21話 シシオリ村
「時間がない。着いてきなさい」
老婆は桜の手を引くと、再び水瓶のある部屋にまで戻ってきた。そして、先程一匹だけ残しておいた蛆を、錫杖の先で小突いた。
「これは、幼体だ。宿主に寄生して、肉体と魂を侵す。主に性行為―粘膜の接触を通じて宿主から宿主へ移動し、この村へ誘導する」
老婆の話に、桜は違和感を覚えた。この蛆は、他ならぬ自分の体から出てきたものだ。もしセックスを媒介に寄生するならば、話がおかしい。
「あ、あの。私、その…処女、なんですが…」
「ああ。お前さん、こいつに侵されたやつに直接噛まれただろう。成長する前の幼体の大きさは、寄生虫と同じだ。貴女を噛んだ歯に、付いていたのだろうねぇ」
「あ、そ、そうですか」
不必要なカミングアウトをしてしまった。恥ずかしくなり、桜は俯いた。話題を変えるため、彼女は老婆に質問を投げかけることにした。
「そ、それで。何故、この虫は宿主をこの村に誘導するのですか?そもそも、この虫は一体…」
老婆は咳払いして、話始めた。それは、この村の悪しき風習にまつわる、昔話であった。
昔、この近くで長い旱魃があった。村人は飢え、餓死者が後を絶たなかった。そこで、村人は龍神が住まうという滝に、生贄を捧げることにした。
生贄には、村に住むとある若い少女が選ばれた。彼女は身を清められ、神饌として龍神に献上された。しかし、生贄に捧げられた後、彼女は死が途端に恐ろしくなり、力任せに拘束を解いて、逃げ出してしまった。怒り狂った村人は、少女を捕え、四肢の骨を全て折った。そして、抵抗できなくなった彼女を、改めて龍神に捧げたのだ。
「四肢を、折る?もしかしてそれが」
桜の指摘に、老婆は首肯で返した。
「この最悪の生贄の儀式は、近隣の村を巻き込んで、長い年月に渡って行われた。そして、若い娘を略奪された近隣の村から、憎しみを込めて呼ばれるようになった名こそ、『四肢折り』村さ。
そして、この話には続きがある」
生贄として捧げられた少女たちであるが、当然、滝に龍神などいるわけがない。しかし、生贄が捧げられる度に、少女たちの死体は骨を残して消失していた。
彼女たちは、生きながらにして、野犬や烏に食い殺されていた。その苦しみたるや、少女たちの断末魔が、山を超えて村まで届いたほどだ。
しかし、少女たちが龍神ではなく野生動物に食われていることなど知りようもない愚かな村人たちは、喜んで次の生贄を差し出した。彼らは、雨が降らない理由を、生贄が足りないからであると盲信していた。
村人たちは、洗脳されていた。
村に伝わる、金色の繊維。旱魃が起こる前には村に多大なる利益をもたらしたそれは、妖狐から与えられたものだと言われている。神饌となる少女たちには、いつしかこの繊維で編んだ着物を纏わせるようになっていた。
妖狐は人に化け、眷属の体毛であるこの金色の繊維を、村人に売りさばいた。この繊維は魔性の輝きを持ち、見るものをたちまち魅了した。絶大な権力を得た妖狐は、旱魃が起こった時、飢えた村人たちを唆したのだ。雨乞いのため、若い娘を龍神に捧げろ、と。
恐らく妖狐には雨を降らす手段があったのだろう。やがて雨は降り、村人たちは喜んだ。しかし数十年後、再び村は旱魃に悩まされ、そして。
「また、生贄を捧げた…」
一体、何十人、何百人の少女が、犠牲になったのだろう。桜は、恐ろしくなった。
「そして、その少女たちのうち、特に惨たらしく死んだ者たちの怨念が集い、変質したもの。それが、四肢折り。生前同様四肢を折られた姿で現れるそれは、いつしかそう呼ばれるようになった。奴は力をつけると、望まれた通りの龍神になろうとした。神になろうとしたんだよ。そして、元は捧げられる側だった筈の四肢折りが、今度は生贄の女たちを貪り食った」
