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日常相談部は青春を知らない  作者: 和泉 伽冴


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第2話

 昼休みの教室は、朝よりも少し雑だった。

 人数は同じはずなのに、音だけが増えている。


 窓の外から差し込む光が、机の上をゆっくり滑っていた。

 まだ誰の居場所にもなっていない机を、順番に確かめるみたいに。


 僕は席で弁当を広げていた。

 量も色も控えめで、会話を誘う要素は少ない。


 教室のざわめきは、僕の周囲だけを避けるように流れていく。

 そこに壁があるわけでもないのに、音は律儀だった。


「ここ、いい?」


 顔を上げると、白神が弁当を持ったまま立っていた。


「どうぞ」


 断る理由はなかったし、歓迎するほどの気持ちもなかった。

 その中間が、今の僕にはちょうどいい。


 白神は向かいの席に座り、弁当の蓋を開けた。


 白神の弁当は、僕のとは違って色とりどりだった。

 並んだおかずが、それぞれ勝手に自己主張している。


「静かだね」


「昼休みだけど」


「そうそう。だから逆に」


 箸の動きに合わせて、会話も少しだけ進む。


 昼休みの時間は、内容よりも速度を選ぶらしい。

 早すぎる声は跳ね返され、遅すぎる言葉は置き去りにされる。


 僕たちの会話は、そのどちらにもならなかった。


「弁当、自分で作ってる?」


「まあ」


「へえ」


 それ以上、話は広がらなかった。


 けれど沈黙は、壊れもしなかった。

 割れなかったコップみたいに、机の上にそのまま残っている。


 窓の外で風が吹き、

 教室の空気が、ほんの少しだけ位置を変えた。


「昨日さ」


 白神が、思い出したように言う。


「部活の話、したじゃん」


「したな」


「今日の放課後、空いてる?」


 放課後という言葉が、

 時間より先に教室を出ていく。


「特に予定はない」


「じゃあ、見て回ろう」


 白神はそう言って、弁当を一口分だけ残したまま箸を止めた。


「暇つぶしでいいから」


 暇つぶし、という言葉は、

 期待を削って、選択肢だけを残してくれる。


「分かった」


 その返事と同時に、

 昨日聞いた部活の名前が、

 記憶の奥で乾いた音を立てた。


 チャイムが鳴る。


 昼休みという時間が、

 机の間をすり抜けながら校舎の外へ流れていった。


 午後の授業は、言葉よりも形だけを残す。

 ノートの上で文字が並び、意味は後から追いついてくる。


 放課後。


 授業という重りが外れ、

 校舎の中の空気が一斉に向きを変えた。

 時間が、決まった道順をやめる。


「どこから見る?」


 白神の声が、廊下の端で少し反響した。


「どこでも」


「それ、一番困る答え」


 言葉とは裏腹に、困った様子はなかった。


 体育館の方から声が溢れてくる。

 音だけで、人の密度が分かる気がした。


「ああいうのは?」


「向いてない」


 答えは、理由を連れずに出てきた。


「だよね」


 白神は笑った。

 その笑いは、説得じゃなく、確認だった。


 文化部の廊下に入ると、

 音が急に減る。


 静けさが、ここから先は自分の担当だと言いたげだった。


 校舎の奥に進もうとしたところで、

 空気が、後ろから肩を叩いた。


「あ、色葉坂」


 声に振り返ると、

 セミロングの髪が肩のあたりで静かに揺れた。


 ボブより少し長いだけなのに、

 それだけで、落ち着いた距離を保っている感じがした。


「このプリント、どこ出すか分かる?」


 手に持った紙が、

 落とさない位置で控えめに揺れている。


「職員室前の提出ボックスだったと思う」


「よかった……あ、あのさ、私一人で行くの、ちょっと不安でさ…」


 その言葉で、

 廊下の流れが静かに形を変えた。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 そう言ったのは、

 決断というより、

 その場に用意されていた選択肢を拾っただけだった。


 隣で聞いていた白神が、

 一歩だけ後ろに下がる。


「俺、ここで別れるわ」


「あぁ、ごめん」


「いいって。提出だけだろ?」


 白神は軽く笑って、

 来た道とは反対の方向を指さした。


「俺、他のとこ見てくる」


 それは見送る言葉じゃなく、

 これ以上、同じ流れにいないという宣言だった。


 白神の背中は、

 廊下の音に紛れて、

 いつの間にか区別がつかなくなる。


 人の数が減ると、

 廊下は急に、

 一本道としての顔を取り戻した。


 廊下を並んで歩きなら、

 しばらく、言葉は落ちてこなかった。


 掲示物の前を通り過ぎるたびに、

 紙の端が空気を引っかいて、

 それだけが会話みたいに聞こえる。


「……あのさ」


「悪いんだけど、

 名前、ちゃんと覚えられてなくて」


