28話 狂気
桜と吉村たちは、互いの持っている情報を手短に交換した。桜からすれば、新しい情報は一切なかったにも等しいが、それでも老婆の話の信憑性を補強するには、有意義な時間になった。
神社裏の話だけは、敢えてしない事にした。この話まで包み隠さずしてしまうと、別の罪に問われてしまいそうだからである。
妖狐の話、神饌、金色の着物の話。そして、魔物と巫女の話が出ると、齋藤たちの顔色は見違えるほどに悪くなった。桜はほとんどの情報を、老婆から聞いたありのまま伝えた。ただし、桜は自分が『巫女の末裔』であることだけは、伝えなかった。
駐在の警官たちは、目を白黒させていた。彼らも、獅子織村の歴史については知りえなかったらしい。それに、半分以上の話は、巫女に封じられた魔物を描いたファンタジー作品の様相である。これを信じろという方が、科学全盛の二十一世紀を生きる彼らには難しい話であった。
「藍沢さん、君がそんなに非科学的な話をするとはね」
吉村の言葉に、桜は苦笑した。彼女は首を振ると、肩を落とした。
「私だって、こんな話。信じたくなんてありませんよ」
魔物は、実在する。桜がそう言うと、由香里を含め学生たちは鼻で笑った。そんなこと、有り得るはずがない。しかし、桜が警官に押収されていた錫杖を見ると、事態は一変した。
郷土史に載っていたものと、瓜二つの錫杖。そもそも、錫杖自体が滅多に目にすることのないものである。それを桜が持っているのだから、一同は面食らってしまった。
由香里は、動転のあまり錫杖をへし折ろうかと思った。しかし、彼女と桜の間には齋藤たちによる物理的な壁があり、彼女は錫杖を手にすることはできなかった。
「その郷土史に描かれていた巫女も、知っています。死に体の私が雨の中転がり込んだ洞窟で、即身仏となっていました。この錫杖は、彼女から譲り受けたものです」
「譲り受けたって。ミイラになっていたんだろ?」
廣瀬の言葉に、桜は首を横に振った。
「白昼夢、と言い換えられても仕方がありません。しかし、私の記憶の中では、確かに。巫女より、錫杖を賜りました」
偉そうに、と由香里は思った。この期に及んで、またか。
「また、自分は選ばれし者アピール?」
廣瀬たちは、背後の女から漏れた声に辟易した。また、ヒステリーを起こされては敵わない。
「有村さん、やめてくれ」
今まで由香里や齋藤に媚びへつらうだけであった野本が、そう言い放った。
「今は、そんなこと言っている場合じゃない」
気弱な彼にとっては、大学のクイーン・ビーに説教を垂れるなど、一世一代の大冒険に他ならなかった。しかし、今は事態が事態である。皆が一丸となって問題に対処しなければならないこのタイミングで、足並みを乱されるのは困る。彼の主張は、至極当然のものであった。
「はあ?」
由香里は憤った。野本は今、何と言ったのか。よりにもよって、小便垂らしの野本が諭そうとしたのか。この私を。
「キモオタの癖に、生意気言うなよ」
「だから、今そういう態度は…」
「黙れよ、ションベン野本。臭い口で喋らないでくれる?陰キャが伝染…」
「有村さん」
野本に食ってかかろうとした由香里に声をかけたのは、齋藤でも吉村でもなく、桜であった。彼女は憐憫を込めた視線で由香里を射抜くと、静かな声色で言った。
「…木村さんのことは、残念でした。それに、喧嘩なら、この村を出たあとで幾らでも買って差し上げます。いいえ、さっきみたいに、私のことを気が済むまで殴ればいいでしょう。ですから」
「ですから?村を出る?」
嘲笑。由香里は獰猛な視線で以て、桜を睨み返した。彼女は口元を歪めて、嘲るような声色で桜に言い聞かせてやる。
「土砂崩れでトンネルが埋まって、村からは出られないんだよ。日常には戻れないんだよ、私も、お前も」
「…え?」
桜には、由香里の言葉がすぐには理解出来なかったようだ。否、彼女自身が、理解することを拒んだためかもしれない。
「…村から、出られない?」
桜の頭の中は、ホワイトアウトした。情報が拒絶され、何も知覚出来なくなったのだ。桜の思考回路がショートするのも当然である。
流石に、あの神饌たちに四六時中追い回されては、体力が持たない。加えて、シシオリの本体が、いつ何時現れるのか分からない。そのような状況下で、この村に残らなければならないのだ。
