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  作者: Salt
13/27

13 万感


「メイクなんてしてないよ」


「素直になりなって。嘘つき少年はモテないよ~」


 軽やかに、でもどこか探るような口調で、杉原さんは小さく笑った。

 その笑みは、いたずらっぽくもあり、こちらの反応を試すようでもある。

 

「目の周りの色素沈着とか、時間が経って浮いてきたコンシーラーは、どう言い訳する?」


「それは…」


 予想以上に、鋭い指摘。

 無駄に観察力が高い…。

 

 それはそうか。

 杉原さんのメイクをよく観察してみるとわかるが、それは綺麗に調和の取れた1つの作品だった。

 これだけの完成度なら、メイクに対する知識も理解度も相当なレベルだ。

 

「ごめん。……誰にも言わないで。詳しいことは話せないけど、杉原さんと似たような感じ」


「そっか~、まぁいいや。今度、メイクした姿見せてくれるなら、それで許す」


「……わかった」


 面倒な相手に目をつけられたか気が…。

 状況を整理しようにも、どこからどう片付けていいのかわからない。

 一旦は向き合うしかない。


「私のこの姿、どう?」


 また面倒な質問。


「自分でもわかってるでしょ。わざわざ言わせる?」


 言った後で、冷たい言い方をしてしまった事に気づく。

 こういうとき、どう反応するのが正解なのか。杉原さんくらい顔が整っている人が、自ら言わせた可愛いに、本人は満足できるのだろうか。

 

「つまらない男……。まぁいいや。これからよろしくね」


「よろしくって?」


「似た者同士、仲良くしようってこと」


 反応を見透かしていてのか、ひるむ様子は一切みられない。

 かと思えば、カバンの中から教科書を取り出す。


「別に邪魔しに来たわけじゃないよ。私も勉強しに来たんだもん」


 どこまでも透き通るような髪を、指先でさらりとすくいながら、杉原さんは耳元を整え、静かに教科書を広げた。

 右手に握ったペンは細身で、軸の金属が照明を受けてわずかに光を返す。


 前髪の影に隠れていた輪郭が、髪の動きにあわせてふと露わになる。

 小さな骨格に、配置よく整ったパーツがおさめられている。


 これは隠したくもなる…。

 

