22話 二人目の犠牲者
高橋が死んだ。
遺体は、凄惨の一言に尽きた。彼は四肢を捻じ切られ、壁に磔にされた状態で、全身の体液を啜られていた。お世辞にも引き締まっているとは言えなかった彼の体は萎びて痩せこけており、全身の皮を剥がされて、おまけとばかりに頚椎をあらぬ方向へ折られていた。
そして彼は、絶命していた。想像を絶するような、苦悶の表情のまま。
彼の遺体を発見したのは、仲居の一人だった。彼女はいつものように廊下を慌ただしく小走りに渡っていると、壁に奇怪な赤色のオブジェが飾られていることに気がついた。旅館ということもあり、調度品の一つや二つ、新規に購入してもおかしくはない。目も悪ければ察しも悪かった彼女は、そのまま遺体を無視しようとした。しかし、流石にカーペットが血溜まりに水没していれば、見て見ぬふりをしろというのは土台無理な話である。
彼女は見ようによっては滑稽な芸術品が、人の形をしていることに気がついた。そしてそれが、壁に磔にされていたことも。
そして、彼女はまだ眠っていた吉村一行を叩き起こし、現在に至る。
野本は、一日ぶりに失禁した。彼の膀胱は立て続けに起こる異常事態に負け、緩くなってしまったようだ。言い様によれば、布団を厠と誤認してしまうより、彼は大人としての尊厳を守れたのかもしれない。
廣瀬は、現実が受け入れられなかったようだ。この人を小馬鹿にした造形物が、かつて高橋だったものであると認識した瞬間、彼は失神してしまった。
そして、彼らを引率してきた吉村も、立ちくらみを覚えた。当然、昨晩今後のことを考えるとよく眠れなかったことも、一因ではあるのかもしれない。しかしそれ以上に、目の前の現実は受け入れ難いものであった。
「何ということだ…」
吉村は腰を抜かすと、携帯電話を開いた。また、大学に伝えるべき悪い知らせが増えてしまった。胃痛で、腹に穴が空きそうだ。
数分もしないうちに、警察がやってきた。不幸中の幸いにして、土砂崩れの前に近隣の集落から二人の警官が応援に駆けつけていた。彼らは事情を聞くと、速やかに調査を開始する。警官たちは連日行方不明者の捜索に駆り出されており、疲労困憊という様子だった。それでも彼らは、警察としての職務を全うしようと努力した。調べなければならないものは多い。監視カメラの確認、被疑者たちのアリバイ、そして、高橋の死因。
「恐らくは」
このような現場を実際に見るのは初めてなのだろう、やや緊張がちに若い駐在警官が言った。
「死因は、頚椎の損傷および出血多量。甲府から鑑識が来るまでは、分かりませんが…」
頚椎の損傷。そうなると由香里にとって、思い出される人物は一人しかいない。
「藍沢…」
木村も、頚椎を折られていた。藍沢桜が何らかの方法で人間の頚椎を破壊することが出来るなら、高橋を殺したのも彼女かもしれない。そして、桜には動機がある。目撃者を消すという、最もらしい動機が。
「監視カメラ、確認できました」
口元ににきびのある巡査が、カメラの映像をコピーしたと思しき紙を何枚か抱えてやってきた。彼は吉村たちに数枚の画像を見せる。
「初めに、吉村先生ですが。先生は、部屋から出ていません。これは、確認ができました」
そう言って巡査は、一番上にあった画像を指で示した。
「そして、夜間の外出が確認できたのは、二名。高橋さん本人と、有村さんです」
名前が出た瞬間、一同の視線が由香里に集まる。彼女は困惑したように、その視線を受け止めた。
「確かに、夜中に自動販売機まで行ったけど。高橋さんには会わなかった」
「ええ、それも確認できています。お二人が外出したのは別の時間ですし、監視カメラの動画を追うに、有村さんは犯行現場には向かっていない。有村さんが利用した自動販売機があるのは二階、高橋さんが亡くなっていたのは、一階です。丁度、自動販売機の真下に当たります」
それよりも、と警官は続けた。
「監視カメラには、もう一人映っていました」
数十枚から成る書類束のうち、一番下にあった写真が取り出される。それは、旅館の外に設置されていた、監視カメラによる撮影だった。
矢のように降りしきる豪雨の天幕の下にあって、あろうことか傘もささず歩いている長い黒髪の女。後ろを向いているため顔までは確認できないが、彼女は長柄の何かを肩にかけていた。
その後ろ姿は、由香里に一人の女を想起させた。
「藍沢…?」
由香里の呟きに、言われてみれば、と吉村は思った。監視カメラの粗い写真一枚では判断材料になりようもないが、写真の中の人物の佇まいは、確かに藍沢桜を思い起こさせる。
「でも、藍沢さんではないだろうね」
そう、恐らくこの写真の人物は、藍沢桜ではないだろう。自警団は悪天候にも関わらず、結局一晩中桜を捜索していた。自警団自体もそこまで大人数ではないが、特殊部隊でもレンジャーでもない桜が、痕跡も残さず旅館に忍び込み、凶行に及べるとは考えにくい。吉村は、そう結論づけた。
頭を捻る一行に、数名の年配の男たちが向かってくる。その先頭、杖をついた年寄りが、吉村に声をかけた。
「吉村先生」
その姿に、吉村は姿勢を正した。彼はこの村の村長、三越であった。
「御無沙汰しております」
吉村は以前、とあるサミットで三越と知り合った。その縁もあり、今回獅子織村を候補に挙げたのだ。挨拶も程々に、村長の三越は、漸く壁から降ろされた、高橋の遺体に近づいた。死体を見て、三越は沈鬱な面持ちになった。それから、彼は後退る。迫り来る何かに、心底怯えたように。
その様子に、吉村は違和感を覚えた。
明らかに、三越の様子がおかしい。彼は、仏の凄惨さに気分を害した訳ではなく、明確に何かを恐れている。
「三越さん、その」
三越は、首を横に振った。
「…祟りじゃ」
彼を取り巻くこの村の住人の間に、戦慄が奔る。ある者は口元を覆い、またあるものは髪の毛を触る。何れも、ストレス反応。
「祟りって…」
齋藤は三越のことを、迷信深い老人だと一蹴しようとした。時代は二十一世紀、人類の叡智は宇宙の神秘にすら届こうとしているのに、今更祟りなどと。
「九年前にも、同じことが起こった。十八年前にも、二十七年前にも」
老人は、震える声で指折り数えた。彼が数字を数える度に、恐怖に引き攣った声が上がる。村人たちは体を踊らせ、各々異なる一定の周期で『恐れ』を表現した。
その異様な光景に、吉村たちは表情を曇らせる。彼らは、村人たちは本当に信じているのだ、『シシオリ』を。閉鎖された集落の中で風習は根強く残り、今なお狂気は受け継がれている。
学生たちを、とんだカルト集団に誘い込んでしまった。吉村はここへ来てから何度目かの強い後悔に襲われた。
「ひひっ。犠牲になるのは、ひひひっ。いつも外からの人間じゃった。決まって、全員死んだ」
老爺は焦点の合わない瞳で、彼らの顔を見比べていく。まるで犠牲者を選ぶように、順番に。尋常ではない三越の様子に、野本は再び失禁しそうになった。彼にとっては最悪なことに、もう替えのパンツの在庫はなかった。
「全員、死ぬって…あはは、映画じゃあるまいし」
「祭りの準備を急ごう。早く、早く獅子織様を鎮めなければ」
乾いた笑いを零した齋藤を後目に、三越は側近たちと共にその場から去っていった。その場には、嫌な空気だけが残された。