「そ、それじゃあ、ど、どうすればいいんですか?」
普段の余裕が在庫切れを起こし、力なく周りを見渡した桜に、由香里は傲慢にも言い放った。
「あんたが、鎮めればいいんじゃない?ほら、力があるんでしょ?特別なんでしょ?錫杖を託されたんでしょう?巫女の、末裔なんでしょ?助けてよ、救ってよ!ほら、ほら、ほら!」
巫女の末裔。由香里にそう呼ばれて、桜は顔を曇らせた。
特別。力。そんなものが、そんなものが私にあるならば。とっくの昔に、菊を救えたはずだ。何も無い、私には。私は、ただ血を引いているというだけだ。
「藍沢さん」
ふと、顔を扉の方へ向ける。自分の名前を呼ばれた。桜は焦点定まらぬ瞳で、声の主を見た。
「漸くお会い出来ましたぞ、藍沢さん―いいや、巫女様とお呼びするべきか」
そこにいたのは、小柄な老人。村長の、三越であった。彼は女将に案内され連れてこられたようで、取り巻きと共に扉の外に立っていた。
萎びた体に似合わぬ、爛々とした双眸。比較的身なりが整っていることから、地元の有力者であると考えられる。
「誰、です…?」
桜は、稲荷神社にあった、培養槽のことを思い出す。死して尚、搾取され続ける少女たち。生贄として極上の苦しみを味わった末に、死ぬことも生きることも許されず、村の特産品の苗床とされていた彼女たち。その慟哭が、無念の表情がフラッシュバックし、桜は錫杖を握りしめた。
「おやおや、どうされました」
取り繕ったように柔和な表情で、老爺は笑う。その笑顔の裏には、欲望がとぐろを巻いているのだろう。シシオリを利用するだけ利用して、逆襲されそうになったら、巫女に媚びを売る。巫女ですらも、都合よく利用する。人間の何か底知れないものがそこにある気がして、桜は恐ろしくなった。
「巫女様」
「やめなさい、やめて、ください」
桜は声を震わせてそう言った。どうか巫女などと、呼ばないで欲しい。自分は未熟そのもので、ただあの偉大な巫女の末裔であるというだけなのだ。期待されたところで、何も出来ない。それに、あのような惨状を意図して招くような者たちに、力を貸すことなんて―そんな恥ずべきことは、してはならない。
「獅子織祭が始まります。そこで、獅子織様を鎮めます。どうか、御力添えを、巫女様」
謙るような男性の態度。一体どの口で、そのような世迷言を述べるのだろう。桜はふざけるな、と言ってやりたかった。数秒間の葛藤の末、桜は余罪を追求される決心をした。きっと三越を睨めつけて、桜は彼を問い質す。
「―稲荷神社の裏を、見ました」
「ほう?」
元々斜視であった三越の瞳が、ぐるりと回る。彼の人間離れした気味の悪い動作に驚いたが、桜は気丈に、警官の前で三越を糾弾する。
「あの設備は、一体なんですか。貴方はシシオリを利用できるだけ利用して、しっぺ返しを喰らいそうになったら、巫女を頼るのですか?情けない、恥を知りなさい」
「こ、こら。何の話だか知らないが、藍沢さん」
慌てて、吉村が間に入ろうとするが、彼は三越の取り巻きの一人に抑え込まれてしまった。まるで、彼が悪事を働いたかのように―力任せに取り押さえられた吉村は、混乱したような表情で呻いた。
「な、何を…三越さん!?」
彼には一瞥もくれず、正気を失いかけた老人が、くつくつと笑う。その凡そ人間離れした気味の悪い笑い声に、一同は戦慄する。
「…あれは、先祖が獅子織様から賜った、この村の資産です」
「資産?人間を水槽に入れて薬漬けにしたものが、ですか?」
桜の言葉に、三越は笑う。
「人間?死人ですよ、あれは。死体に人権はありますか?」
桜は、ぐっと歯噛みした。
彼はそう言うと、取り巻きに指示を出した。黒服の取り巻きたちは白痴のように覚束無い足取りで、それでいて万力のような力で齋藤たちを抑え込む。
「な、何ですか、村長!?私まで…何故!?」
次いでとばかりに、取り巻きに制圧された巡査が、悲痛な声を上げた。彼の悲鳴を黙殺し、三越は一同を連行する。
「連れて行け」
桜も例に漏れず、人垣を割って入ってきた女将に、ぐいと手錠を引かれた。同時に、耐え難い臭気が桜の鼻腔を通り抜ける。
これは、この臭いは。
「女将さん…?」
どうして彼女から、死臭がするのだろう。金色の着物を纏った女将は、ぎらぎらと瞳を卑しく輝かせていた。




