オダワラぶれいく
日曜日、俺は小田原へ出向き、駅前のアーケード街の入口にあるドトールで、元カノ兼親友の浸地とコーヒーブレイクしていた。二人ともガムシロップとミルクポーションを一つずつ入れたアイスコーヒーだ。
「わざわざ小田原まで来てくれなくても、私が茅ヶ崎行ったよ? 交通費かかんないし」
「俺が呼んどいて休みの日にわざわざ来てもらうのは悪いだろ」
そう、今日は浸地に訊きたいことがあって、わざわざ出て来てもらったのだ。
「そんくらい平気だって。で、話って何?」
「いやさぁ、俺も色々たまっちゃってさ」
「たまる? ストレスとか? お家のこと?」
確かに宮下家には色々と事情があって複雑だ。だが今日の話題は……。
俺は周囲に客や店員が居ないのを確認して、小声で話す。
「いや、そっちじゃなくて俺、昨夜と今朝、浸地をオカズにしたんだけど、それでも欲求不満でさ」
「つまり、やりたいと」
「そうそう! そうなんだよ! ドピュッ! と一発イッてみよう!」
互いに努めて小声で言う。
「はぁ。これ、クラスの他の女子が聞いたらどう思うんだろうね。クールなアイドルフェイスの宮下くんが実はただの変態でした、なんて知ったら。ってか、本人の前でオカズにした宣言とか、人によっては絶交じゃ済まないよ? 下手したら法的措置」
「俺は必要以上に口を開いたり、仲間と群れないだけで、 別にクールなつもりはない。あと、もちろん下ネタは相手を選んで言ってる」
「あ~はいはい。で、本題は?」
さすが浸地。よく俺を理解してくれている。
「うん、実はさ、始業式の日の放課後に、仙石原から意味不明なビーズのセットを渡されて、必ず一日一粒ずつテグスに通せとか言われたんだけど、何か知ってる?」
これが今日の本題。浸地は仙石原の親友でもあるから、何か知っているのではないかと思ったのだ。
「ううん、何も知らない」
「そうか、即答したってことは、知ってるんだな」
「知ってるよ」
「あっさり認めやがった」
「でも教えな~い。ってか、教えちゃいけな~い」
「教えちゃいけない? やっぱ高価なものなのか? ググってもそれらしいものはヒットしないし、気になって夜眠れないんだ。代わりに授業中は居眠りするけど」
「値段は私も知らないよ。それに、ネットに載るほどメジャーなものでもないんじゃない? 居眠りはずっと前からやってるじゃん」
「値段は知らないってことは、他に何かあるんだな」
「あるけど教えちゃいけない」
「じゃあ、なんで一日一粒ずつなんだ? それも教えちゃいけないのか?」
「それは、どうなんだろう」
会話に詰まり、暫し沈黙が流れた。
「未砂記はね、人を選んでビーズを渡してるよ。つまりすぅ君は未砂記に信用されてる」
やっぱ信用問題は関わるのか。ってことは、オタちゃんも信用されてるのな。ちなみに“すぅ君”は浸地が俺を呼ぶときの従名。
「ほう、仙石原には俺の誠実さが理解できると。なかなかやるな」
正直、何も考えずに行動するヤツかと思ってたけど、ちゃんと人を見てるのか。って、それはバカにし過ぎか。
「自分でそういうこと言わないの。あと、未砂記のことバカにしてるでしょ」
あらら、浸地にも指摘されてしまった。
「俺の人生って波瀾万丈じゃん? だから自尊心を高めないと今にも自らの身体を傷付けたい衝動に駆られるわけですよ。でもそんな勇気ないし、グロいの嫌いだし。そこで 、恐れながら浸地には素の自分を晒け出して、道を逸れぬよう勝手に協力してもらってるのさ。あとごめん、仙石原のことはバカにしてました。反省してます」
俺が言い終えると、浸地はフッと鼻で笑った。
「ふふ、反省したなら宜しい。しかしホント、私の前だとよく喋るよね。すぅ君って、電話とかメールで済む用件をわざわざ小田原まで来て会って訊くくらい人懐っこいけど、気が合う人が少ないから普段はクールに見えるんだよね」
