修善寺旅行の終わりに
「おわぁ~、すごいなここ~」
未体験の景色に、私はそれ以上の言葉が出なかった。
ヒタッチは圧巻されて、ただ上を見ている。
竹林の切り通しに突如現れる、優しく透き通る黄緑の空と、蝉時雨。見惚れて行き交う人々は足を止め、写メを撮ったり「すっげぇなここ」と感嘆している。
温かな陽光に包まれて、いつまでもここに立って見上げていたくなる、この世とは思えないほど神秘的な光景を、目の当たりにしている。
一人だったらこんなとこ、絶対に見付けられなかったな。ヒタッチといっしょだから見られた景色だ。
私が一人で出かけるところといえば、サティーとかジャスコとか、洋服屋さんとかCDショップくらい。
天国の入り口って、こんな感じなのかな?
7年前に死別した姉貴は、お空の上でハッピーな毎日を送ってるのかな?
仙石原家での日々はどう考えても幸せな結末とはいえない。だからせめて向こうの世界では幸せになってほしい。
そんなことを想っていたときだった。
ふわあっとさわやかな風が吹き抜けて、笹の葉がざらざらざわめき、衣服や髪を靡かせた。
静かだな。静かなのに賑やかで、ヒタッチも、観光客もいっぱいいる。こういうのをなんて言ったっけ? 二律なんとか?
「たまには旅行もいいね」
「うん、なんかこう、すごい景色だよ!」
私たちは川のせせらぎと緑のざわめきと、その中に潜む静けさを全身で感じながら、心のアルバムにしまった。
帰りに乗った特急踊り子から眺める景色も、雄大な田園風景と山に閉ざされた地平線、そこに沈む夕陽が、海辺育ちの私にとっては非日常感。あまり遅くまで外を歩いていると神隠しに遭いそうだ。
地元を走っている電車でも、遠くまで乗ると広がる景色は全く違う。
『小田原~、おだわら~、ご乗車、ありがとうございます』
ヒタッチの家は小田原駅が最寄。特急踊り子は茅ヶ崎駅を通過するので私もいっしょに降りた。
軽快な発車メロディーが鳴り響き、プシューっとドアを閉めると、年老いた電車は東京へ向かって徐に走り出し、重たい腰を上げるようにじわじわ加速していった。最後部が通過すると、ビュンと空気が巻き上がり、髪や服が靡いた。
「ヒタッチはずっと、この駅から通ってるんだね」
「だね。混雑してくるのは茅ヶ崎からだから、いまは苦じゃないけどね」
「小学校はきつかったね。あの頃は吊り革に手が届かなかったから、座席の脇の棒にどうにか掴まったり、掴まれないとバランスゲームだったね」
「そうそう、113系はよく揺れたなぁ」
「113系?」
ヒタッチのお父さんは電車の運転士だから、ヒタッチもそこそこ電車に詳しい。たまに車種の番号を言われてわからないときがある。
「オレンジと緑に塗り分けられた昭和の香り漂う電車」
「あぁ、いつもあれに乗ってたよね! 去年なくなちゃったの」
「うん、去年の3月17日、よく晴れた金曜日。最後の電車が夜中の小田原行きだったから、乗って帰った」
「だね。夜までいっしょに遊んで見送りに行ったのをきのうのことのように思い出す」
「なんか、まだ走ってきそうな感じがするよ」
そんな話をしているとき、東京方面から向かい側の乗り場に入ってきたのは、113系を置き換えた新しい電車。銀色の車体にUVカットフィルムが貼られた大きな窓、キイイインと未来のロボットみたいな音を出しながら止まった。
『ご乗車ありがとうございましたー、終点、小田原~、おだわら~。折り返し東京行きとなりますが、清掃作業を行いますので、ご乗車までしばらくお待ちください』
「新車が来たね」
「わかってたよ、4ドアって電光掲示板に出てたしね」
新車は4ドア、113系と、もう一種類あるステンレス製の古い現役車両は3ドア。数年後にはこれもなくなると思う。
雑談をしているうちに清掃作業が終わり、一旦閉じたドアが再び開いた。
「そろそろ発車時刻だね。きょうは遠くまで来てくれてありがとう」
「ノープロノープロ! 緑にまみれてワンダフォーだったよ!」
発車メロディーが鳴り始めた。もう電車に乗らなきゃ。
「良かった。じゃあまたね」
「うん! いつでもミートユーアゲイン!」
電車に乗った。行き交う人はいないので出入口に立ち止まり、見送られる私。ティトーンティトーンティトーンガチャッとドアが閉まり、「じゃあね」と手を振る私。ヒタッチは微笑んで、同様に手を振った。電車が走り出しても私はその場に立ったまま、ヒタッチが見えなくなるまで着席しなかった。
ヒタッチも、少なくとも私の視界から見えなくなるまでは、ホームに立っていてくれた。
お読みいただき誠にありがとうございます。
長らく更新をお休みしてしまい大変恐縮です。
公募用短期集中連載『私たちは青春に飢えている』が完結し、連載再開となりました。




