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37話 大切なことは

  桜たちは、神社の前を通過していた。祭囃子に混じって、村人たちの怒号が混じる。


  村人たちの服装は、江戸時代のもののような草臥れた襦袢から、平成初期の奇抜なものまで様々であった。もしかすれば、この空間でのみ、過去の生贄が神饌として蘇っているのではないだろうか。それならば、集落の人口を遥かに凌駕する、この異常な数の妨害も納得が行く。死者すら蘇らせる、外法の術。そのおぞましさに、桜は身震いした。


  最高速度で、神饌たちを蹴散らしながら、軽トラックが突き進む。軽トラックのバンパーは血に染まり、仮にワイパーの稼働が止まれば、まだ新鮮な赤がこびり付いたフロントガラスは、忽ち如何なる光も通さなくなってしまうほどであった。


 「ここを凌げば…!」


  ここさえ抜けてしまえば、あとは逃げるだけだ。桜は、荷台に落ちてきた神饌の破片を地面に投げ捨てた。


  突然、車が音を立てて跳ねた。神饌たちに隠されるようにして、道路には骨片による撒菱が散布されていた。吉村はタイヤをパンクさせられたことに気がついたが、もう遅い。車は忽ち速度を落とし、彼らは神饌に取り囲まれた。廣瀬は恐怖のあまり、座席とダッシュボードの間に体を埋めた。


  そんな彼らを、耳障りな哄笑が包み込む。


 「藍沢さーん」


  由香里が、軽トラックの荷台の上に上がってきた。彼女は不気味な笑顔を顔に貼り付けながら、桜との距離を詰めてきた。


 「追いかけっこは、終わり?」


  くすくすと嘲るように、由香里は笑う。


 「ねえ、どうやって死のうか?どうやって落とし前をつけてくれる?」


  錫杖を構えた桜に、由香里は舌なめずりした。巫女に封印された嘗ての自分、そして木村と齋藤の仇。三つの仇を、同時に返すことが出来る。こんなに、爽快極まることはない。


 「私を楽に殺せると思ったら、大間違いですから。まだ、死ねませんので」


  恐怖に震えながらも気丈に振る舞う桜の姿に、由香里は辛抱たまらなくなった。彼女は、桜の左手の指を、触れることなく捻ってみせる。関節から空気が抜ける子気味良い音の後に、鈍い音が連続して響いた。


 「ううっ…!」


  声にならない悲鳴を上げた桜を、力任せに打ち据える。堪らず、体勢を崩した桜。彼女の長い髪を掴み、由香里は強引に、桜の頭を荷台に押し付けた。


  その頭を、踏みつけてやる。繰り返し繰り返し、桜の顔を荷台に叩きつける。鼻を切ったのか、荷台と顔の間で水音がし始めた時には、由香里は楽しくて仕方がなかった。


 「ひひひ、藍沢、藍沢ァ…」


  由香里の記憶は、混沌としていた。有村由香里としての記憶と、三越花としての記憶が、混ざり合い、反発し合い、歪んでいた。彼女は藍沢桜という人間を、怨恨ある巫女本人と誤認し、木村と齋藤は彼女によって殺されたのだと、自身の記憶を改竄していた。


 「貴女アナタ君巫女は、まだ生きてるの死んだはず何で生きてるの殺したはずコロシタ何でナンデ―」


  泡を吹きながら、由香里はゆらゆらと揺れた。何度殺しても、その度に蘇った『藍沢の巫女』。寿命が尽きるまで待っていたはずが、何食わぬ顔で再び目の前に現れた。その憎き仇敵を、今日、ここで。漸く殺すことができる。喜悦に歪められた口元の泡を、花は長い舌で舐めまわした。そして彼女は、動かなくなった桜の頭を、無理矢理持ち上げた。鼻の骨が折れ、前歯が欠けてしまった。醜くなった桜の顔に鼻先を近づけ、シシオリは真顔で問いかけた。


 「―なんでまだ生きてるの?死ねよ、早く」


 「…う、あ」


  桜は、由香里の問いに答えることが出来なかった。力なく四肢を垂らすと、ぐらりぐらりと揺れる頭で桜は虚空を見つめた。


 「私はあたしはね、生きたいの!もっともっと、生きたいの!生きることの邪魔をするやつは、こう!こう!こう!」


  三越花の人格が表層に現れたのか、由香里は表情をくるくると変え、最後に無邪気な笑みを貼り付けた。彼女は遊びに興じる子供のようにはしゃぎながら、とうに意識を失っている桜の頭を執拗に踏みつける。血飛沫が舞い、鈍い音が響く。そして止めとばかりに、花は足を振り上げた。


