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14話 神仙さま <後編>

 「ひ、ひぃっ!」


  桜の目の前に、不自然に瘦せこけた少女が立っている。少女の首は、九十度以上曲がっており、また四肢は立っているのが不思議な方向にねじ曲がっていた。そして何より、彼女の顔は尋常の人間のものではなかった。生気のない目と口は顔に対して左右に開き、鼻は腐り落ちていた。


 漠然と―桜は理解した。このおぞましい死体が、村人たちの崇める『神仙様』なのだと。その根拠は、彼女の聡明な頭脳が立てた、ある仮説。『神仙(しんせん)』とは、神への供物である『神饌(しんせん)』のことであり、神饌とは―雨乞いの生贄として、神に捧げられた人々のことなのではないか、という仮説である。そして仮説を裏付けるように、亡霊として現れた目の前の少女は、獅子織の毛で編まれたとされる、金色の着物を羽織っている。まるで、貴金属のメタファーのような、その下品な着物を。


 「や、やだ!やだあ!」


  桜はうつ伏せになり、半狂乱になりながら地面を這った。


  桜の額に、冷たいものが当たる。恐る恐る顔を上げると、そこには一人目と似た顔をした別の少女が、縦に割れた口でにやにやと笑っていた。


  鼻先に濃厚な『死』と腐肉の臭いを突きつけられ、桜は地面に胃の中身を戻してしまった。吐瀉物の、酸い臭い。しかし、それすら容易に覆い隠すほどの、死の臭気。桜は理解した。この少女たちこそ、獅子織滝に充満していた死臭の元なのだと。


 「贄」


 「贄」


 「贄」


  桜の周りに、同じ金色の着物を羽織った少女たちが群がってくる。ある者はよたよたと折れた足を引きずって、ある者は曲がった腕で這いずりながら。辛うじて髪が残っている個体もいれば、頭皮が腐り落ちてしまっている個体もいた。それらは全身に蛆が湧いており、お零れに預かろうとする蝿たちの耳障りな羽音を伴っていた。


 「藍沢」


  その中に、木村も混ざっていた。彼女はいつの間に、金色の着物を羽織っている。彼女は死んだ時の姿そのままで、まだ体温の残る赤色に濡れていた。眼球に蝿が止まっても、彼女は微動だにしない。操り人形のように、彼女たちは一定の周期で呼吸をしていた。


  藍沢、と木村が発した瞬間に、着物の少女たちは一斉に、濁った目を血走らせた。彼女たちは狂気に包まれると、日本語にない言葉を繰り返し叫んだ。意味こそ理解し得ないが、少女たちの呪歌からは剥き出しの憎悪と激しい憤怒が伝わってくる。


 「イウジヰ」


  取り分け腐乱が激しい、禿げた頭に瞳孔のない白目の少女が、桜の肩を掴む。噎せ返るような臭気に鼻をやられ、桜は硬直した。


 「イウ、ジヰ」


  そして。少女はそのまま、桜の肩に歯を立てた。彼女を嚆矢として、他の少女も桜に向けて殺到する。


 「ひ、嫌、嫌、嫌ぁ!」


  少女の歯が、腐り落ちた歯茎ごと肩に突き刺さる。激痛と共に、桜は遺伝子に組み込まれた、被食者としての恐怖を思い出した。まるで、蟻が蝶に群がるように。少女たちは桜の体を千切り、舐り、引き裂こうとした。


  彼女は少女たちを払い除け、その場から惨めに逃げ出そうとする。四つん這いになりながら、懸命に足掻く。しかし、如何せん少女の数が多すぎた。


  何人もの少女に組み伏せられ、腐った歯茎で噛みつかれる。骨と皮だけのねじ曲がった腕で叩かれ、打ち据えられる。泣き叫ぼうが許しを乞おうが、少女たちが喜悦のカタルシスを収める素振りはない。桜が生まれて初めて体験する、原初の暴力。数にものを言わせた陵辱から、桜は逃れることが叶わなかった。


