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35話 支配の女王

  女を見る目は、あると思っていた。否、自分にとって都合のいい女は、目を見るだけですぐに分かった。


  齋藤は、幼い時から捕食者の立場にあった。少し優しくしてやれば、女の方から蛾のように寄ってくる。地球の人口の半分は女であるだろうし、つまり女は掃いて捨てるほどいる。だから、彼は眼鏡に適う女を引っ掛けては、すぐに飽きては捨てていた。時には、家柄の力を使って中絶を強要したことすらあった。


  彼にとって由香里も、初めはその一人だった。しかし、彼は由香里に強く惹かれた。女としての色香、フェロモン―匂い、だろうか。彼は、由香里に一種のシンパシーを感じていた。それは、彼女も同じであっただろう。


  由香里が生理の時などには、木村を適当にあしらったこともあるが、彼にとっては、やはり由香里が一番だった。


  桜たちと別れたあと。齋藤は、神社の石階段の下、周囲を茂みで覆われた縁石に腰掛けていた。そこは偶然、神社で蠢いている大量の村人たちからは、見えない位置であった。


  彼は胸ポケットから、煙草を取り出した。ライターに火を灯し、その火を咥えた煙草に移した。細い煙が、高く昇って行った。来る自分の死に捧げるものとしては、安上がりで貧相な線香。しかし、今はこれしか持ち合わせがないので仕方がない。


 「幸樹!」


  ふと、背後から声を掛けられた。聞き慣れた少しハスキーな声。何度も共に日の出を迎え、毎日聞いていた声。いつだって彼を愛し、彼を興奮させてきたそれは、今回ばかりは彼を緊張させた。


 「由香里…?」


  憑き物が落ちたのだろうか。木村を含めて、気味の悪い取り巻きたちは影も形もない。彼女は、今朝と同じ姿、同じ佇まいであった。由香里は周囲を見渡すと、安心したように泣き出した。


 「いつも間にか、皆居なくなっちゃって。寂しくて、怖かったあ!」


  何かの冗談のように、由香里は泣き崩れた。そんな彼女を、ついいつもの癖で。齋藤は、抱きしめてしまう。いつもと変わらない彼女の匂いと、いつもと変わらない体温が、彼を優しく抱き返す。


  初めは困惑の色が、齋藤の心を支配した。しかし、普段通りの由香里の表情を見ていると、齋藤の心も段々と楽になってきた。


  寧ろこれまでのことが、全て冗談だったのかもしれない。これは長い夢、長い長い、悪夢を見ていたのだろう。笑って、自分の頬をつねってみる。やはり、痛い。


  齋藤は、由香里を抱き寄せた。


 「ごめん、俺…」


  彼は、由香里を化け物のように扱ってしまったことを、泣きながら詫びた。いいんだよ、と由香里は答えた。


  良かった、彼女は何も、変わってなどいない。こんなに優しい由香里が、この集落を支配する邪な神である、そんな筈がない。


 「瑞希が藍沢に殺されて、幸樹まで居なくなっちゃったら、どうしようかと思っちゃった…」


  震える彼女を、齋藤は優しく撫でた。


 「ねえ、幸樹…?」


 「うん?」


  齋藤は、由香里の口から紡がれるであろう、甘い恋の言葉を期待した―にもかかわらず。彼女の口から零されたのは、存外冷ややかな声音だった。


 「私の知らない間に、瑞希とヤッたでしょ」


  背筋が凍った。齋藤は、由香里の顔を恐る恐る一瞥した。それは、知らない女の顔だった。そこに居たのは、彼の知る有村由香里ではなかった。


 「ねえ、幸樹」


  齋藤の骨が軋みを上げる。重機を思わせる無慈悲な怪力で、齋藤は締めあげられた。圧迫された肺から、空気が漏れる。彼を抱いていた細腕は、いつの間にか彼の腿より太い触手へと姿を変えていた。


 「信じてたのに、信じてたのに…!」


 「ま、待て、待ってくれ!」


  股間に違和感を覚え、齋藤は情けなく声を上ずらせて叫んだ。先程の光景がフラッシュバックする。尻の穴の中を這いずられているような心地になり、彼は体を捩って必死に逃れようとした。