 そして。

 杉原さん以上に、自分自身にも驚いている。

 いつの間に、顔の細部にまで注目して、それを分析できるほどの審美眼を身につけていた……。


 メイクについてもそうだが、わざわざ意識して観察しているつもりはないのに、自然と目が拾ってしまう。


「なに、勉強しないの?」


「あ、うん。ぼうっとしてた」


 でも、仕方ないのかもしれない。

 環境の中で自然と身についてしまった感覚なのだから。



 杉原さんの行動は、どこまでも読めない。

 けれど、一度ノートに視線を落とし、静かにペンを動かし始めると、自分の世界に入って、集中し始めた。


 自分も気を取り直し、目の前に開かれたままの数学の教科書に視線を落とす。

 そして、そのときになって、古典の教科書をまだカバンから取り出していないことに気づいた。


「数学で苦戦してるの?」


 戸惑っているのを察したのか、杉原さんがふっと身を乗り出してきた。

 椅子が小さくきしむ音とともに、彼女の肩がわずかに近づく。


 そして次の瞬間、杉原さんの視線が、俺の教科書へと滑り込んでくる。

 慌てて手を伸ばして隠そうとしたが、すでに遅かった。

 彼女は軽やかな手つきで教科書を引き寄せ、ページに目を通す。


「裕斗君って、数学苦手でしょ。授業のとき、いつも〝理解不能〟って顔してるよ」


 斜め後ろの席から、そこまで見られていたとは思わなかった。

 けれど否定はできない。たしかに、あの授業はさっぱりだ。


「私、こう見えても数学はそれなりに得意なの。私に任せて。どこでつまずいたの?」


 ~~~゛10分後゛~~~


 杉原さんの説明は、わかりやすかった。

 俺がどこでつまずいているのかをすぐに見抜き、その箇所に重点を置いて言葉を重ねてくれる。 教科書の端にさらさらと書かれる数字や図式も整っていて、視覚的にも理解しやすい。

 曖昧だった部分が、少しずつ繋がっていくのがわかった。


 才色兼備、そんな言葉がふと浮かぶ。


「説明してて思ったけど、裕斗君ってさ、たぶん、真面目にやればできるタイプだよ。まぁ、それ以上に因数分解は理解してて安心した」


「さすがにそれくらいは…

助かった、ありがとう」


 そう言うと、杉原さんは何かを思い出したように、ぱちんと軽く指を鳴らした。


「じゃあ眼鏡とって、その長い髪あげてみて」


「……いつかね」


 即答は避け、ほんの少し間を置いて返した。照明の反射を避けるように視線を落とすと、彼女は口元をすぼめて肩をすくめた。


「けち」


 その一言には怒気も皮肉もなかった。


「でも、〝いつか〟ってことは未来に、2人で会うことが約束されたね」


 そしてそのまま、彼女は再びノートに視線を落とす。


「…」

 

 頭の回転が速く、異様に賢い。


 それからは、互いに口を閉ざし、それぞれの教科書に集中した。

 そばにいるのに干渉しすぎない、自分にとって心地のよい距離感。

 杉原さんがどこまで関心を持っているのか、正直まだよくわからない。

 ただ、今この時間においては、近すぎず遠すぎない、ちょうどいい関係に思えた。


 それにしても、「本来の自分を偽る行為」、そんなことをしている人が、身近に2人もいるなんて。


 結衣さん。そして杉原さん。


 俺は結衣さんを見たのをきっかけに始めた。


 どこか自分と似た感覚を持っている人とは、理解し合える可能性があるのかもしれない。

 実際、結衣さんは俺のことをよくわかってくれていると感じている。

 杉原さんとも、少しずつなら…。


 …いや、それでいいのか?


 そんな簡単に人を信じて、期待して……。

 そんな簡単に過去に目を瞑れるものだろうか。


 忘れて、生きていけるのか。


 

 時間の感覚がぼやけていたが、時計を確認すると、1時間ほどが経っていた。


「私、そろそろ帰るね。このあと予備校があるから」


 閉じかけた教科書をバッグにしまいながら、杉原さんが静かに告げる。


「そっか。そのまま行くの?」


 杉原さんは思わず吹き出しそうになりながら、眉を下げた。


「まさか。いつもの姿に戻すよ」


「……そっか。杉原さんも大変そうだね」


「この姿で予備校なんて行ったら、間違いなく浮くよ。それに、お母さんにも怒られちゃうし」


 そう言って、ほんのわずか、寂しそうに目を伏せる。

 けれど次の瞬間には、またおどけたような笑みを浮かべて、こちらに顔を向けた。


「でもまあ、裕斗君には負けるかな」


 その言葉に、苦笑いしか返せなかった。


 短い時間だったが、杉原さんは好き勝手に振る舞っているようでいて、どこかで常に空気を読んでいた。

 

 だからこそ、俺も自分なりの誠意を返すべきだと感じた。


「……俺とはあまり関わらない方がいい」


 ぽつりと漏らしたその言葉に、杉原さんはふっと眉を上げた。

 けれど、反論するでも、驚くでもなく、ただ小さく笑って応じた。


「それを決めるのは、私。

でもな~、裕斗君は、私と関わりを持ちたがるよ」


「どうしてそう思うの?」


「だって、私ってかわいいでしょ。

私がいつもの姿で隣に座ったら、裕斗君はきっと避けてたと思う。でも、本当の姿だったから、裕斗君はその場にとどまった。自分の性格的にどう思う? この姿じゃない私が、いきなり隣に来て、ぐいぐい来られたらどう反応する?

少なからず、この姿の私となら一緒にいてもいい、裕斗君はそう認識したんだよ。自分を責めないでね、同じようなことは幾度となく経験してる。裕斗君だけじゃなくて、みんなそうなの。そんなものなの」


 何も言葉が出てこない。


「まぁ、なんかあったらいつでも連絡して」


 そう言い残して、返事を待つことなく杉原さんは立ち上がった。

 椅子がわずかに軋み、細身の肩にカバンを掛けると、一言も声を発さずに静かに歩き去っていった。



 取り残されたのか、それとも解放されたのか。

 

 杉原さんは予備校へ向かった。

 先程まで杉原さんの言動を途切れ途切れに観察していたが、自分の未熟さを痛感した。


 杉原さんにしろ、結衣さんにしろどこか似た雰囲気がある。

 そして多くのことに秀でていて、自分にとって都合の悪い部分を見透かしてくる。


 なにが違うのか?

 環境のせいなのかだろうか。

 あるいは、氷のように澄み渡った、病的な神経の世界が関係しているのだろうか。

 あるいは…。


「やめだ」

 いくら挙げたところで甘えであって、言い訳にすぎない。

 

 …今からでも取り戻せるのか。


 さきほどまで差し込んでいた西陽はすっかり姿を消し、窓の外は漆黒に沈んでいる。街の灯りが遠くにまたたき、校舎のガラス越しに、静かに滲んで見えた。


「……そろそろ帰るか」


 俺も荷物をまとめて、ゆっくりと帰路についた。


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