本と少女②
四時間目の終わりのチャイムが鳴る。間を置かず、英語の先生が手を叩いた。
「はい終了ー! ペン置いて。回答用紙、後ろから回してねー。前に言った通り、五十点以下は夏休みの課題、倍ですからね~」
(うわ、まじか……)
あたしは椅子にだらんと体を預けて、天井を見つめた。ペンはかろうじて動かしたけど、どこに何を書いたかまったく覚えてない。ていうか、今日小テストあるなんて、聞いてなかったんだけど……。
椅子の軋む音が鳴り始めて、プリントのめくられる音がそこかしこに広がっていく。エアコンの効きが悪いのか、教室の重たい熱が肌にまとわりついて気持ち悪い。
「なんとか六割はいったかも~」
隣のハルナがのんびりした声で言った。三つ編みを後ろに回して首筋の汗を拭くような仕草をする。
「……ミズキちゃん大丈夫?」
返事する気力もない。白目剥きかけのあたしは口から魂を吐き出し、ただ静かに天を仰ぐだけだった。ここがゲームの世界なら、きっと画面に”YOU DEAD”と表示されているだろう。
「いやいや」
前の席のリサが振り返って、あたしの無様な答案用紙を引き取る。茶髪センター分け、アイラインばっちりのご満悦ギャルが得意気な顔を見せる。
「今日のやつ、前回の中間の復習ばっかじゃん。ふつーに点取れたっしょ?」
(いやその中間テスト、赤点満点だったんですけど!)
あたしは心の中でだけツッコんで、机に突っ伏した。
「てかミズキちゃん、今日英語の小テストあるの知らなかったの?」
「うん。完全に初耳だった」
あたしはうつ伏せのまま答える。
「そりゃアカンて」
ハルナが苦笑いする。
「てかさ〜、うちら三人並ぶとさ、成績の差やばくね? ギャルのあたしが一番頭いいってどういうこと〜」
リサがわざとらしく髪をかきあげながら言って、「はい出ました天才ギャル」と、あたしが敬礼のポーズを決める。その瞬間、三人でくすっと笑った。
誰かが開けた窓から心地よい風が吹き込んできた。教室の空気はちょっとだけ和らいで、廊下からは昼休みの喧騒が流れてきた。
和やかな空気の中、リサがふいに教室の出入口を見て声を上げた。
「あれ? ちょ、見て、あれ奥谷じゃね? 三組の」
「ほんとだ。なんかこっち見てない?」
ハルナもそわそわと身を乗り出す。
「野球部のエース候補が何か御用ですかー? てか満場一致のイケメン、眼福眼福……」
リサがスマホで撮るふりをして手で型を作っていた。
「ミズキちゃん、なんか視線頂いてるよー。あれ見て元気だして」
ハルナが耳元で囁きながら小突いてくる。
「んあー……?」
気だるく顔を上げたら、いた。パンクボーイ――朝の遅刻男子が、あたしをガン見してる。ん? いや、違う。見てるんじゃない。なんか掲げてる。
あれは――
(チーズメンチパン!!)
体が勝手に立ち上がってた。そして叫んだ。
「パンクボーイ!!」
「パンク……え、なに!?」
リサの声が背後から聞こえたけど、そんなのどうでもいい。パンだ。あたしのパンが来たんだ!!
気づいたときには、あたしは声にもならない声を上げ席を飛び出していた。
出入口前の人波とすれ違うようにして、奥谷少年に駆け寄る。あたしはその手からチーズメンチパンを迷うことなく奪い取ると、そのまま片足で軸を取って華麗に一回転した。
「おぉ、やるじゃん。早かったな、少年!」
「売り切れが怖かったからさ、四時間目の前にこっそり買っといた」
奥谷少年は、運動部特有の礼儀正しさで頭をかきながら、控えめに笑った。
「さすが顔面エース。やりおるわ〜」
あたしは待ち望んだ品をそっと胸に抱き、軽く頬ずりした。
「では、いただきマース」
「え、ここで!?」
「ここでだよ。パンもチーズもメンチも喜びも、鮮度が命!」
目を丸くする彼を尻目に、あたしは勢いよく袋を破ってかぶりついた。……うん、今日も完璧。このパン、ほんと外れない。
「これね、食べごたえあるのにくどくないんよ。たぶん、脂肪分少なめのミンチ使ってると思う。チーズもクセのないやつ選んでるし、パン粉も細かめでサクッと感よりしっとり感。多分、揚げ時間短めでいってるわ」
「すご、めっちゃ詳しいじゃん」
「あたし父が料理人なんよ。舌だけは英語より鍛えられてる」
奥谷くんは感心したように、けれどどこかおかしそうに笑った。
「なんか、お店の人に聞かせたいくらいだな、それ」
「いっそPOPに書いてほしいよねー、“織付ミズキ絶賛!”って」
あたしはパン片手にポーズを決める。そうしてそのままポケットをごそごそと探り、財布を取り出した。
「お金返さなきゃ。えーっと、二百六十円……?」
「いいよいいよ、俺の奢り。ほんと助かったし、感謝してる」
彼の言葉は簡素だけど、真っ直ぐだった。心までイケメンかよって思った。
「いやいや悪いって。……ほんとにいいの? ただのパンじゃないよ? 神パンだよ?」
ちょっとだけ悪い顔をして、上目遣いで聞いてみる。
「うん。ほんとに助かったから」
奥谷くんは照れくさそうに、でもまっすぐ頷いた。
「……あはー! 神エース、爆誕!」
あたしはメンチパンを高々と掲げて叫ぶ。それを見て彼は軽く笑って手を振った。
「じゃ、そろそろ戻るわ」
「んー、ありがほねー!もう遅刻ひちゃだめだかんね」
口いっぱいにパンを詰めながらあたしが手を振ると、彼はまたひとつ笑って三組の方へ戻っていった。
「……って、遅刻魔のあたしが言うなってやつだよね」
食べかけのパンに、そう自虐を言い聞かせた。
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