  その足を、吉村は撃ち抜いた。銃弾は、合計三発あった。そのうち二発を、彼は寸分狂わず、由香里の細い足に着弾させたのだ。


  文字通り冷水を浴びせられたように、由香里は硬直した。鈍い痛みが、かけ登ってくる。怨嗟の篭った瞳で、由香里は吉村を睨みつけた。


 「…藍沢さんはね、弟さんを助けたいんだよ」


  動けない桜の代わりに、由香里の問いに吉村が答えた。


 「弟さんを助けるために、今日まで生きてきたんだ。彼を救うまでは、そう易々と死ねないんじゃないかな」


 「へえ、そう」


  狂喜に澱んでいた由香里の瞳に、再び理性の光が灯る。由香里は吉村の話には心底興味がなさそうに、憎々しげに彼を一瞥した。


  底辺ゼミの老いぼれ如きが、何を偉そうに。 またいつもの、藍沢贔屓か。


  由香里は、聞こえよがしに舌打ちをした。彼女の苛立ちに呼応するように、神饌たちの表情も険しくなる。


 「よく分からないけど。弟のために生きて、弟のために死ぬってこと?いいね、藍沢にはお似合いだよ。なんて空虚な人生。例え弟が救えなくても、何やら満足して死ぬのでしょう?自分は、よくやったって。なんて内容のない人生。本当に、『伽藍堂』な女」


  『伽藍堂』。それは違う。中身がないのは、藍沢さんではない。本来の中身をシシオリに食い潰された、君の方じゃないか。


  吉村はそう言いかけたが、有村由香里に配慮して口には出さなかった。このご時世である、幾ら相手が化け物とはいえ、仮にも教育を生業とする者が学生に暴言を吐くのは、外聞がよろしくない。


 「…結果論だけで物事を測ろうとするのは、よくないな。仮に満足いく結果にならなくたって、行動自体にも意味はある」


 「結果が全てよ。死んだら全部終わりなの。そして私は、結果すら選べなかった」


  由香里は、手近な神饌の頭を掴んだ。


  神饌は、微笑んでいた。もしくは、由香里を嘲り笑っていたのかもしれない。


 「この村の人間のせいで」


  神饌は、捻じ切れてしまった。まだ新鮮だった赤い色が、荷台に降り注いだ。熟れ切った果物のような甘ったるい臭いが、辺りに広がっていく。しかし、吉村は顔色一つ変えることなく、毅然とした態度で由香里に向き合う。


 「大切なのは、やり抜くことだ。最後がどうとか、結果がどうとかじゃない。胸を張って死ねるなら、それが一番だ」


 「胸を張って死ねるのは、死に方を選べる奴だけ」


  彼女の言うことは、尤もだ。なら最後に、教育者としての矜恃を、不出来な教え子に見せてやろう。


  吉村孝雄、五十四歳。今は別居中の一人娘の姿を、思い浮かべる。


  ごめん。お父さんは、もう会えない。どうか、この出来の悪い父より素敵な男性と、出会えますように。


  彼は、スマートフォンを放り投げた。遺書の残されたそれまで、ひねり潰される訳にはいかないからだ。吉村は決意とともに、引き金に掛けた指に力を込める。


 「確かにそうだ。だから僕は、死に方を選ぶことにするよ」


  吉村は、由香里の頭部を撃ち抜いた。発射された弾丸は、吸い込まれるようにして由香里の額から入り、彼女の脳髄をかき混ぜた。由香里は後ろに倒れ、荷台から転げ落ちた。


  終わった。


 「じゃ、藍沢さん。僕は先に行っているから。なに、菊くんを救ってから、ゆっくり来るといい。高橋くんたちには、宜しく伝えておくよ」


  『死』が、迫ってくる。由香里の腕が、荷台の縁から伸びる。


 「お前、お前、おまえおまえオマエオマエオマエ!」


  次の瞬間、辺り一面に、吉村だったものが散らばった。水音と共に、吉村の肉片が、骨が、臓器が、局所的な雨となって降り注いだ。彼のスマートフォンは、赤黒い血の海に沈んでしまった。




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