村人たちが望む神になろうとし、捧げられた生贄を貪る怪異。それが、獅子織村で崇められる、シシオリ様の正体であった。
「私が、襲われたのは?」
「シシオリ本体じゃない。村人の言う神仙様か、こいつに寄生されたものだろうね」
老婆は、足元で蠢く蛆を再び錫杖で突いた。それは赤ん坊のように不気味な声で喚くと、おいおいと泣いた。
「シシオリは、今から数百年前に私が封印した。しかし、奴は封印される前に村の少女に取り憑くと、そのまま村の外へ逃げ出したのだろう。奴は少女から少女へ、性行為を媒介に移動し、寄生体を増やした。寄生体は、シシオリの養分になる犠牲者を、この村に誘導しているのだろう。現に、ここ何十年の間に、蛆に寄生されこの村に連れてこられたと思しき多くの少女たちが、死亡または行方不明になっている。そして巡り巡って、貴女の前に寄生体が姿を現した」
「何故、今になって」
「さあ。それは、私にも分からない。私は暫く、ここから出ていないからねえ」
仄暗い洞窟の中で、蝋燭の炎が揺れる。淡い光が、老婆の薄いシルエットを壁に映し出していた。
「奴は、村中の人間を殺すだろう。何せ、自分を殺した連中の末裔だからね。そして、私にはもう、それを防ぐ術はない」
老婆は力なく、首を振るった。そして彼女は、細く弱々しい腕で錫杖を掲げると、蛆を刺殺した。人面の蛆は醜い断末魔をあげると、そのまま息絶えた。
「この杖を持って、お逃げ。すぐに、村から離れるんだ。奴らは、お前が、いやお前の中に流れる血が、憎くて憎くて堪らないだろう」
老婆の震える手から、錫杖が桜に差し出される。最初の力強い眼差しは何処へ行ってしまったのか、老婆が桜に向ける瞳は、徐々に光を失いつつあった。
「いいかい。佐藤という男を見つけるんだ。何、適当に妖魔を見つけて祓っていけば、向こうから貴女を見つけてくれる」
「私、妖魔なんて…」
見えない。そう言いかけた彼女に、老婆は笑いかける。
「見えるさ。貴女は、藍沢の巫女なんだから」
ぐいと押し付けられた錫杖を、桜は受け取った。老婆の骨と皮だけの腕が、血の気を失い土気色へと変わっていく。
「…分かりました。でも、お婆さんは…」
言いかけて、桜は我に返った。
老婆など、その洞窟には最初からいなかった。否、正しくは、巫女装束の木乃伊―即身仏が坐禅を組んだまま、干からびているだけである。
夢を見ていたのだろうか。白昼夢に、踊らされていたのだろうか。桜は一瞬だけそう思ったが、彼女の知覚はすぐさまその仮説を棄却した。
桜の手には、錫杖が握られていた。限りなく短くなった蝋燭の火は、細い煙を立ち上らせながら消えている。囲炉裏には火が入っており、水瓶の中には水が張られていた。そして、水瓶の傍には、例の趣味の悪い人面の蛆が、黒煙を吐きながら灰になっていた。
「…ありがとう、ございました」
桜は老婆の亡骸に手を合わせると、深く頭を下げた。丁重に弔うことすらできない、自身の未熟を恥じる。今の桜には、感謝の念を伝えることで精一杯であった。
老婆は死してなお、遠い末裔を救ったのだ。偉大な、そして慈愛に溢れた自身の先祖。老婆の在り方に、弟の姿を重ねる。自分は、血が薄いのかもしれない。しかし、自分は確かに、彼女の血を引いているのだ。
救ってみせる。手の届く範囲なら、全て。それが、老婆や菊への、恩返しになると信じよう。
「待っていてね、皆…!」
洞窟をあとにした桜の頭上には、太陽が煌々と照っていた。




