30話 祭り <後編>
「やれ」
三越はそう言い残すと、手にしていた杖をかなぐり捨てた。男たちは吉村たち『生贄役』を地面に押さえ込み、別の男たちが簀子を持って現れた。
その間、三越はうわ言のように、虚空へ向かって喋っていた。それは、贖罪の言葉。寛恕を乞う言葉。そして上位の存在に、阿諛し祈るための言葉。
「おお、我らを赦し給え救い給え!宇宙におわす十二の騎士よ、星辰の正しき時はここに来たれり!」
しかし辛うじて日本語の体裁を保っていたそれも、徐々に調子が狂い始める。
「天の上、御柱の膨張、無限の神は我らを貶したもうた!おおシシオリさまシシオリさま!繋げてたもう繋げてたもう、宇宙からの意思を我らに、伝えたもう何卒何卒…」
女将はというと、万力のような力で抵抗する桜を抑え込み、櫓の方へと引き摺って行った。吉村たちは三越の部下に抑え込まれ、泣き叫ぶ桜を眺めていることしか出来なかった。
「女将さん、やめてください!自分で、自分で歩けますから!」
「うふふ、ダメですよ巫女様。貴女には、大事なお仕事があるんですから」
そうして引き摺られていくまま、桜は櫓の下へ引き出される。櫓の中段で、九人のそれぞれ異なる仮面を被った男たちが、一心不乱に楽器を演奏していた。当然のこと指揮者はいないようであり、全ての楽器の拍子が狂っている。正気を失った男たちを従えるようにして、櫓の頂上には金色の九尾の狐の像が飾られていた。
「九尾の妖狐…!」
この村に悪心を招き入れた―否、彼女自身が、そもそもの悪―それが、妖狐。彼女は、どうやら自ら作り出した『シシオリ』という神に便乗して、信仰を集めようと画策しているのだろうか。吐き気を催すほど、醜悪な心根。虫唾が走る。
憎しみを込めて言葉を発した桜に、応えたのは女将ではなかった。三越は海老反りになると、骨を鳴らしながら人体の構造上有り得ない姿勢で、桜の方へ向き直る。彼は緩慢な動きで、ゆらゆらと体を揺らし、涎を垂らしながら、空の果て遠い場所を睨んで捲し立てた。
「獅子織様は寛大でおられる!微粒子の節度は大円となり、大いなる絵画は星辰と星辰の狭間で朽ちず、朽ちず、朽ちず!」
血走った目で、三越は叫んだ。意識を無限大の宇宙へ発散させた彼の肉体は絶頂の余り、射精した。苦く青い臭いが、彼の下半身から垂れ流される。上司のそのような姿を目の当たりにしても尚、彼の部下たちには動揺する素振りすら見えなかった。
最早、意思の疎通は不可能か。このままでは、皆殺される。本当に、とんでもない場所に、学生たちを連れてきてしまった。吉村は目を伏せると、齋藤たちに謝罪した。
「…すまない。私が、君たちを連れて来てしまったせいだ」
「先生、一生恨みますからね…」
最早どう足掻こうとも、このまま無事には帰れないことを悟ったのだろう。震える唇で、野本はそう皮肉を口にした。度重なる失禁を経て、彼の精神はより頑強なものになったようだった。または、許容量を遥かに超えるストレスの影響で、麻痺しているだけなのかもしれない。
「私の方こそ、すみません。何と、不甲斐ない」
そう言ったのは、一行と共に駐在所から連れてこられた警官だった。本来、彼は桜に対して監督責任があり、幾ら村長の命令と雖も勝手に被疑者を連れ出される訳にはいかなかった。抵抗虚しく、彼は呆気なく三越の部下たちに抑え込まれてしまったが。
「見て、幸樹!」
齋藤たちは遂に、地面に横たえられ、足を縛られ、全身を簀子巻にされた。あとは痛みに耐え、顔面破壊による死に至る他ない。
絶望し、疲労困憊といった体の齋藤に、無邪気に由香里が声をかけた。彼女は、少し離れた先を指で示していた。
「瑞希だ!おーい、瑞希!」
彼らは凍りつく。由香里の示す先に立っていたのは、木村瑞希。彼女は首を直角に傾けて、金色の着物を羽織っていた。四肢は捻られ、瞳に生気はない。しかし、口元からは涎が垂れ、唇は不気味に歪められていた。
「おい、何で」
「木村さん」
「嘘だろ」
横たえられ、身動き一つとれず。口々にそう呟く他ない吉村たちとは対照的に、由香里は軽快に走り出した。三越も、彼の部下たちも、それを止めようとはしなかった。
「瑞希!」
肩を揺らしながら、木村が笑った。
「は…?え…?」
目の前で起きている尋常ではない状況に、桜の体の力が抜けていく。木村の後ろから、神饌たちが続々と姿を現した。
「ススカルシミ」
神饌たちは、萎びて、あるいは腐り拗られた手足で、由香里に跪いた。
「ススカルシミ、ススカルシミ」
そして、彼女たちは一斉に、桜の方を見た。
直角に曲がった首で、縦に裂けた口を歪めて。嗤う、笑う、呵う。
それは仇敵を睨む時の瞳、否、違う。彼女たちの瞳は、獰猛な喜悦に満ちていた。獲物をあと一歩のところまで追い詰めた、捕食者の顔。
ああ、そうか。
神饌たちの哄笑に釣られたわけではないが、桜も口元を歪めてしまった。
駐在所の、仮設拘留室でのやり取りを、思い出す。
巫女の末裔なんだろう、特別なんだろう。救ってくれ、助けてくれ。有村由香里は藍沢桜に対して、そのように捲し立てていた。
桜は、『巫女姿の老婆から錫杖を賜った』としか説明をしていない。『自分が巫女の末裔だ』とは、一言たりとも述べていないはずだった。
そのはずなのに。
いや、既に―最初から。知っていたのだ、彼女は。
「ああ、貴女が」
普段から感じていた、敵意の籠った視線。そして、悪意。これなら、全部納得がいく。
なんという偶然、なんという運命。仇敵同士が、同じ世代、同じ大学、同じゼミに、揃ってしまったのか。
桜は女将に強いられ、跪いた。そして、白い腕をナイフで傷つけられる。指先を伝って落ちていく、赤錆色の血液。彼女の足元には、朽ちかけた注連縄が巻かれた、要石が幾つも転がっていた。
「…有村由香里。貴女がシシオリか」
注連縄は赤く染まり、次々に断ち切れた。
由香里の精神の奥深く、汚泥の中に封じられていた記憶が、泡を吹きながら溢れ出す。万象が流転し、知覚が過去から襲ってくる。そして、彼女の中で全てが溶け合って、やがて一つになった。
漸く、全てを思い出した。まるで、いや、正に。生まれ変わったかのような、清々しさ。
有村由香里―シシオリは、高らかに笑った。