 「やだあ、助けて!誰かあ!」


  ここは山中。桜の声に、応えるものなどいようもない。


  視界を埋め尽くす狂気の宴。白く濁った目を血走らせ、欠番だらけの歯を喜悦の涎に濡らした死が、押し寄せてくる。


  悪夢のような状況に、桜の意識は現実からの逃避を開始した。


  彼女は、最愛の弟の幸せな夢を見ていた。生まれつき体が弱く、家族の寵愛を一心に受けていた弟。誰よりも心優しく、誰よりも慈愛に満ちた彼の笑顔が、桜は大好きだった。


  桜がまだ幼かった日の記憶。お姉ちゃんだから我慢なさい、と菓子を買って貰えなかった桜。


 「菊は買って貰ったのに!」


  菊は生まれつき、医者から先が短いと宣告されていた。そして、両親は虚弱な菊に、少しでも豊かな人生を送らせてあげたいと考えていた。それ故に、二つ上の姉よりも、菊のことを優先する節があったのだ。


  泣いて喚いて疲れ果てて、彼女は結局、弟の菓子をこっそりと盗んで食べた。今でこそ浅ましく卑しい行為と桜も思っているが、当時の桜からすれば、それは当然の行為であり、権利だった。菊の菓子をくすねたことは、すぐに菊に露見してしまったが、彼は優しく微笑んで、桜に他の菓子も譲ってくれた。


 「ごめんね、姉さん。ボクの体が弱いばかりに、父さんと母さんを独り占めにしてしまう。姉さんばかりに、寂しい思いをさせてしまうね」


  菊は、桜より遥かに大人びていた。幼いときには考えもしなかったが、両親が菊に与えるものより多くのものを、桜は菊から受け取っていた。歳を重ね、いつしか桜も、菊への嫉妬心を失った。桜も、心から菊に永く生きて欲しいと願ったのだ。


 「…ねない」


  そんな菊には、もう自分しか残されていない。


  結局は菊を見限った両親のことを、無責任だとは思わない。寧ろ、今日までよく、菊と向き合ってくれたと感謝している。


  桜は、渾身の力で少女を蹴り飛ばした。金色の着物を纏った少女たちは、突然暴れだした獲物(さくら)に怯んだ。


 「死ねない!」


  菊を助けるために。大好きな弟に、再び元気になってもらうために。桜は、闘うことを決意した。


  彼女はそのまま、少女たちを殴り飛ばした。元々、力の入りようもない、折れて萎びた四肢で抑えられていただけである。幾ら噛み付かれたと言っても、凶器である歯を把持する歯茎が腐り落ちていたのでは、深い傷にはなり得ない。五体満足の桜にとって、少女たちは大した敵ではなかった。


  今の藍沢桜にとって必要なのは、原動力だけであった。恐怖に克ち、心を燃やせるだけの、覚悟が求められていた。


 「どきなさい!死にたいなら、勝手に死ね!」


  桜は追い縋ってきた木村に蹴りを入れると、後続の少女たちごと山道から叩き落とした。


  残された少女たちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていく。その後ろ姿を見て、桜は大きく息を吐き出した。


  これは、夢ではない。桜は、拳を握りしめた。あれが何だったのか、やはり非科学的な怪異は実在していたのか―今、そんなことはどうでもいい。


  逃げ回っていても、埒が明かない。桜は、吉村たちと合流することにした。仮に殺人犯と疑われたとして、冷静に考えれば自分の細腕で木村の首を頚椎ごとへし折れる筈もない。加えて、木村の手の甲や爪には、彼女自身の細胞組織<にくのかたまり>がぎっしりと詰まっているのに対して、自分の爪の間には木村と自身の血液しか入っていない。それなら、手の甲の傷も木村の自傷行為であると言い訳がつくかもしれない。


  疑われるのは仕方がない。しかし、警察も警察で、自分を犯人だと決定できるだけの物的証拠を集められない。


  状況は、五分。桜は、現実と向き合うため、獅子織滝に戻ることを決意した。


  その刹那―桜の両方の足から、力が消える。


 「え?」


  桜は困惑した。決意を固めたのは、数秒前。疲労もそこまで感じていない。桜は、自らの足元に目をやった。


  両足は、土の上に立ったままである。喪失したのは両足の力ではなく、大地そのものだった。


  桜が土砂崩れの発生を察知したときには、もう遅かった。浮遊感も束の間、桜は少女たちが転落した崖下に、地面ごと吸い込まれていった。




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