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26話 囁く『声』に、身を任せ

  泥だらけの体を引き摺って、喧騒に導かれるまま桜が向かったのは、神社であった。


  村の守り神である獅子織を祀る歴史ある神社のようで、集落の規模にしては破格の面積を誇っていた。


  恐らくは、村人たちにも自分に殺人の容疑がかかっていることは、伝わっているだろう。余計なトラブルを避けるため、限りある時間を節約するために、桜は村人との接触を極力避けることにした。彼女は身を隠しながら、神社の裏手へと回り込む。


  昨晩、女将が言っていたことを思い出す。今日は、神社の祭りが開催される日。それ故に、一部の公務員などを除けば、海咲たちが間引いた分を差し引いたとしても、桜の視界に入るだけで百人以上の村人たちが集まっていた。


  この小さな集落の一体どこから湧いたのだろう、と桜は疑問に思ったが、今はそれどころではなかった。一刻も早く、この村を出なければならない。もしかしたら、帰りの車は既に発車したあとで、自分は置いていかれている可能性もある。なるべく足早に、しかし人目につかないように、桜は移動していく。


  ずきり、と頭痛がした。何か嫌な臭いがして、桜の視線はその場所へ釘付けになる。それは、小さな鳥居であった。


  件の、稲荷神社。桜は瞬時に、そう看破した。


  巫女の言葉を思い出す。この稲荷神社は、断じてシシオリに睨みを利かせるために建立された訳では無い。寧ろ、逆か。シシオリを見守る、あるいは操作するために、妖狐が敢えて村人に指示して建てさせた―そう考えるのが、自然である。


  桜の体は、鳥居の方へ惹かれていく。時間がない、いくら自分に言い聞かせても、体は正直であった。


  潰せ、と。桜の中に潜む、何かが言った。


「駄目よ、桜」


  行け。


「駄目、時間が…」


  行け。そして、潰せ。


  一際強く、声は囁いた。自問自答の甲斐もなく、桜は熱に浮かされたように稲荷神社へ向かう。茂みから這い出て、まるで見えない何かに引き摺られるように。本人の意思に逆らって、彼女の体は鳥居の中心に投げ出された。


  小さな祠には、金色の糸束と御神酒が供えられていた。死臭の元は、その真横。岩を削って作られたと思しき、高さ一メートルほどの通路。古びた樫の扉から、腥い気配が零れている。扉は錆びついた南京錠で施錠されており、中に入るには鍵が必要である。


  気がついた時には、桜は錫杖を振りかぶっていた。いけない、そう思いながらも、桜は古びた南京錠を破壊する。ぱきり、と小骨が折れるような音。無惨にも、南京錠は二つに割れてしまった。


「ああ、ごめんなさい」


  口先だけで謝罪をすると、彼女は可能な限り足早に、扉の中へ体を滑り込ませる。


  この旅行の間に、殺人(容疑)一に不法侵入一、そして器物破損一である。とんだ悪党になったものだ、と桜は自嘲した。錫杖も含めれば、木乃伊に許可を得たとはいえ窃盗罪も加算されるだろう。


  洞穴の中は、兎に角暗かった。彼女は四つん這いになり、咫尺を弁ぜぬ暗闇を只管進んでいく。暫く這いつくばっていると、やがて彼女が立ち上がれるほどの広間へと辿り着く。粘性の液体に生じた泡の破裂する、不気味な音が木霊していた。


「何、この…っ!?何…!?」


  強烈な死の臭気に、桜は目を開けることすらできなかった。格闘した末に、桜はようやく、落ち着いて周囲を見回すことが出来た。その部屋は、部屋の奥で稼働しているラップトップの、ぼんやりとしたバックライトに照らされていた。


  どろりとした緑色の粘液で満たされた槽が、四つ。それらにつき凡そ八人ずつ、昨日桜を襲った神饌が漬けられている。彼女たちは拘束されており、頭には何本もの電極と管が繋がれていた。管を介して注ぎ込まれているのは、何らかの赤い液体。少女たちは悪夢を見ているのか、それとも現実を知覚しているのか、時折嗚咽を漏らしていた。


「ひっ…」


  少女たちの全身から伸びているのは、イネ科の植物のように伸びた長い毛。そしてそれは、日本人生来のものではない、不自然な金色。女将が袖を通していた着物、資料館に飾られていた着物、そして、生贄に捧げられた少女たちが纏っていた着物。その繊維の出処は、この場所であったのだ。


