43話 退魔巫女、藍沢桜
海咲は右手を構えて、発砲した。打ち出されたのは、炎熱の風。鮮やかな花火のようなそれは、塵の一つも残さない。炎の礫が、散弾のように由香里の体を貫いた。それは弧を描くことなく直進すると、シシオリの肉片一つに至るまで、焼き尽くした。
しかし、海咲は失敗した。シシオリは、生き残った。確かに、シシオリの体は、塵ひとつ残らず炎の嵐が蹂躙した。
海咲は、見逃しまったのだ。発砲の瞬間、拳ほどの大きさの蛆が、由香里の背中から抜け出していたことを。
妖蛆は感嘆に値する生命力で、自身の肉体を盾に逃走した。短い足で地面を懸命に掴み、海咲の視界の外へひた走った。
まだだ、まだ終わらない。まだ、死ねない。こんなところで、終わらない。
「貪るのは私だ、お前たちじゃない…っ」
人面の蛆は、ほくそ笑んだ。初志を貫き通すことが肝要、吉村もそう言っていた。彼女は、貫き通すつもりである。この村に復讐するという、原初の願いを。
あと一歩。あと一歩なのだ。この願いは、あと一人、たった一人呪詛で捻り殺せば完遂される。それまでは、何としても。
「藍沢…!」
体を瓦礫で傷つけながらも、有村由香里は、三越花は、進撃を止めなかった。
「藍沢ァ…!」
そんな彼女の姿を、桜は―シシオリの仇敵は、哀れんだ。
「有村さん」
聞き慣れた、凛とした声。自身が憎悪してやまないその声音に、妖蛆は足を止めた。
道の真ん中に、錫杖を片手に、女が立っている。血に濡れた襤褸を身にまとうその姿は、まるで物乞い。命の灯火は消えかけて、嘗ての凛とした面影は失われた。しかし、確かな覚悟を爛々と瞳に宿らせ、二本の足で、桜は由香里の前に立ち塞がった。
「もう、終わりにしましょう」
その瞳は、緋色に輝いている。人のものでは無い、魔性の瞳。桜に睥睨された由香里は、既視感を覚えた。
彼女は由香里に引導を渡すべく、距離を詰めてくる。
好都合だ、と由香里は口元を歪めた。人面の蛆はその瞳を見開いて、桜を睨んだ。そしてそのまま、呪詛を放つ。
一瞬のうちに、桜の四肢が捻り切れた。桜は引き攣った苦悶の表情を浮かべたが、すぐにその顔から恐怖の色が消えていく。ただ、彼女の体は反応しただけである。まだ人の身であった頃と、同じように。
断面から、根を伸ばすように、再生させる。根は騎虎の勢いで成長すると、忽ち元の形と色に姿を変えた。
何事も無かったように桜は立ち上がると、尚も距離を詰めた。真っ直ぐに、臆さず、悠々と。それは、花の脳裏に、恐怖を思い起こさせる。
シシオリは、戦慄した。格好の獲物だと、仇を取る好機だと息巻いたはずが、いつの間にかその力関係は逆転していた。
あれは、藍沢―藍沢の巫女と、同じ。
「やめろ、来るな」
あの『怪物』と、同じ力。
持てる呪詛の全てを懸けて、由香里は桜の体を細切れにしようとした。血飛沫が舞い、桜のシルエットが溶けるようにして落ちる。しかし、尚も彼女は立ち上がった。肉片の間を植物の根が繋ぎ、桜の体は十数える内に再生した。
「化け物め…」
錫杖が振り上げられる。その先端は、樹木に包まれ槌のようになっていた。
「化け物めぇぇ!」
文字通り虫を潰すような水音がして、由香里は事切れた。桜はシシオリが完全に死んだことを確認すると、天を仰いだ。
煙に燻され、空は曇っていた。ぽたりと、桜の頬に水滴が伝う。
何も、何一つ。守ることが出来なかった。ゼミの仲間、吉村、村人たち。彼らの顔が、浮かんでは消えていく。そして、有村由香里。
私たちには、別の結末が、あったのではないか。
黒い煙を吐きながら溶けていく蛆の死骸を見て、桜は手を合わせた。
もしかしたら、彼女を救う方法だって、存在していたのかもしれない。自分が、殺した。確かに、この手で。もっと、話しておけばよかった。もっと、互いを知っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
二人とも、変わってしまった。二人とも、化け物に成り果ててしまったのだ。
土砂降りの雨に打たれて、桜は泣いた。




