いとしの絵里
その日は、姉貴が通う高校と私が通う小学校のテストが返却された。姉貴は彼氏を連れて意気揚々と帰宅した。
「未砂記、この人が彼氏だよ」
「こんにちは未砂記ちゃん」
「こんにちは!!」
彼は川越勇一。成績優秀で東大の医学部志望だという。
「未砂記、テストどうだった?」
姉貴は興味深そうに座布団でくつろぐ私を見下ろす。
「聞いて驚け! なんと百点だよ百点!! どうです奥さん!」
「えー珍しい。見せて見せて!」
私はさっそくご要望にお応えして三枚の答案用紙を右上の点数だけが見えるように重ねる。順番は一点のテストを一番左、あとは右隣に零点のテストを二枚。三枚をこう並べると左から1,0,0、という配列になる。これで百点!!
「どぉ? 凄いでしょ!」
姉貴は呆れた顔をしていた。当たり前といえば当たり前。
「ハハハ、すごいね未砂記ちゃん」
「だべぇ!? 三枚寄れば文殊の点数ってか!? わーはっはっはっ!」
「大丈夫かしら? この先思いやられるわ……」
「私は現在を生きるの!」
「そうね。人生いつ終わるかわかんないし、そういう生き方もアリかもね」
その後は姉貴と勇一にいっぱい遊んでもらった。姉貴もだけど、彼氏も面倒見の良い人なんだな。
◇◇◇
夜、勇一が帰って数分後、母親のよし江が帰宅した。母親は自分の名前が気に入っていないらしく、お婆さんみたいだとか、同じ名前ならせめて漢字で『由恵』にして欲しかったと愚痴をこぼす。お婆さんみたいというのは、単なる母親の思い込みなのではと私は思う。よしえという名前は同級生にもいるし。
「ただいま~絵里ぃ、テストどうだった?」
「お帰り。ってか一言目がそれ?」
就寝の時間。家には一人一室ずつ部屋が用意されているけれど、今夜は姉貴の部屋で二人一緒に寝る事にした。灯りを豆電球にしてふんわりしたオレンジの光が部屋を包み込む。
「実は私も点数良くないんだよねぇ…」
「え、どうしたの? 中学までほぼ毎回トップだったんでしょ?」
「高校って学力ほぼ同じ人が集まるから、今までトップだった私でも急に落ちこぼれちゃうこともあるわけ」
「そっかぁ、大変なんだね」
姉貴の口から勉強に関する弱音が出るなんて、いままでなかったから少し信じられなかった。
◇◇◇
土曜日の朝、この日は雨。私たちはいつものように目覚め、いつものように朝食を摂る。
「二人とも~、ご飯できたわよ~」
「は~い」
「ふにゃ~」
プルルルル! 電話が鳴り、母親が受話器を取る。
「はい、仙石原です」
「あぁ、俺だ。ちょっと話がある」
電話の相手は大阪へ赴任している父親。
「えっ!? ちょっと、どうゆうこと!?」
母親はかなり驚いている様子で、焦りを隠さなかった。何があったのかな?
やがて電話越しに口論が始まり、母親の怒鳴り声が家中に響き渡る。
一時間後、父親との長い口論を終え、母親がテーブルに戻って来た。
「未砂記、聞いて」
「なになに?」
話の内容は、父親が勤める会社の経営状況が一気に悪化したため、私が通っている小学校から高校までエスカレーター式の私立学校を小学校一杯で退学して、中学からは公立学校に通うことになるとのことだった。
「うん、分かった!」
「あら、あっさりオッケーしたわね」
「うん、でもね、学校辞めるなら、ヒタッチもいっしょがいい」
「それは、それぞれの家庭の事情があるから何とも言えないけど」
退学の件について後に浸地に話したところ、ヒタッチは私と同じ公立中学校に通うことになった。イジメに遭っているヒタッチも、退学を考えていた。
◇◇◇
「あっ、いけない! デートの時間だっ! じゃね! 行ってきます!」
「行ってらっしゃ~い。いっぱいチュ~して後で感想聞かせてね!」
「はいはい」
15時ころ、彼氏とのデートの約束をしている姉貴は、苦笑しながら私に返事をして急ぎ足で家を出ていった。夕方までの間、私は母親と駅ビルや大型スーパーのサティで買い物を楽しんだ。
母親はこの後友人と約束があるというので、私は一人、家路を辿ろうと駅のコンコースを歩く。
「未砂記!」
姉貴だ。なんだもう帰って来たのかぁ。
「あっ、姉貴ぃ、どうだった? チューした?」
「さぁね。それよりこれから横浜で遊ばない?」
「彼氏と遊べば良かったじゃん!」
「なんかね、これから用事あるから早く帰らなきゃいけなかったんだって」
ということで、姉貴と夜の横浜に到着。朝から降っていた雨はすっかり止み、『港の見える丘公園』にはカップルがいっぱい! 私もいつかは……。
華やかだけど、どこか切ない公園からの夜景を眺めながら、姉貴と私はその一時のおしゃべりを楽しんだ。
「私さぁ、サザンのコンサートに彼を誘ったんだけど、家族と行くからダメなんだって」
「へぇ、普通なら彼女と行きたいと思わない?」
「家族想いなんだよ、きっと」
「そっかぁ、優しい人なんだね」
「だからさ未砂記、私と一緒に行こ? ね?」
「うん! いとしの絵里ぃと一緒にね?」
「そうそう! いとしの絵里ぃと!」
家に帰ると私たちは一緒にお風呂に入って、きょうの思い出話やくだらない話で静かに盛り上がる。リビングのソファーで眠っている母親を気遣ってのことだ。
「喉渇いたから飲み物取ってくるね」
「うん」
言って姉貴は階段を下り、冷蔵庫があるキッチンへ向かったのだが、なかなか戻ってこないので私もリビングへ向かおうと階段を下る。深夜なので物音を立てないようにそ~っと。
ところが姉貴は階段を下りてすぐのリビングの横開きの扉をほんの3センチほど開けて部屋を覗き込んでいた。
「ねぇ、何してんの?」
掠れるほどの小声で姉貴に理由を尋ねる。
「だ、ダメ、見ちゃ……」
「まぁまぁ、そんなこと言わないで見せてよぉ」
気になるので姉貴をそっと押し退け私もリビングを覗く。
「えっ、うそ……」
私は、自分の目を疑った。