「おえぇぇ」


  人間の業の深さ、醜悪さ。欲深いとは、こういう事だ。このように再利用してしまえば、生贄も捨てるところがない。この少女たちは、次の生贄のために、繊維を生み出し続けていたのだ。


  桜は吐いた。胃液を、地面にぶちまけた。度重なる嘔吐に、桜の食道はすっかり爛れてしまっていた。


  培養槽に入れられた少女たちは、泣いているように見えた。贄とされ、シシオリの手先となって尚。不当な方法で、搾取されている。考えうる限り最悪の、二毛作。妖狐に唆されたとは言え、この地獄に加担した存在と同じホモ・サピエンスであることが、桜には恥辱とさえ思えた。


「はあっ、はあっ…!」


  肩で息をしながら。桜は、力任せに錫杖を凪いだ。管が抜けて、赤い液体が撒き散らされる。ほのかに、鉄の匂いがした。


  錫杖の先端で、少女の頭を突き刺した。嫌な手応えと共に、神饌となった少女は痙攣し、そして黒い灰になった。一人、二人、と次々に。桜は『死』という救済を、神饌たちに授けていく。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」


  自身も気が触れたように叫ぶ。錫杖を突き出し、返り血を浴びる。


「ごめんなさいぃ…!」


  かつて人であった哀れな少女たちを、もう一度殺して、殺して、殺して。歪んだ口から悲鳴が漏れる度、傾いた目から光が消える度。桜の心も、すり減っていく。全員が灰となり煙となり消えた時には、桜は憔悴していた。


「ふーっ…ふーっ…ふーっ…」


  錫杖に体を預け、呼吸を整える。床に零れた赤錆色の液体は、彼女のくるぶしを染め上げていた。


  お前が、殺した。


  彼女の奥底を形作る声は、口元を喜悦に歪めた。それは、桜の門出を祝福するようで。


  「そう、私が殺した」


  心の声に返事をした桜は、胸が締め付けられるような気持ちになった。


  そんな彼女を、声は更に追い詰めていく。


  お前が、殺した。


  善良な生贄を、村のために尽くした少女たちを。


  お前がもう一度、殺した。


「私が」


  桜は錫杖を捨て、両手を見た。じっとりと、血に濡れている。


「私が、殺した」


  今度は、木村の時とは違う。自分の意思で、明確な殺意を持って、返り血を浴びた。


  神聖なはずの錫杖は、赤黒い血溜まりに沈んでいく。


  それは、桜の行く末を、暗示しているような―。


  ああ、菊。


  最愛の弟の、笑顔。


  それすらも、赤く澱んで。


  貴方の、姉さんは。


「もう生娘には戻れないねぇ。『姉さん』?」


  そう囁いて彼女の首を締め上げた『何か』は、菊の顔をしていた。



  どれくらい経っただろう、泣いて泣いて泣き疲れて、桜は子鹿のように震える足で、体を支えた。血溜まりから錫杖を拾い上げ、床に突き刺す。


  まだ稼働していたパソコンの画面には、桜によって血の跡が付けられている。画面の中には、エラーコードと共に大量のウインドウが開いていた。


  ウインドウに覆われた奥。開いたままのテキストエディタに記されているのは、日誌だろうか。桜は、一つ読み上げてみることにした。


『神饌九:一九四二年生。


 生前…獅子織村出身。


 労働や出産に耐えられないほど病弱であったため、十一の時に口減らしを兼ねて獅子織滝へ。


 屍後…第一槽所属。


 食欲旺盛。


 苗床適応度:高


 追記:二〇一六以降生産量低下傾向あり。五年以内の交代が望ましい』


 「…は?」


  思わず、声を漏らしてしまった。無機質な文章で書き連ねられていたのは、先程桜が自ら手にかけた少女たちの仕様書であった。


  神仙などと―祭り上げておきながら。人を、なんだと思っているの。


  怒りに任せて、桜はパソコンの画面に錫杖を叩き込んだ。感電の可能性など、これっぽっちも勘定に入れていはいない、力任せの一撃。忽ち画面はショートし、火花と共にラップトップは天寿を全うした。


  この部屋には、もう他に見るものもない。桜は血でグズグズになった手足を引き摺り、外へ出た。


  そのままふらふらと覚束無い足取りで駐在所を目指す。幸いにも、彼女はすぐに捕らえられた。


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