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  作者: Salt
15/27

15 dーday (1)


 彼とは、駅で待ち合わせた。

 

 LINEでやりとりしている内に、最寄りの駅が同じことがわかり、それならと、自然に集合場所が決まった。駅まわりの勉強場所については、自分がときどき利用していたから、当日の混み具合を見て、向かう場所は決めることになった。


「なんか、物足りない気もするけど……

これくらいでいっか」


 鏡に映る自分は、どこか物足りなく見えた。

 前に彼と会ったときの印象から、少なくとも学校の状態での彼は、周囲の視線に多少敏感なタイプだと気づいた。


 メイクは全体的に控えめ。ベージュ系の肌なじみのよい色でまとめ、血色感も最小限に。服装も、淡い色のカーディガンとタイトめな黒のパンツという、目立ちすぎない組み合わせにした。

 落ち着いた印象にはなったけれど、わたし自身の基準としては、物足りない…

 でも、認識の中での彼の視点に立てば、これがベスト。



「14:00」


 待ち合わせの時間、ぴったり。

 自然と口元が引き締まる。


 待ち合わせでこんなにも緊張したことが今まで会ったか。


「ごめん、ちょっと遅くなった」


 後ろから声がかかる。

 反射的に振り返ったその瞬間、何もかもが止まった。

 視線も、体の動きも、私に流れる時間も。


 止まらざる得なかった。

 なぜなら、そこに立っていたのは、私の知る彼ではなかったから。


 薄陽が差す空の下、淡く光を含んだアイスグレーのカーディガン。その下には深い黒のワイドパンツ。そのシルエットは、ゆったりとしているが、不思議とどこか洗練されて見える。


 足元の白いスニーカーも、ごく普通のデザインなのに、どこかバランスがよく見える。全体に無駄がなく、抜けすぎてもいない。


 けれど何より目を奪われたのは、その顔だった。


「ごめん、驚くよね。学校に行くときは目立ちたくないから、肌のトーンを落としてて。本当の肌色はこんな感じ」


 白く、透けるような肌。

 陶器のように滑らかで、繊細な光をまとっているようだった。

 女子の中でも色白な部類に入る私と並んでも、遜色ない透明感。


 メイクも繊細だった。ベースは薄く整えられ、まぶたにはラメの入らない、柔らかなブラウンの影が差していた。瞳の下にさりげなく仕込まれた、くすみピンクのニュアンスが儚げな印象を与えている。