「よかったら、教えてもらっていい?」


 彼女は少しだけ考えてから、


「信濃。下は紗季」


 と答えた。


「信濃、紗季」


 口に出すと、

 音だけが先に歩いていく。


「覚えづらいよね」


「いや、そんなことはない」


 本当だった。

 名前は、人より先に、その人の距離を教えてくれる


「色葉坂、裕翔だよね」


「うん」


「出席番号、近かったから」


 それだけの理由なのに、

 なぜか納得できた。


 職員室前の提出ボックスは、

 壁際に静かに並んでいた。


 紙が落ちる音は軽くて、

 それだけで用事が終わったと分かる。


「ありがとう」


 信濃はそう言って、

 すぐに別の方向へ歩いていった。


 提出ボックスの前には、

 もう誰も残らなかった。


 一人になると、

 廊下の静けさが遅れて追いついてくる。


 足音だけが、ここに残る。


 僕は、来た道とは違う方向へ歩き出す。


 校舎の一番奥。


 使われているのか分からない教室の前で、

 空気が、先に立ち止まった。


 扉は閉まっている。


 それでも、この場所だけ、

 ずっと前から開いていたみたいだった。


 扉の横に、

 小さな紙が貼られている。


 字は丁寧で、

 でも少し癖がある。


「日常相談部」


 それだけ書いてあった。


 説明も、

 活動時間も、

 勧誘の言葉もない。


 なのに、

 ここにいる理由だけは、

 不思議と伝わってきた。


 軽く、ノックをする。


 ……返事はない。


 もう一度叩こうとして、

 扉がわずかに開いていることに気づく。


 音を立てないように押すと、

 教室の中は静かだった。


 窓際の席に、一人。


 机に向かって、分厚い本を開いている先輩がいる。


 黒髪は長く、背中に沿ってまっすぐ落ちている。

 丸縁の眼鏡が、窓からの光を少しだけ反射していた。


 制服はきちんと着ていて、

 どこにも隙はないのに、窮屈そうには見えない。


 この教室そのものが、

 彼女のために静かになっているみたいだった。


「……あの」


 声をかけた瞬間、


「ひゃあっ!?」


 先輩の肩が跳ね、

 本が少し浮いて、慌てて抱き直される。


「え、あ……す、すみません……」


 眼鏡の奥の目が、こちらを見て止まる。


「い、今……人が来るとは思ってなくて……」


 早口だけど、声は小さい。

 強くはないのに、

 教室の空気は、彼女の方を向いたままだ。


「……あ、えっと」


 こちらが答える前に、

 先輩は少しだけ姿勢を正す。


「……あ、えっと。

 ここ、日常相談部で……」


 そこまで言ってから、

 はっとした顔になる。


「あ、ごめんなさい。

 まずは……」


 丸縁眼鏡の位置を直して、

 一拍置いてから、


「白浜美羽です」


 そう名乗った。


 白浜先輩は、

 机の上の本をそっと閉じてから、

 その上に両手を重ねた。


「部活見学、ですか……?」


「はい」


「そ、そうですよね……」


 一度、深呼吸をする。


「ここは……その……

 日常相談部、っていう名前で……」


 名前を口にした瞬間、

 それだけで説明が終わったみたいに、

 少し安心した顔になる。


「困っている人の話を聞いたり……

 一緒に考えたり、します」


「解決、するんですか?」


 そう聞くと、

 白浜先輩は一瞬だけ言葉に詰まった。


「えっと……」


 眼鏡の縁に指をかけて、

 視線を宙に彷徨わせる。


「……できることも、あります」


 断言じゃない。

 でも、逃げてもいない。


「部員は……」


「い、今は……一人です」


 少し恥ずかしそうに、

 でも誤魔化さずに言った。


「あの……よかったら、

 座ってください」


 指さされた椅子は、

 相談者用というより、

 たまたま空いていた席みたいだった。


 椅子に座ると、

 教室の静けさが、

 さっきより近くなる。


 そのときだった。


 コンコン、と

 今度ははっきりしたノックの音がした。


 白浜先輩の肩が、また小さく跳ねる。


「は、はいっ!」


 扉を開けると、

 同じ制服の女子が立っていた。


「すみません……

 相談部って、ここですか?」


「は、はい……そうです」


 白浜先輩は少しだけ視線を下げて、

 それから、僕の方を見る。


「あの……」


 何かを言いかけて、

 迷う。


「……だ、大丈夫です。

 この人も……えっと……」


 言葉が止まる。


 僕が何者か、

 先輩自身も、

 まだ定義できていないみたいだった。


「……見学の人、です」


 相談に来た女子は、

 一瞬だけこちらを見て、


「あ、じゃあ……」


 と遠慮しかける。


「だ、だめじゃないです!」


 白浜先輩が、

 少しだけ声を張った。


 それでも、

 叫ぶほどじゃない。


「あの……聞くだけでも……

 人が多い方が、安心ですし……」


