた。
「ふっ……」
「なにか可笑しいかい?」
しばらく休んでいると、未だ同じ姿勢を保ったままの勇一くんの背中にシオカラトンボが留まった。まるでトンボにまで馬鹿にされているようで、可笑しかった。
「うん、可笑しい」
公園を後にすると、すぐ近くの道路を挟んで東側にある、駅前の大型スーパーとは異なる大型スーパーに連れられた。このスーパーには映画館があり、勇一くんが私の好きな映画を見せてくれると言った。
勇一くんは映画館の売店でメロンソーダを私の分を含めて2つと、スモールサイズとレギュラーサイズのポップコーンを1つずつ買った。レギュラーサイズの方は勇一くんが食べるそうだ。
この人、懲りてない。
映画が終わって、私や他の客は席を立ち劇場を出ようとする。しかし勇一くんだけは立とうとしなかった。
「勇一くん?」
「立てない、からだが重くて」
それを聞いた私は勇一くんを無視して出口へ向かう。
「ちょっ、そんな」
仕方ないので私は勇一くんの左腕を両手で引きずって劇場を出た。映画館の係員は、どうしました? と訪ねてきたが、私はなにか言いたげな勇一くんを眼力で制止して「いえ、なんでもないです。御心配おかけして申し訳ありません」と答え、一礼した。引きずる私と引きずられる勇一くんに入場待ちの行列の目線が集まる。
結局タクシーを呼んで帰宅し、夕食は出前を取ることにした。勇一くんはメニューを見ながら通話している。
「え〜と、ラーメン2杯に餃子2皿、麻婆豆腐と野菜炒めに青椒肉絲を1皿ずつ、あとピータンも1皿、最後に杏仁豆腐を2つお願いします」
二人分の量とは思えない注文だ。それにお金は足りるのだろうか。ましてやピザとポップコーンで同日中に二度も苦しい思いをしている筈なのに。
どうもこの人は『懲りる』ということを知らないようだ。




