44話 佐藤という男
獅子織村は、その存在を消されていた。元々あまり名前の知られていない村である。古い地図帳を除けば、インターネットで検索をかけたとしても、村のことを知ることはできない。
吉村ゼミのことは、自動車事故として処理された。桜を含めた彼らはあの村に居ないことになっており、桜はその中で唯一の生存者ということになっていた。
そして今、桜は菊の病室にいた。暫くそのままになっていた、花瓶の水を変える。萎びた花を別のものに取り替えて、桜は椅子に腰掛けた。樹木のように固い彼の手を、桜はそっと包む。体温を奪われるばかりの桜であったが、彼女はそれでも暖かい微笑みを湛えていた。
桜は海咲たちと、生存者の捜索を行った。しかし、誰一人として、村に生きている人間はいなかった。全ての村人が、神社に集まっていたのだろう。それとも、最初から獅子織村に、本当の意味で生きている村人など居なかったのだろうか。
ヘリコプターによる救助が来る頃には、日は昇ってしまっていた。焼け野原となってしまった獅子織村を見下ろす桜に、傍らを飛行する海咲は笑いかけた。
「じゃあまた、桜さん。弟さんのことは、この間にもう一人の仲間が調べてくれました。そこで会いましょう」
海咲はそう言い残し、いなりを後ろに乗せた箒で去っていった。
分からないことだらけであったが、桜には待つ以外の選択肢が残されていなかった。そして今日も、大学の帰りに病院に寄る。菊には既に、今回の出来事を包み隠さず話していた。
「姉さん、ありがとう」
彼は嗄れた声で、そうお礼を言った。
「姉さんには、本当に苦労ばかりかけてしまっているね」
いいの、と桜は笑った。彼女は、草臥れてしまった花を一瞥する。
また、ここに花を生けることができて、本当に良かった。もし、自分があの場所で、果てていたら。そう考えると、ぞっとする。しかし幸いにも―そのような悲劇は起こらなかった。私は生きて今、菊の傍にいる。それは、ただ一つ変わらないことだった。
因みに変わったことも、幾つかある。その中で最も大きなものは、彼女の進路についてだった。
「私ね、巫女になることにしたの」
大手の内定は、辞退することにした。その代わり、彼女は胡散臭い『退魔師事務所』に所属していた。
「巫女?」
表情は読み取れないとはいえ、怪訝な声を上げた菊に、桜は微笑みかけた。
「ええ。しかもただの巫女じゃないわ。妖魔から皆を守る、退魔巫女なんだから」
菊には信じて貰えないだろうが。この世は、非科学的なもので溢れているのだ。医学法学と来て急にスピリチュアルだ、と思われても仕方がないし、事実なので何も言い訳はできない。そしてそのスピリチュアルな物の中でも、少々悪意に満ちたものがいる。『妖魔』と呼ばれる存在を、桜は知覚できるようになっていた。
弱いものなら、桜でも簡単に祓うことができた。彼女は錫杖を手にすると、菊の病床に近寄ってきた黒い影を一突きした。度々見かける妖魔を駆除すること、ひと月ほど。暑かった夏も、終わりを告げようとしていた。
「あ」
涼やかな風が、病室に吹き込んだ。カーテンが揺れて、花びらがひらひらと落ちる。
ふいに、病室の扉がノックされた。
「はい…扉を開けますね」
桜は病室の扉を開けた。そこには、桜より二回りほど背丈の小さな、少年が立っていた。彼は中性的な顔立ちで、見た目に反して気味が悪いほど、目だけは落ち着いていた。
部屋を間違えてしまったのだろうと思い、桜は少年に微笑みかけた。
「僕、お部屋、間違えてないかしら」
「間違えていない。失礼するよ」
彼は不躾にも、病室の中に足を踏み入れた。
「ふん、素っ気ない病室だ。現代人の考える清潔さ、という概念は理解し難いな。清潔そうであることと、実際に清潔であることはイコールでは無い。患者の衛生に気を使うなら、何かもっとこう、器具を全てシルバーにするくらいの大胆さが…」
困ったように笑った桜に、彼は尊大な態度で言い放った。
「…何だい、その顔は。海咲に頼まれて来てみたものの、随分と歓迎されないのだな。忙しい中折角来てやったのだ、お茶くらいは出してもらうよ」
桜は息を飲んだ。
「では、貴方が…」
少年―『佐藤』は口元を、悪戯に歪めた。




