17話 陸の孤島
由香里たちが宿に戻ったのは、月が空に登りきってからであった。彼女たちは疲労困憊で、今にも死にそうな体だった。何せ、獣道にすらならない茂みを、方角だけを頼りに抜けてきたのだ。軽装で山登りに挑んだのは、失敗と言う他ない。彼らは下山の間食事もできず、手持ちには雨を凌ぐ装備すらなかった。
宿に着くなり女将が血相を変えて飛び出して来て、由香里たちの無事を喜んでくれた。
「熊にでも襲われたらどうしようかと」
そう言った女将に、吉村が重々しい口調で事の経緯を説明した。話の途中で女将の顔はみるみる青くなり、彼女は涙ながらに懺悔した。
「私が、獅子織滝に行くことを勧めなければ…」
大袈裟に悲しんでみせた女将に、吉村は謝罪した。勿論、最終的に獅子織滝へ向かうことを決めたのは彼であり、女将には一切の責任はなかった。次に電話を借り、吉村は大学と連絡を取った。大学側の担当者は事態を重く受け止め、一旦は公表を控える旨を吉村に告げた。
「みんな、すまない」
吉村はそう言って、由香里たちに頭を下げた。誰も、彼を責めなかった。吉村が悪いのではない。そんなことは、誰にとっても明らかだった。
「…藍沢さん、どこに行っちゃったんだろ」
下着とズボンを履き替えた野本が、食事をしながらそう言った。彼の言葉に、高橋が低い声で返した。
「知らねえよ。今自警団が必死に探してる。すぐに見つかるさ」
彼はそう言って、川魚の天麩羅を口に運んだ。相変わらず脂の乗った白身は、胸焼けするような味がした。
吉村は、村に駐在する警察の対応に追われていた。木村の死体の捜索および、桜の確保。どちらにせよ、今晩は月明かりが心許なかった。桜に関しては、近所のレスキュー隊へ救助の要請が行われたが、山道から連鎖的に生じた土砂崩れの影響から、捜索は明後日以降になった。そして今は、村の自警団が数人、懐中電灯のか細い灯りを振り回しながら、降りしきる雨に打たれながらも村中を探し回っていた。
自警団がここまで躍起になるのは、桜のためだけではない。彼女以外にも、多数の行方不明者が出ていたのだ。行方不明者は、数十人に登った。彼ら、或いは彼女らは、それぞれ時間差で、まるで神隠しにでも会ったように姿を消していた。性別も年齢もまちまちで、姿を消した場所すら人によって違う有様であった。捜査は難航し、未だ一人も発見されていない。
「由香里、大丈夫か?」
隣に座る齋藤から、由香里はそう尋ねられた。由香里はか細い声で返事をすると、齋藤にもたれかかった。
齋藤と同じく、由香里にとって木村は入学当初からの知り合いだった。何事もなければ、このまま一生付き合っていくはずだった友人が、突然身罷ったのだ。
大丈夫と言えば、嘘になる。
「みんな、聞いてくれ」
今朝から少し頬がこけた吉村が、大部屋に入るなり、重々しく切り出した。彼は決心したように、言葉を続ける。
「さっき見た土砂崩れ、あるだろう?あれの影響で、トンネルが埋まってしまった。村を出たとしても、帰ることができない」
だから、と彼は続けた。
「帰るのは、明後日になる。それまでは、ここで待機だ」
吉村の言葉に、大部屋は重い空気に包まれた。本当は今すぐにでも逃げ出したいくらいであるのに、明後日までこの村に縛られなければならない。吉村は学生たちの心境を考えると、心臓が潰されるように痛んだ。
「…じゃ、祭りに出られるってことか!」
空元気なのは明白であるが、高橋がそう活気づきながら言った。野本や廣瀬は、一瞬困惑したような表情を浮かべて、齋藤たちの顔色を伺った。
「そうだ。由香里、祭りだよ。何食べよっか」
「そうだね、焼き鳥とか!」
「向こう着いたら、トリキ行こっか」
「いいね~!」
齋藤と高橋に続き、心做しか大部屋は明るい雰囲気に包まれた。
「…高橋くん、苦労をかけるね」
吉村にそう言われ、高橋は笑った。
「まあ、それほどでもありますかね!」
「高橋さんエグいて笑」
立ち直った学生たちを見て、吉村は安心した。
少なくとも、宿にいればこれ以上の事件にはならないだろう。自分の処分は仕方がないが、それよりも藍沢さんが心配だ。
吉村は、雨の降る窓の外を、沈鬱な面持ちで眺めていた。




