5話 田舎に似合わぬ地雷系 <後編>
長閑な自然に似合わぬ地雷系の少女は、つらつらと穏やかな声色で語った。
「獅子の起源は古代インドから、中国と朝鮮。確かに角端、シーサー、狛犬などなど、霊獣の類でも似たようなものは沢山いる。でも、あれはできすぎ。センスのない絵描きが、ライオン見て描いた―としか思えないよね。バレバレなライオン、それがあのバレバレオ。そう―かの有名な『弾丸大帝』バレバレオ」
恐らくバレバレにライオン―レオを足したと思しき、常人には理解し難い言葉を吐くと、少女はくすりと笑った。勿論、自身が適当に名付けた『弾丸大帝』バレバレオという名称に対して―である。
見た目は、高校生くらいであろうか。まだ幼さの残る少女は、やたらと泣き袋を強調した濃い目のメイクで、口元を黒いマスクで覆っていた。ビビット・ピンクの入った長い黒髪は二本に束ねられ、耳から伸びた銀色のアンテナ・ヘリックスが、昼下がりの陽光を反射している。そのような歌舞伎町で見かけるような風貌に反して、彼女は愉快な性分のようである。彼女は自分の口から出た面白くもなければ理解もし難い洒落を数回反芻し、悦に浸ったようであった。
「ええと…」
桜は突然の乱入者に困ってしまい、言葉を詰まらせた。容姿だけで判断するならば、彼女は自身とは全く異なる世界の住人である。かける言葉も返事の語彙も見当たらず、桜は狼狽してしまった。そのような彼女の状況を少女は察したのか、彼女はマスクを下げて表情明るく桜に向き直ると、透き通る声で自己紹介した。
「私、花崎海咲。ライオンを見に来たのはそう、ヒストリー・オブ・シシオリを探りに。高校の課題は保育園とはワケが違う、求められるのは最高のフレーバー、進化を体感せよ…む、今の言い回しエナドリっぽいな、メモっとこ。まあ何にせよ、課題に追われる学生の民なのです。ぶい」
「そ、そう」
帰省中の高校生だろうか。見た目の割に良く舌の回る子だ、と桜は思った。あまり遭遇したことのないタイプの登場に、正直なところ彼女は少し辟易してしまった。
「貴女はどなた?大人数でここ高見沢に押しかけて、星空がディスタンスする前に帰れるのかな」
日本語に似た未開の言語を扱う少女に、桜はぎこちない笑顔を浮かべながら応えた。
「あっ、ええと…。私は、藍沢桜。今大学のゼミの研究旅行で…」
大学、という言葉を聞いた瞬間。ぱたぱたと愉快に足を漕いでいた海咲は、動きを止める。
「あっ、大学。やば、ミスりました。ぴえん、お前はいつもそうだ。すみません。同い年くらいかなって思ってしまいま…あ、これも失礼に当たる気がしてきたぞ、私。ごめんなさい、人付き合い下手くそで」
彼女はけたけたと笑うと、桜に向けて手を合わせた。そしてそのまま、ぺこりと頭を下げた。
彼女は儒教を信奉でもしているのか、要領を得ない口調の割に上下関係には非常に敏感なようである。そんな様子に何か新鮮さを感じて、桜は吹き出してしまった。
「ふふ、いいのよ」
「あはは、暫く敬語とは無縁の生活を送っていたもので。要リハビリ患者なのです。すみません、えと、桜さん」
「そう、そうなんだ。ふふっ、気にしないで」
そんな彼女が可笑しくて、桜は朗らかに笑った。
「やばい、冷静になると恥ずかしくなってきた。ちゃんと日本語喋ろうな、私」
海咲は咳払いを挟むと、話題の変更を試みた。
「ごほん。それで、あの掛け軸ですけど。桜さんも、変に思いましたよね?」
「うん。そうだね。捏造するにしても、あのライオンはちょっと怪しすぎると思う」
「桜さんの言った通り、龍神伝説なら龍ないしは蛇ないしは、それに準ずるにょろにょろのにょろで伝わっているハズ。それに、九十九パーセント有り得ないけど、もし仮にあの体毛が本物なら、ライオンにしては長すぎです。ライオン仙人のヒゲかもしれないですけど。神仙様なんていう、選任された専任の仙人も千人ほどいるみたいですし」
『頭が人間で体がライオン』などと適当を付け加えると、彼女は大きく伸びをした。それは人のヒゲになるのでは、と桜は思ったが、突っ込むのは無粋な気がしてやめた。
「じゃあ、海咲ちゃんは。あの体毛は、何のものだと思う?」
桜の言葉に、海咲は少し逡巡したように見えた。その姿に、桜は違和感を覚える。彼女の困ったような素振りは、問いの答えを探しているというよりは、別の事柄に起因しているように感じたからだ。
「…狐、ですかね。そうだといいな」
願望を述べる表情ではない。予測、嘘、方便―欺瞞、だろう。何か、口外し得ないような核心を、彼女は握っているに違いない。心理学にも精通している桜は、そう看破した。興味本位で、桜はもう少し海咲の言葉を深堀してみる。
「狐…ね。ここはホンドギツネの生息域に被っているけれど、ほら。仮に尾の毛だとしても、あそこまでは長くないんじゃないかな。あと、ホンドギツネはアカギツネの仲間だから、創作のように美しい金色の体毛とは考えにくい。金色の毛並みかつ、そこそこの体躯を誇りそうな狐がいるとするなら、それこそ稲荷、妖狐、荼枳尼天―神様とかになってしまう…違う?」
「それはそう、ですけど…」
何かを言いかけて、海咲は口を噤んだ。
「…そうですね。狐にしても長すぎです。あはは」
彼女は立ち上がると、桜の方に向き直った。
「じゃあ、友達を待たせているので。もしかしたら、旅館で会うかもですね。ではでは、また」
あまり虐めても仕方がない。逃げるようにその場から立ち去ろうとした海咲を、桜は手を振って送り出すことにした。
「うん、またね」
海咲も小さく手を振り返すと、古民家までの一本道を、踵を返して歩いていく。桜は暫くその後ろ姿を眺めていたが、背後から掛けられた声に振り向いた。
「おや、藍沢さん。話し声が聞こえたから来てみたのだけれど。こんなところで、誰と話していたんだい?」
吉村にそう問いかけられ、桜は海咲を指で示そうとした。
「…あれ?」
先程まで目の前を歩いていたはずの海咲の姿は、そこにはなかった。ただ、夏の木々の青々とした葉が、風に揺られているだけである。
「そんなはずは…」
代わりに、彼女の座っていた縁側には、桜の腕より更に長い金色の糸が一本、風に揺られて靡いていた。