2話 獅子織村、到着 <前編>
山道を越えた先。一行のバンは、清潔感のある近代的な宿へと到着した。それは一面の緑に覆われた村の風景とは、酷く不釣り合いに見える。剥き出しのコンクリートは、この村において文字通りの完全な異物であった。
城塞を思わせる威圧的な宿の様子に、有名なカルト宗教の本拠地みたいだ―などと、由香里は失礼な想像をしてしまった。
スーツ姿の男衆に挨拶をすると、吉村は学生に荷物を降ろすように指示をだす。
「チェックインまではまだ時間がある。大きな荷物だけは預けて、またここに集まるように」
当の学生たちは、車から降りるなりスマートフォンを取り出して、宿の写真をSNSに投稿することに夢中になっていた。そんな彼らを視界の端に収めながら、吉村は遅れて出てきた女将に挨拶した。
「こんにちは。吉村です。ご覧のように騒々しい奴らですが、どうぞ三日間よろしくお願いします」
「あらあら、若い方は元気で結構ですよ。ようこそ獅子織村へ。何もないところですが、どうぞごゆっくりしていってください」
感じの良い初老の女将は、女将が着るには少々品のない、金色の着物の袖を揺らした。袖の部分には獅子の刺繍がされており、桜の瞳にはそれがとても奇怪なものに映った。
百歩譲って、虎の刺繍ならば桜も見た事があった。しかし、干支にも数えられる一応は縁起物の虎だとしても、柄の悪い粗暴な印象を、顧客に与えてしまうだろう。
虎ですら悪影響は免れないが、着物の刺繍は獅子。それは権力や富、あるいは百獣の王としての威厳を彷彿とさせる。少なくとも、旅館の女将が身を包む着物に用いられるアイコンでは、決してないはずだ。
「獅子の刺繍…。獅子織、村の名前ですよね。ここには獅子にまつわる伝承が?」
何か特別な理由があるのだろう、桜は女将にそう問いかけた。女将は着物の柄とは幾分か乖離した、品の良い笑顔を浮かべ朗らかに答えた。
「ええ、ええ。綺麗な獅子の刺繍でしょう?村の特産の、金色の繊維で織られております。機会があれば、ゆっくりお話させていただきますよ」
桜は知る由もないが。この村の女性にとっては、金色の着物を身に纏うことは、誇りある伝統であり、ある種のステータスであった。
ぎらぎらと太陽を反射する金色に、桜は一瞬―聞き慣れたサンバの音が聞こえてきた気がした。金色の着物を纏った名優の姿を想起し、思い出し笑いに上がり始めた口角を隠すように、彼女は深深と頭を下げる。
「はい、お願いします。お世話になりま…っと」
頭を下げた桜の体に、スマートフォンを掲げた由香里が接触する。桜は大きく体勢を崩したが、由香里は気づかずに走り去ってしまった。
由香里たちは敷地内にいた数羽の烏を追い散らしながら、子供のようにはしゃぎ回っていた。
「やばーっ!想像の十倍エモいんだけど!」
「エグいて笑」
由香里は生まれも育ちも東京都内であるが、こうした自然も嫌いではない。彼女は現在港区に住んでおり、東京タワー近隣の公園によく訪れていた。
「なんか、久々~!」
特にここ最近は試験勉強に追われていたこともある。名門校出身であり、試験だけは得意な彼女であるが、それでも毎晩遅くまで試験勉強に費やすことになった。漸く踏みしめることのできた自然に、解放感もひとしおである。
「何か、来たことあるみたいじゃん」
齋藤にそうからかわれ、由香里は笑顔で返した。
「ま、これでも温泉旅行とかが趣味なので」
「いいね。また一緒に行きたいね」
「次は二人きりで、ね」
由香里たちは一頻り写真を撮り切ると、ようやくバンから荷を降ろし始めた。
「大丈夫?藍沢さん」
吉村は、焼けたアスファルトに手を衝いた教え子を、優しく助け起こした。
「…ええ。行きましょう、先生」