第十七話「代償の形」
市場に戻った瞬間、エルドは違和感ではなく“欠損”を感じた。
何かが、減っている。
ではない。
何かが“消え続けている”。
「……始まったか」
隣にいたリリアが顔を上げる。
「何がですか」
エルドは短く答える。
「反動だ」
市場は昨日と同じように見える。
だが、確実に違う。
パンの屋台へ向かう。
そこにミアがいるはずの場所。
だが、エルドは到着前に気づく。
“数が合わない”。
リクが立っている。
ルナもいる。
しかし、ミアの位置だけが曖昧だ。
「あれ……姉ちゃんは?」
リクの声に、わずかな不安が混じる。
エルドは止まる。
(ここまで来たか)
リリアが震える声で言う。
「エルド様……記録にも、ミアさんの位置が……」
エルドは帳簿を見る。
そこには“空白”があった。
存在していたはずの項目が、完全に抜けている。
ではなく。
“最初から書かれていない”。
リリアが顔を青くする。
「これ……削除じゃなくて……」
エルドは言う。
「未定義化だ」
その瞬間、リクが叫ぶ。
「姉ちゃん!」
だが、その声は空間に吸われるように消える。
ルナが震えながら言う。
「聞こえない……」
エルドは視線を上げる。
市場の“ある一点”だけが曖昧になっている。
そこにミアがいたはずの“残響”だけが残っている。
リリアが崩れそうになりながら言う。
「エルド様……これ、存在が……」
エルドは静かに言う。
「消去ではない」
「切り離しだ」
その言葉にリリアは固まる。
市場の音が一瞬途切れる。
――ゴォン。
鐘。
だが今回は、外ではない。
“エルドの認識の奥”。
エルドは一瞬だけ目を閉じる。
(代償が来た)
鐘に触れた瞬間の反作用。
“管理側”が認識した。
そして調整を開始した。
リリアが必死に言う。
「エルド様、戻しましょう!」
エルドは首を振る。
「もう戻せない」
その言葉にリリアが息を呑む。
エルドは続ける。
「触れた時点で、記録が変わった」
「世界側が修正を始めている」
リクが叫ぶ。
「じゃあ姉ちゃんは!?」
エルドは一瞬だけ沈黙する。
そして言う。
「消えてはいない」
その言葉に、リクがわずかに希望を持つ。
だがエルドは続ける。
「“ここにいない”だけだ」
沈黙。
リリアが震える声で言う。
「それって……助かるんですか」
エルドは答えない。
代わりに視線を上げる。
(修正が入っている)
世界がミアという変数を“外した”。
理由は一つ。
“観測されたから”。
エルドは理解する。
鐘はただの装置ではない。
観測されることを嫌う仕組みだ。
リリアが小さく言う。
「エルド様……私たちも……」
エルドは短く言う。
「既に対象だ」
その瞬間、リリアの手が震える。
市場の一部で、人々がざわつく。
「誰だっけ、あの子?」
「最初からいなかったよな?」
記憶の上書き。
存在の整合修正。
リクが呟く。
「……姉ちゃん、忘れられてる」
エルドは目を細める。
(加速している)
鐘は“修正速度”を上げている。
ミアの存在を、完全に排除するために。
リリアが震える声で言う。
「エルド様、どうすれば……」
エルドは一歩踏み出す。
「もう一度触れる」
その言葉にリリアが驚く。
「またあの場所へ!?」
エルドは頷く。
「今度は“干渉”ではない」
「制御だ」
その瞬間、空気が変わる。
リクが叫ぶ。
「待ってくれ!」
エルドは止まらない。
ミアの“痕跡”が薄れていく。
時間がない。
(間に合うかどうかではない)
(取り戻せるかどうかでもない)
エルドは理解する。
これは“再定義戦争”だ。




