インターネットと現実の人間関係
小田博文、鉄道オタクの僕は、日頃から旅行先を検討したり、これから登場する新型車両や、まもなく引退する旧型車両、改造される車両などの情報をインターネットや雑誌を用いて収集している。
インターネットの情報掲示板では顔も知らない人々とのやり取りが盛んだ。よく世間でネット上に沢山の友だちがいても価値がないとか言われるけれど、PCの向こうの相手が人間であることに変わりはなく、お互いに何を考えているのか、何を企んでいるのかハッキリわからないのは現実の人間関係と同じ。要するにネット上の人間関係も現実と同じで、互いを思いやり、健全で良好な付き合いができていれば良いのだと思う。
僕の趣味は周囲から偏見の眼差しで見られるのが現代日本の現状。ただ趣味が鉄道というだけで、どうして蔑んだ目で見られなければならないのだろうか。
「オタちゃんっていい奴なんだけどオタクだからな〜」
「そうそう。オタクじゃなければ別にいいけど」
「え〜、いくら性格良くてもオタクは論外なんですけど」
「やっぱりオタクだからキモい」
休み時間の教室。そんなひそひそ話が毎日のように聞こえてくる。
これはもしかしたらイジメの一部なのかもしれない。しかし外的暴力を受けるわけではなく、今まで直接悪口を言われていない。従って学校やクラスで特に問題視されないから、ある意味最もタチの悪いイジメなのかもしれない。
そんな僕にこれまで味方してくれていたのは、部活のメンバーたちや宮下くん。いま僕がなんとかこの世に留まっていられるのも、この二人や部活のメンバーのおかげと言って良い。
しかしやはり、こうも毎日陰口を言われていると、さすがに辛いものがある。陰鬱な気分が趣味の楽しみを上回る。
『いじめられる方にも原因がある』
イジメが起きると必ず聞くワードだ。
確かにそうかもしれないと僕は思い、鉄道の話題になるとついベラベラと語ってしまう癖や、何か避けられる要因になりそうなものを直してきた。けれどイメージは一度定着してしまうとなかなか離れぬもので、陰口は絶えなかった。
そんな日々がいつまで続くのか、もしかしたら一生続くのかもしれない。ならば鉄道員になる夢を諦めて、早めにこの生涯を閉じたほうが良いのではなかろうか。そんな疑問が頭を駆け巡っていた。
ある日、僕が部活を終えて一人きりの教室でそんなことを考えていると、軽音楽部の活動を終えて仙石原さんが教室に入ってきた。
「あっ、オタちゃんおつかれー!! どしたの? 複雑な顔して」
この人はいつもお気楽そうで羨ましい。悪口を言ってせせら笑うのではなく、いつも誰かとくだらない話をしながら盛り上がっている健全の鏡といえる人だ。
だからといって、陰口を叩いている可能性は捨てきれない。
「あぁ、おつかれさま。ちょっと考え事してて」
「そっか。私で良かったら何でも相談してね!」
「うん、ありがとう」
「えへへー、どういたしましてー。そうだオタちゃん、私いまヒマだからちょっとお話ししよう!」
仙石原さんとの話題といえば、ビーズについてだろうか。それなら僕も興味があるので、会話は苦手だけど、少し頑張ってみよう。