 「違うんだ!誤解だ!」


  言い訳を重ねるが、既に遅いだろう。齋藤は、次の瞬間には襲い来るであろう、命を失うほどの激痛に身構えた。しかし、彼の予想に反して、痛みは襲ってこなかった。それどころか、体を締め付けていた暴力も、嘘のように引いていった。


 「いいよ」


  由香里は、微笑んだ。それは、齋藤がよく知る有村由香里の顔であった。


 「赦してあげる」


  ほっと、胸を撫で下ろした。腰が抜けてしまい、齋藤はその場に崩れ落ちた。


 「あ、ありがとう、由香里」


  訳もわからず、彼は礼を言うことしかできなかった。逃走という選択肢はない。彼女の機嫌を損ねた瞬間。それは今生の終わりであると、齋藤は本能で理解していた。


 「ただし」


  由香里の表情が、再び別人のものになる。彼女は、三越花は、土気色の長い舌で齋藤の顔を舐め回すと、艶然と唇を歪めた。


 「私に忠誠を誓うなら」


  やはり。やはりこの女は、自分の愛した有村由香里という女ではない。齋藤は確信したが、彼にはもう猶予は残されていなかった。由香里に土下座をすると、齋藤は媚態の念を乗せた声色で、彼女の提案を快諾するふりをした。


  この二十三年間、上流階級の生まれとして積み上げてきたプライドも、命には代えられない。彼は苦い胆を嘗めるような心持ちで、固く冷たいコンクリートに額を擦り付ける。


 「嬉しい…」


  恍惚とした表情で、花は齋藤を舐め回した。彼の形の良い唇から、鼻の穴、眼球に至るまで、執拗に、執拗に。気がつけば、彼女の右手は、彼の股間へと伸びていた。寄生させた蛆を操り、齋藤の健康な陰嚢の中へと侵入させる。


  齋藤の顔が苦悶に歪む。本来排出するだけの器官に、異物が侵入しているのである。想像を絶するほどの苦痛に、彼は呼吸を忘れてしまった。


 「でも、躾はしなきゃね」


  ぱきゅ。胡桃を割るような、軽い音。


  実際には、そんな音はどこからも発されてはいない。あくまで、それは齋藤の想像の中の音。睾丸うちの片方が、人面の蛆に噛み潰された音である。


 「おぉぉお…っ!」


  悲鳴にすらならない、呻き声。漸く金縛りが解けて、齋藤は地面に蹲る。そんな彼の背中に、花は片足を乗せた。


 「もう一つは、預かっとくね」


  もし、私の機嫌を損ねたら。彼女はそう言いたげに、足に力を込める。人外の膂力に、齋藤の体は押し潰されそうになった。


  一頻り齋藤を痛めつけると、彼女は恋人に猫撫で声で『お願い』をした。


 「服を脱いで。全部」


  すぐに立ち上がり、花に言われるがまま、齋藤は服を脱いだ。要求の通り、下着も含めて全て。一糸まとわぬ姿になった齋藤を、花は愛おしく思った。漸く、漸く本当の意味で、齋藤を自分のモノにできる。花はそれが、嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。


 「首輪が欲しいな」


  花は、いつの間にか傍らに控えていた神饌を呼び寄せると、小腸を引きずり出した。空気の抜ける音が、神饌の腐りかけた唇からこぼれ落ちた。彼女は神饌の黒ずんだ小腸を、齋藤の首に巻き付けた。ぬらぬらと妖しく光るそれを、齋藤の首が締まらない程度に、限界まで搾り上げる。


 「…うん、素敵だよ、幸樹」


  そう言うと、彼女は笑い声をあげた。耳障りな音階が、齋藤の鼓膜に叩きつけられる。地獄の底に響く音楽は、きっとこういうものなのだと、齋藤は恐怖した。


 「じゃあ、幸樹。今からここに、軽トラックが通るから。そこに、吉村と廣瀬と藍沢と…ええと、誰だっけ?が乗ってる。幸樹は死ぬ気で軽トラックを止めて、藍沢を殺すか、出来ないなら股のソレを藍沢に寄生させて。もちろん、吉村か廣瀬に咥えさせてもいいよ?」


  ひひひ、と花は品のない笑い声をあげた。そして彼女は、首輪を人外の怪力で手繰り寄せ、齋藤の額に接吻した。


 「出来るよね?幸樹なら」


  そうして彼女はまた、有村由香里の顔に戻った。


  齋藤は、首を縦に振ることしか出来なかった。




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