 輪郭に沿った髪の毛も、整えているのか無造作なのか判別しづらい絶妙なバランスで、いつものぺたんとした髪とはまるで別物だった。


「前に図書室で勉強したとき、見たいって言ってたから。

それに、誘ったのは俺だし……変なら、今からでも落としてくるけど」


 その言葉に、私は慌てて首を振った。


「変じゃないよ。そのままで、いいよ」


 手鏡でメイクの崩れを確認していたことも、彼の姿を見た瞬間にすっかり忘れていた。目を逸らすことができず、無意識に彼の顔を追ってしまう。


 これが彼の、本当の姿。


 顎のラインはすっきりとしていて、頬骨の位置も高い。

 横顔の輪郭が浮き立つように整っており、顔周りを縁取る髪の流れも自然で、それでいてどこか計算されたような美しさがあった。


 彼は、自分に何が似合うのかを知っている。あくまでさりげなく、それでいて確実に印象を残す。そのセンスが、彼の一挙手一投足ににじんでいた。



「行こっか。ここら辺の自習スペースはちょっと見てきたけどテスト前で混んでた。ちょっと歩くけど図書館にしよう」


「うん」


 駅前の通りから少し外れた並木道が続いていた。

 やわらかい木漏れ日が地面に模様を落とし、歩くにはちょうどいい気候だった。


「ごめん、急に誘っちゃって」


 図書館までの道すがら、並んで歩いていた彼がふと足を緩め、小さな声で切り出した。 その声は風の音にまぎれるように低く、けれど確かに、迷いの色が混ざっていた。


「いいけど……どうしたの、急に」


 彼の歩調を合わせながら、少しだけ顔を傾けて彼のほうを見た。


「ちょっと精神的にきつくて。1人じゃ勉強も手につかない状況で……。

杉原さん以外に、誘える人なんていなかった」


 彼は地面に視線を落としたまま、ぽつりとつぶやいた。  

 長めの前髪が顔の輪郭に沿って流れ、横顔に影を落としている。


「真由って呼んで。私は裕斗って呼ぶから。せっかく2人で勉強するのに、苗字呼びは……なんかいやだ」


 照れくさく目をそらしながら言うと、彼は短く頷いた。


「……わかった」


「え、」


「なに?」


「なんでもない」


 あっさりと受け入れられて、拍子抜けする。

 いつもならもう少し間があってもおかしくない。

それに塩対応がデフォルトの彼が、こんなふうに素直に返すなんて。


 やっぱり、今日は少しおかしい。

 てか、受け入れられると思ってなかったから、どうしよう…


「と、友達とか……いなかったの?中学時代の」


 慌てて口にして、自分の言葉がきつすぎたかもしれないと気づく。

 けれど、彼は眉一つ動かさず、淡々と応えた。


「中学は東京の中学だった……。先月、こっちに引っ越してきて、今は一人暮らししてる」


「そ、そうなんだ……」


 思いがけない言葉に、頭の中にいくつもの疑問が浮かんだ。

 けれどそれ以上を尋ねるには、言葉が追いつかなかった。


 彼は会うたびに、何かしら小さな衝撃を与えてくる。しかもいつも、それは私の想像の少し先を行くような、どこか距離を感じさせる事実ばかり。


「驚いた?」


「……そりゃ、驚くわ。で、こっちに来たのはどうして?ご両親の実家があるとか?」


「色々あってここに来た。

全然知らない土地で、受験で初めて来た」


「そうなんだ……」


 彼の声が、ほんのわずかに乾いて聞こえた。

 足元の歩幅もわずかに鈍って、視線は舗道の石畳に落ちていた。


 触れてはいけない場所に、踏み込んでしまったのかもしれない。


 考えてみれば、

 彼はいつも1人でいる。誰かと話す姿も、笑う様子も見たことがない。

 それはきっと、彼のまとっている空気が、周囲を遠ざけているから。


 そして今、その雰囲気はさらに濃くなっていた。 

 整った顔立ちも、落ち着いた服装も、どこか近寄りがたさを増しているように感じる。


 暗くて、乾いていて、それでいてどこか繊細で脆い。

 仮面の奥に、こんな顔を隠していたなんて。


 「生きていることが辛い」

 何度もそう思ったことのある私は、わかってしまう。彼が、似た種類の人間だということが。


 ただでさえ、何もかも1人で抱え込んでしまいそうな彼が、一人暮らしなんてしていたら…


「1人でいることが、耐えられなかった……

どうにかなっちゃいそうで」


 歩き続ける足を止めることなく、彼はぽつりと呟いた。

 その声は弱々しく、けれど、言葉にするには充分なほど切実だった。


 そりゃ、そうなるよ。

 心の中で浮かんだ言葉は、けれど、喉を通ることはなかった。


「……大丈夫。今日は私が隣にいるから。一緒に頑張ろう」


「ありがとう」


 彼がほんの少しだけ目を伏せ、頬にかかる前髪がふわりと揺れた。

 その横顔を、少しだけ遠慮がちに見つめる。


 彼が生きている世界は、いつもマイナスの温度を帯びている。

 

 だからせめて今日という日だけでも、

 私といるこの時間だけでも、

 ほんの少しでも、その温度をゼロに近づけられたらいいと思う。  



「こんな所に図書館があるんだ」


 話しているうちに、図書館を前にしていた。


「ここ、結構おすすめだよ。広いし、蔵書の数も多いし、何より綺麗」


 エントランスの自動ドアが静かに開き、ひんやりとした空気が足元を抜けていく。     

 建物は古めながらも、清潔に保たれていて、1階と2階には本棚が並び、所々に自習する場所が点在する。


 階段を上がるあいだ、彼は何も言わずに歩いていた。

 手すりにそっと指先を添え、軽い足取りで一段ずつ登っていく。

 カーディガンの袖がわずかに揺れ、その柔らかな素材が光を反射する。


 自習室スペースは予想通り空いて、駅から少し距離があるせいか、利用者はまばらで、席の間隔も広く取られている。

 空気は静かで、ぴんと張ったような落ち着きがあった。


「ん??」

 ふと視線を巡らせると、見覚えのある後ろ姿がいくつか目に入った。

 まさか…そうだ、間違いない!同じクラスの女子たちだ。    

 言葉を交わしたことはないが、制服姿や声で判断がつく。


 ばれるかもしれない、そんな思いが頭をかすめる。


「そこ、空いてるから座ろ」


「あ、うん」


 気にする素振りもなく、彼は奥にある長机の一角を指さした。

 静かに椅子を引く所作は落ち着いていて、迷いがなかった。


 彼は気づいていないのだろうか。

 あるいは、気づいたうえで気にしていないのか。

 わからないまま、隣の椅子に静かに腰を下ろした。


「集中できそう?」


「わからない。でも、こうやって真由と一緒にいると、そうでない時間よりも楽」


 ボールペンを指先でくるりと回しながら、彼はぽつりとつぶやいた。


「……まぁ、それは当然だよ。楽になってもらえなかったら、相当な欲張りさんだよ」


 照れくささを隠すように少し早口になった自分の声が、机の上にさらりと落ちる。〝真由〟彼の口から下の名前で呼ばれるなんて…心の準備が。


 それに。いつもの自分なら、なんて事ない一言が、どうしてか彼を前にすると一喜一憂につながる。


 でも…。彼は、副担任の小林先生に恋をしている。

 もしあの先生が、今の彼に会ったとしたらどんな顔をするのだろう。

 驚いて、言葉を失って、それでも笑うのだろうか。それとも…。


「勉強してて辛くなったら、いつでも声かけてね」


 そう告げると、彼はほんの少しだけ視線を上げて、静かにうなずいた。


「ありがとう」


 それ以上、互いに言葉を交わすことはなかった。


 教科書を開き、ノートを広げる。

 カリカリという筆記音と、ページをめくる控えめな音だけが、静かに机の上に流れていた。


 私は、一度集中してしまえば、周りのことが気にならなくなるタイプだ。

 だから、さっきまで意識の多くを占めていた彼への気持ちも、徐々に学習内容のなかへと消えていった。


 20~30分経った頃だろうか、不意に強い眠気が襲ってきた。


 昨晩は、彼からの連絡がきっかけでなかなか寝つけず、浅い眠りを何度も繰り返していた。ようやく眠れたと思えば、すぐにまた夢の中へ引き戻されるような夜で、目覚めたときの感覚は重かった。


 彼と一緒にいると緊張する。けれど同時に、不思議と落ち着きもする。

 矛盾しているようだけど、それはたぶん、どこか似ているからかもしれない。


 抗えない眠気に身を委ね、机に肘をつき、頬を乗せるようにして静かに目を閉じた。


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