「だってよ、笑えない話に無理に笑顔作って、帳尻合わせるのって疲れるじゃん。大体群れてる連中だって表面は笑顔でも、内心冷めてるヤツ結構多いぜ?」
「そんな仮初めの関係は、ときに孤独より辛い?」
「だな。身体は同じ場所に集まってるけど、心はバラバラなんだから。それこそビーズみたいに一本のテグスで繋がってればな。群れの中の誰かが多数派の理解の範疇を超えるようなことしたり、街の中でトラブルに巻き込まれてるのを通りすがりに見掛けたって、無関係なフリして助けないだろ」
「そうかもね。万物に“無関係”なんて有り得ないのに、 人は無関係になりたがる。いま飲んでるコーヒーだって、誰かが栽培しなきゃ飲めないし、どこかの国で起きてる戦争だって、同じ世界での出来事。宇宙だって、上手く機能しなくなったり、大きい隕石が墜ちてきたら地球は滅びる」
「それが映画みたいなフィクションだとしたって 、誰かが創作したならば、創作者はこの世の者。もし神様に操られて創作したにしても、人間はこの世のもの。ハリウッド映画みたいな大作じゃなくたって、作品が出版されたり 、映画になったり、閲覧無料のウェブ小説でも世に出れば 、例えその読者や観客ではなくとも、それは決して自分と無関係ではない」
「観客が影響を受けて、善し悪しはともかく、何かアクションを起こすかもしれないしね」
「そう。何かか誰かが、何かか誰かに微少でも影響を与えたとしたら、それは決して万物と無関係ではない。 やっぱ俺、浸地と仲良くなれて良かった。そんな話に真剣に耳を傾けてくれるヤツなんて、なかなかいないだろ。 大体バカにされるか気味悪がられるか訳わかんないヤツと思われるか」
「結局そこに行き着くんだ」
「まぁな。もちろん浸地を好きになった理由はそれだけじゃないけど、それもある。恋愛関係じゃなくなった今でも、 仲良くなれて良かったって、心の底から思ってる」
「へぇ、嬉しいこと言ってくれるじゃん」
照れたのか、浸地は小恥ずかしそうに、しかし爽やかにニヤケながら言った。
「よし、嬉しくなったところで、これからホテルで休憩するか」
「ふふっ、遠慮しときます」
笑顔でキッパリNO!
結局、ホテルでの休憩はできず、ビーズがどのような代物なのかも聞き出せなかった。
ドトールを出た後、アニメや漫画が好きな俺と浸地は近くにあるアニメショップで漫画の単行本を数冊買ってから、ソメイヨシノが満開の小田原城を囲う、お堀に沿う並木道を散策している。周囲は花見の人々で賑わっている。中には一眼レフで陣取りをしている人まで。花は、特にソメイヨシノはなぜ、老若男女を虜にして、心穏やかにしてくれるのだろう。
「お花って、みんな綺麗だよね」
見事、ひらりと舞う花びらを手の甲にのせた浸地が言った。
「ラフレシアとか?」
「あ、うん、綺麗だよね、ラフレシア。ってかなんで桜並木でラフレシア?」
「なんとなく」
浸地は本当にラフレシアを綺麗だと思っているのだろうか。よくわからないが、残念ながら俺はラフレシアを見ても心穏やかにはならないな。あの巨大な花、一度は生で見てみたい。
「ラフレシアはノーコメントとして、桜も、小田原城の周りに咲いてる菜の花とか、オオイヌノフグリとか」
「だな。桜だけじゃなくて、よく見回すと色んな花が咲いてるよな」
「そこモンシロチョウが舞ってたりすると、春の雰囲気が増すよね」
「あぁ、なんかさ、花とか虫とか見てると、オアシスって意外と身近にあるんだなって思う」
「うんうん。なんかわかるその感覚」
「俺、やっぱ浸地と仲良くなれて良かった」
「えへへっ、ありがとう」
浸地の照れた顔は可愛くもあり、しかし爽やかで、やっぱり可愛い。俺も照れて、ついニヤケてしまう。たぶん、こういうのを“ 幸せ”というのだろう。
なのに、ぐちゃぐちゃに絡んだ憂鬱が何時も付き纏う損な性格はどうにかならないものだろうか。
世界が花のように穏やかで、優しくなればいいのに。そう、切に願うばかりだ。