ばぁちゃんの家へ
私たちへのイジメは収束しないまま夏休みに入った。休み中の四十数日間は気楽でいられる。
と思えるほど単純ではない。休みが終わればまた地獄へ戻される。八月十日、夏休みに入って二十一日が経過した今日は、折り返し地点だ。今日までの二十一日間は決して楽しいことはなかった。あと何日、あと何日と、憂鬱に時間経過を数える日々。楽しいことをしているときも、いつもそれが付きまとい、とてもスッキリした気分ではいられなかった。
それでも朝はやってきて、まだ薄暗かった四時半に地元の駅を発車してから一時間弱、横浜市内の小高い丘の上を通過中の普通列車グリーン車の二階席には、朝焼け空からまばゆい光が差し込んでいた。ぼんやりした間接照明と二藍色のリクライニングシートが配置された、揺れの少ない静かな車内と相俟って、まどろみの空間が演出されている。もし異世界というものがあるとしたら、入口はきっとこんな光景だろう。朝五時台とあってか、幻想的な空間が眠気を誘い、うとうとしてしまう。隣に座っているお母さんはぐっすりだ。東京駅で新幹線に乗り換えなければならないけど、終点だから眠っていても清掃員に起こされるだろう。
しかし結局、私は眠らなかった。
早朝の列車はどこか新鮮な気分。東京駅の到着は朝焼けが残る五時五二分。それまでに通過したいつもの駅も、その先も、いつもより静かで、しかしこれから営みが始まるよと、くすぶるようにざわめいていた。発車メロディーの聞こえかたも違う。品川駅の『鉄道唱歌』はより澄明に、新橋駅のメロディーは霞がかった空気に乗って昼や夜よりほわほわしていた。そんないつもと違ういつもの景色が演出する空気感に入り浸っていたら、早くも東京駅に到着したのだった。
辛いとき、悲しいとき、それと相反する理想を思い描くと、視野が広がって、いままで気にも留めなかったことに気付いたりする。例えば東京駅に到着するまでに見た景色の美しさや、駅構内で働く清掃員への謝意などだ。清掃が行き届いていなければきっと駅はゴミだらけで、せっかく美しいものを目にしても、気分は台無しだろう。
二時間半後、私たちは東北地方の長閑な町に到着した。夜明け前の起床に伴う睡眠不足で、新幹線やここまで利用した在来線ではぐっすり眠ってしまった。お盆の前にはお母さんと二人で、ばぁちゃんの家に数日間泊まるのが通例なのだ。
火山の噴火によってできた大きな湖のほとりにあるこの町の人口は約三万人。面積は私が住む人口約二十万人の城下町と同じくらいだ。
食堂が数軒だけある閑散とした駅前からタクシーで田園風景を颯爽と駆け抜けること十分、赤茶色の古びた二階建て家屋に到着した。大きな湖から僅か五百メートルほどの立地で、晴れ渡り、数種のセミが大合唱をしていても、さらっとした湖水風が心地良い。
カラカラカラ。お母さんがアルミ格子に曇りガラスが嵌め込まれた鍵の掛かっていない横開きの戸を開けた。
「ごめんくださーい」
実家に着いてその台詞は、お母さんからすれば違和感があるのかもしれない。
それから数十秒、目の前斜め右の障子戸がするっ、するっと開き、曲がった腰に拳を当てたもんぺ姿のばぁちゃんが、「はいはいはい」と声を絞り、わっせわっせと玄関に出てきた。
「おやおや浸地ちゃん、よく来たなぁ、また大きくなってなぁ」
未だ聞き慣れないお国訛りを発するばぁちゃんは、幾年ものあいだ畑仕事を重ねゴツゴツした手でふわりふわりと私を撫でる。
「おじゃましまーす」
上手に甘えられない私はきっと無愛想で、それでも少し頬は緩んでいたと思う。
それからしばらく、お母さんとばぁちゃんは玄関で立ち話。私はそれを傍で黙って聞いていた。
家に上がったらお母さんが仏壇の両サイドに立つ蝋燭にマッチで点火。お線香を焚いてじぃちゃんたちご先祖さまにごあいさつ。
あぁ、今年もまた、ばぁちゃん家に来た。
お線香の香りを嗅いだとき、ようやく私は実感するのだ。