 相談者は、

 その言葉に救われたみたいに、

 小さく頷いた。


 気づくと、

 僕は先輩の隣に座らされていた。


 いつ移動したのか、

 自分でも分からない。


「それで……

 どんな相談ですか……?」


 白浜先輩の声は、

 まだ少し震えている。


「あの……」


 相談に来た女子は、

 一度だけ深呼吸をしてから、

 口を開いた。


「高校、入ったら……

 ちゃんと、変われると思ってたんです」


 白浜先輩は、

 何も言わずに頷いた。


「中学のときは……

 大人しいっていうか、

 目立たない方で……」


「だから……

 今度こそ、

 明るい人になろうって」


 その言葉は、

 前向きなのに、

 少しだけ苦しそうだった。


「クラスの人と話すとき、

 気づいたら……

 その場に合いそうなキャラを

 作っちゃってて……」


 彼女は、

 机の端を指でなぞる。


「よく笑う人だったり、

 ちょっと強気だったり……」


「最初は、

 楽しかったんです」


「でも……」


 そこから先は、

 少し言いづらそうに、

 言葉が間延びした。


「話すたびに、

 自分がズレていく感じがして……」


 白浜先輩は、

 眼鏡の奥で、

 ゆっくり瞬きをした。


「本当の自分で話したい、

 って思うんです」


「でも……

 どう話してたか、

 分からなくなってて……」


 相談者は、

 そこで初めて、

 視線を上げた。


「今さら、

 キャラを変えたら……

 変な人ですよね……?」


 相談者の声は、

 答えを求めているというより、

 許可を探しているみたいだった。


 白浜先輩は、

 すぐには答えなかった。


 丸縁眼鏡の奥で、

 何度か瞬きをしてから、

 小さく口を開く。


「……変じゃ、ないと思います……」


 声は控えめなのに、

 迷いはなかった。


「キャラを作るのって……

 嘘をつくことじゃなくて……」


 そこで、

 先輩は一度こちらを見る。


 言葉を探している目だった。


「……相手に合わせて、

 自分を置いてきただけ、

 なんだと思います」


 気づいたら、

 自分の口が動いていた。


「だから……

 いきなり本当の自分に

 ならなくてもいい」


「今日は、

 笑うのを少し減らすとか……」


「それだけでも、

 ちゃんと前に進んでると思う」


 相談者は、

 しばらく黙ってから、

 小さく息を吐いた。


「……それなら、

 できそうです」


 夕方の光が、

 教室の床をゆっくり伸びていく。


「ありがとうございました」


 相談者は、

 深く頭を下げてから、

 教室を出ていった。


 扉が閉まる。


 静けさが戻ってきて、

 白浜先輩は、

 その場で固まったみたいになった。


「……あの……」


 少し間を置いてから、

 こちらを見る。


「助かりました……」


 それだけで、

 さっきまで張っていた空気が、

 すっと抜ける。


「一人だと……

 どうしても、

 見落としちゃうことが多くて……」


 言いながら、

 机の端を指でなぞる。


「よければ……」


 一度、言葉が止まる。


「無理じゃなければで

 いいんですけど……」


 そこまで前置きをしてから、


「……入部、

 してもらえませんか……?」


 断れるように、

 丁寧に置かれた言葉だった。


 でも、

 断る理由を探すには、

 もう遅かった。


 椅子の位置も、

 話す順番も、

 いつの間にか、

 部員側のそれになっている。


「……それなら……」


 自分の声が、

 教室に落ちる。


「入ります」


 言い切ったのに、

 不思議と大きな音はしなかった。


 ただ、

 空気の向きが、

 少し変わっただけだ。


 白浜先輩は、

 一瞬、言葉を失ったみたいに目を瞬かせて、


「……え」


 と、間の抜けた声を漏らす。


 それから、

 両手で口元を押さえて、

 慌てて眼鏡を直した。


「あ……ありがとう、ございます……」


 深く頭を下げたあと、

 先輩は、そっと顔を上げる。


 そのときだった。


 ほんの一瞬、

 遠慮がちに浮かんだ微笑みが、

 教室の静けさに溶ける。


 白くて、

 触れたら壊れてしまいそうなのに、

 そこに在ることだけは、

 はっきりと分かる笑顔。


 まるで白百合が、

 誰にも気づかれない場所で

 ひっそりと咲いたみたいだった。


 その笑顔が、

 音もなく、

 僕の心をノックする。


 強く叩かれたわけじゃない。


 ただ、

 無視できないと分かる程度に。


「……今日から……

 よろしくお願いします……」


 白浜先輩は、

 そう言って、

 控えめに微笑んだ。


 僕の席は、

 もう、

 迷い込んだ場所じゃなかった。

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