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40話 藍沢の『異能』

  桜は家屋の中で目を覚ました。どうやら、少し前に日は落ちてしまったようだ。薄暗い蛍光灯に照らされた部屋の中には、彼女の他にもう一人。


 「ん、起きた?」


  金色の尻尾を揺らしながら、いなりは桜に歩み寄った。彼女はタオルを絞ると、桜の汗を拭ってくれた。


 「ここは水道と電気が生きていて良かったよ。喉乾いてない?ゲロ臭かったけど、吐いたの?」


 「…はい。口を、濯ぎたいです」


  いなりはヤカンに水を汲んでくると、コップに移しながら桜にうがいをさせてやった。えずいた桜を介抱して、桶で血みどろの液体を受け止める。そして、また新たに桜に一口含ませた。数時間ぶりの水に、根腐れかけていた桜の食道は驚いてしまい、彼女は再度大きくえずいた。そんな桜の背中を、いなりは優しく摩ってあげた。


 「お腹は空いている?何か探してこようか」


  そう言って立ち去ろうとしたいなりの袖を引こうとして、桜は腕がないことに気がついた。


 「待って、待ってください。私の視界から、消えないで」


  力ない声でそう零した桜の頭を、いなりはそっと撫でてやった。小さいながらも、温かい、陽だまりのような手のひら。彼女は桜が落ち着くまで、根気よく大きな赤ん坊をあやしてあげた。


 「…腕なら、生えてくるよ」


  桜の心中を察したのか、いなりはそう囁いた。


 「え…?」


  小狐の話に、桜は耳を疑った。髪や歯とは訳が違う。なくした腕が、生えてくるとは考えられない。


  そうは思ったが、反論する気力も起きなかった。


 「貴女は、藍沢の血を引いている。そうでしょ?『御三家』のうちの一つだよ。海咲ちゃんと同じ。だから彼女と同じように、成長を司る貴女にも、ふざけたリジェネ―自己回復があるはず」


  海咲と、同じ。金色の少女は、今確かにそう口にした。桜は驚いて、興奮気味に口を挟んだ。


 「待って、ください。海咲ちゃんも、同じ?」


  桜の疑問は当然の事だった。まさか、海咲も自分と同じ、巫女の家系なのか。桜は、家のことについて知りたいことが山ほどある。もしかしたら、海咲が助けになってくれるかもしれない。言い換えれば、菊を元に戻す手段について、海咲は何かを知っているかもしれないのだ。桜は淡い期待を抱かずにはいられなかった。


 「うん、同じ。進化成長増殖変化再生。これらは貴女たち五大巫術の副産物。皆私たち(妖怪)より遥かに人外のバケモノだから、多分ちゃんみさみたいに、貴女の体もどうにかなるよ。知らないけど―」


  海咲。そうだ、彼女はどこに行ったのだろう。それに、目の前の彼女は何者なのか。この村において、狐という存在に、良い噂は聞かない。


 「あ、あの…」


 「うん?」


 「海咲ちゃんは…」


  言いかけるや否や、轟音と共に天井が吹き飛んだ。何か嵐のようなものに巻き込まれたようで、天井は屋根ごと捲れ上がってしまった。


  桜は短く悲鳴を上げて、枕に顔を埋めた。


 「ちゃんみさ、暴れてるな。他の生存者とかそういうの、一切考えてなさそう」


  立て続けに、爆発音。地面に撃ち込まれたと思しき何かは、神社から数百メートル離れたこの場所まで、苛烈な地響きを伝えた。


 「桜さん。悪いけど、我慢してもらってもいい?」


  突然そう言って、いなりは錫杖を掲げた。仰向けの桜は、これから何が起きるのか全く分からず、ただそれを眺めていた。


 「ううっ!?あっ…がっ」


  躊躇いもなく、いなりは桜の心臓を錫杖の先端で穿った。鋭い痛みに、桜は目を白黒させた。


 「なん、何で…っ」


  憎しみを込めて、桜はいなりを睨んだ。体の中から溢れんばかりの鉄の味が登ってくる。それはごぼりと零れて、床を赤く染めた。


 「裏切って、いや、やはり貴女が、この村をこんな風にした、張本人…?」


  桜は錫杖を心臓から引き抜くと、ふらふらと立ち上がった。錫杖を構えて、いなりの次の行動を凝視する。蹴り、突き、拳、飛び道具に至るまで。桜に武術の心得はないが、それでも予想を巡らせることくらいは彼女にもできた。しかし、一挙手一投足を見逃さんと張り詰めた桜の瞳に映ったのは、緩慢な動きで突き出された、いなりの人差し指だった。彼女は桜の両手と両足を、順番に指し示す。


 「生えたね?いや~、悪いね、驚かしちゃって☆」


  たはは、と小狐は快活に笑った。


  いなりに言われて初めて、桜は自分の体が再生していることに気がついた。彼女は地に自分の足を付けて、立っていた。捻じ切られたはずの手足は、何事もなかったかのように血が通っている。破壊された心臓は、違和感なく元通り。あまりの気味の悪さに、桜は再び吐き気を催した。


 「ただ、指が六本になっているよ。貴女の力は『成長』だから、みさの人みたいに、元に戻るわけじゃないのかな。ま、以後気をつけて」


  いなりに指摘され、桜は自分の右手を見た。確かに、中指と薬指に相当する指の間に、見慣れない指が生えていた。


 「ひっ…」


  桜は自身の体の変化に戦慄した。このようなことが、有り得るはずがない。自分は、藍沢桜は本当に、人間なのだろうか。魂を包むこの肉の袋は仮初のかたちで、真実は有村由香里のような、化け物なのではないか。


  違う。


  私は、化け物なんかじゃない。


  この体は、この血は。人間だ。人間に、決まっている。


  私は、藍沢桜だ。菊の、ただ一人の姉だ。


  異能を否定することは、菊の姿を否定することだと思え。


 「…因みに。この村をこんなにした妖狐は私じゃない。其奴を追って、ここに来たの」


 「…え」


 「口を濯いで。桜さん、悪いけど、あれがこっちを見たら、一目散に逃げるから。申し訳ないけど、あれの視線を妨げる方法を、今のへっぽこな私は持ち合わせてない」


  コップを受け取り、桜は口の中の血を床に吐き出した。彼女はそれを投げ捨てると、錫杖を強く握りしめた。


 「…分かりました。でも、海咲ちゃんは…」


  桜の心配を他所に、いなりは余裕の表情を浮かべていた。憔悴し切った少女を、勇気づけるように。力強く、いなりは微笑む。


 「あんなやつ、みさの人の敵じゃないよ」




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