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19話 藍沢の巫女 <前編>

  桜は、蝋燭の灯りで目が覚めた。起き上がろうとした桜であったが、その前に体中が悲鳴を上げた。彼女は諦めて体を横に捻り、光の強い方へ頭を向けた。左腕については、手当がされているようだ。ずきりと痛む腕に、我ながら酷い処置をしたものだ、と桜は自嘲した。


  薄暗い洞窟の中、一人の老婆が座っていた。赤い袴の、典型的な巫女装束。手には長い錫杖が握られており、頭には柊の冠を戴いている。そして何より、神職に就いている者にしては凶暴的過ぎる双眸が、揺れる炎に照らされて爛々と光っていた。


  彼女は褪せた赤色で描かれた幾何学模様の前で坐禅を組んでおり、目を開いたまま硬直していた。


  ただ事ならぬ雰囲気に、桜は困ってしまった。今更気がついたが、どうやら両腕を縛られているらしい。ただ事では無い状況に、彼女は様子を伺うため、息を潜めることにした。


  いや、最初の寝返りで、全部ばれているでしょう。


  疲労のせいか、慎重派の彼女にしては初歩的な過ちであった。桜は観念すると、老婆に声をかけてみる。


 「あの」


 「黙れい」


  老婆の返事は、電光石火だった。自分に気がありそうな男子にメッセージを送った時より、返事が早い。桜はきゅっと口を噤むと、内心で笑ってしまった。


  なんとか、心に余裕ができた。流石に雨の中あのまま放置されていれば、命に関わっていたかもしれない。何はともあれ、桜は老婆に感謝することにした。


  互いに見つめ合ったまま、数分が経過した。微動だにしない老婆に対し、桜は傷だらけの体に異変を覚えていた。下腹部が、燃えるように熱い。辛いものを食べた、などとは比較にならない。それは外皮を直接火で炙られているような、耐え難い苦しみだった。


 「あ、あの」


  限界を迎え、桜が老婆に助けを求めた。老婆は音もなく立ち上がると、近くにあった水瓶から柄杓を取り出し、桜の口に水をかけた。


  繰り返し繰り返し。喉を潤すには、過剰なほど。老婆は桜の口に水を運んだ。


 「も、もういらないです」


 「飲め」


  老婆は桜の髪を掴み上げると、体を無理矢理起こさせた。そして、桜の口元に柄杓を強引に押し当てる。


  桜は溺れる寸前であった。とても、老婆の要求には応えられそうになかった。


 「飲め!」


  力任せに柄杓から水を飲まされて、桜はえずいた。これ以上は、命に関わる。桜は渾身の力で暴れたが、老婆の万力のような膂力で容易く抑え込まれた。そして、老婆は桜の頭を水瓶に沈めた。


 「飲め!飲みなさい!」


  桜は無様に口から泡を吐きながら、水瓶の水を飲んだ。


  この地獄は、一体いつまで続くのだろう。


  抵抗する気力もなくなり、桜は老婆にされるがまま、水瓶の水を飲んでいた。水飲み鳥のように無機質な一定間隔で、溺死寸前まで水を飲まされる。下腹部は徐々に熱くなり、更に熱源は上に登ってきていた。


 「おえっ」


  とうとう、桜の胃は決壊した。胃液と共に、朝食が溢れ出す。


  そのはずだった。


  桜の口から溢れ出てきたのは、計六匹の乳白色の蛆だった。それらは人の指ほどもあり、短い手足と人間に似た頭を備えていた。それらは桜の食道を引っ掻き回しながら外へ出ると、まるで産声を上げるかのように泣き出した。


 「はあっ、はあっ。おえぇっ…」


  桜はそれを見て、今度こそ胃の中身をその場に吐き出した。幸い、彼女の胃の中には、胃液しか残されていなかった。


 「…やはり、現れたか」


  老婆は一匹を残し、蛆を錫杖で潰した。蛆は悲痛な叫びを上げると、黒い煙を吹きながら死んだ。人面の怪物の気味の悪い最期に、桜は再び吐き気を催した。


 「大丈夫かい?」


  老婆は先程までの厳しい様子とは打って変わった柔和な表情で、桜の背中を摩ると、拘束を解いた。


 「辛かったろう辛かったろう。もう大丈夫だ。こっちにおいで」


  老婆に手を引かれて、桜は洞窟の奥へと案内された。そこは簡易的な生活空間になっており、天井から吊るされた鉄瓶は、囲炉裏の火にかけられていた。


 「疲れただろう。お茶を淹れてあげようね」


  そう言って老婆は、古い木の箱から茶葉を一つまみ急須に移すと、鉄瓶から熱いお湯を注ぎ入れた。彼女は無言のまま暫くそれを蒸らすと、欠けた湯呑みに茶を注ぎ入れた。


  桜は湯呑みを受け取り、口に含んだ。熱々の茶で手を火傷しかけたが、彼女は湯呑みを離そうとしなかった。手を離したら、全てが泡と消えてしまう。そんな予感がして、桜は指が赤くなるまで、湯呑みを握りしめた。


 「…ありがとうございます」


  揺れる灯りに照らされて、桜の影が歪む。剥き出しの岩陰を踊る、桜と老婆の奇怪なシルエット。それは、風に揺れる二本の樹のようであった。


  老婆は桜に微笑みかけると、自身の湯呑みにも熱々のお茶を注いだ。彼女は正座のまま、弱々しく肩を落とす。


 「いいんだよ。それにしても、良くない時に来てしまったね。私の遠い遠い、かわいい娘さん」


  老婆の言葉に桜は首を傾げたが、聡明な彼女はすぐに気がついた。老婆の纏う白装束の左右。そこには、藍沢家の桔梗が描かれていた。


 「うちの、家紋…」


 「ええ、そうさねえ」


 「何故、これがここに…?」


 「さあて、何故だと思う?」


  理由など、桜には推し量りようもない。彼女は東京都の出身であり、親族が山梨にいるなど聞いたこともなかった。それに、桜がこの村に訪れるのは今回が初めてであり、それこそ桜にとって獅子織村は縁もゆかりもない異郷の地であった。


 「藍沢家については、親御さんから聞いたかい?」


 「いえ…」


  老婆の問いかけに、桜は困惑したように首を振った。家紋が残っているのだから、歴史はあるのだろう。彼女も、家系が古いことは両親から聞き及んでいた。それでも、親族が多いわけではなく、地主というわけでもない。家系のことなど、彼女の両親どころか、祖父母ですら何も理解していなかった。


 「そうか、呪いは途切れたか。喜ぶべきか、悔やむべきか…」


  桜の反応に、老婆はやはり、といった風であった。彼女は憂いの帯びた瞳で桜を見つめると、淡々と言葉を紡いだ。


 「星のちから―古代巫術に通じる、三つ家系と二柱の女神。尤も、現在まで務めを果たしているのは、このうち一柱だけだろうが…。藍沢家はその中の一つ。五行のうち、木行を司る」


 「巫術―神降ろし、ですか…?藍沢の家が?」


  神降ろし。太古の昔、まだ神霊が世を統べていた頃。人々は『巫女』や『神官』を通じて、それら超自然的存在と交信を図ろうとしていた。桜の一族『藍沢』も、その一つ。


  左様、と老婆は首肯した。


 「ただし、降ろすのは神霊などではない。私たちの根源は、もっと高次の…宇宙を支配するものの力さね」


  現実味のない老婆の言葉に、桜は目が点になってしまった。ただ長い時を紡いだだけの家系かと思っていたが、まさかそんな秘密があったとは。当然のこと、桜は老婆の話を信じられそうになかった。


  しかし、桜は老婆の話が真実だと受け容れざるを得なかった。それは、次の瞬間、老婆が袴をたくし上げたことに起因する。


  『それ』を一目見た時に、桜の背筋が凍りついた。




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