11話 獅子織滝
翌朝。吉村以下一行は、獅子織滝へ向けて出発した。天気は快晴、気温は夏日。一つの雲もない、どこかノスタルジックな田舎の夏。
「ひーっ!死ぬ!死ぬ!山で死ぬこと、屍山血河!」
「高橋さんエグいて笑」
山道は険しさを増し、高橋のテンションも最高潮であった。
険しいと言っても装備が必要な程ではなく、一行は軽装のまま獅子織滝を目指していた。少々蝿が多いことにさえ目を瞑れば、快適な道程であった。
先頭は由香里と齋藤、そして木村。その後を吉村や野本、高橋らが続き、最後尾は桜であった。当然、昨晩のことを踏まえて、吉村が女性陣の無闇な接触を禁止した結果である。
あの後、こうなったのは自分の責任として、吉村は自腹で急遽もう一部屋を借りることにした。旅館側としては部屋で流血沙汰のキャットファイトを行われるよりはマシであり、女将も快く応じた。桜はその追加部屋に隔離され、少なくともこの旅行中は木村と接触しないように要請された。木村も同様に、桜との接触を禁じられた。食事は桜のみ自室で、入浴時間等は無用な接触をさけるため吉村が管理することにした。責任を感じているのか、桜は不平を述べることなく、吉村の措置を受け入れた。
海咲らは既にチェックアウトしており、桜は完全に孤立してしまったが、吉村としてはこの措置を間違っているとは思わなかった。どちらかと言えば辛抱強いのは桜の方だと理解しているし、そもそも藍沢桜は孤独を愛する人種であることを知っているからである。彼はゼミの面接時、桜が親しい友人について触れられた時、困ったように笑ってから、仮定の話を始めたことを鮮明に覚えていた。
彼は歩みを止めて振り向いた。
「藍沢さん、大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です」
「すまないね、君にばかり不便を強いてしまって」
「いいんです。分かってますから」
桜の笑顔を見て、吉村は再び歩き始めた。今年は彼女のお陰でスムーズに進むと思ったのだが、と吉村は溜め息をついた。そんな彼の目には、桜がいつもの調子を取り戻したかのように見えていた。
「先生!見えてきましたよ!」
齋藤がそう言って、前方を指さした。彼らの前に、小さくも力強い、獅子織滝が姿を現す。
「マイナスイオンやば」
「浴びとこ浴びとこ」
由香里と木村は、滝壺の方へ駆けていった。滝壺の周りは池のように広がっており、そこから下流へと澄んだ水が流れていた。
由香里は、ぐーっと伸びをすると、齋藤の手を引いて池に近づいた。
「ほら、めっちゃ水綺麗」
「やば」
由香里と齋藤は獅子織滝をバックに、写真を撮った。写真には滝と彼女たちと、そして無数の白い点が写っていた。
「わ、これオーブじゃね?」
「マジ?屋久島とかで見れるヤツっしょ?ご利益ありそう」
二人はそう言って笑い合うと、滝に向かって拝んでみた。
「お、アツいね~お二人さん」
木村にからかわれて、由香里は少し赤くなった。
正直、由香里は齋藤に対して、運命的なものを感じていた。これまでに何回もパートナーを変え、行為だけであればそれ以上を捌いた由香里であるが、齋藤だけは、特別だった。
「幸樹、好き」
「俺も」
人目をはばからず、二人は寧ろ見せつけるようにキスをした。その姿を見て、木村はにやにやと笑い、野本は恥ずかしそうに赤面した。
「熱いね~!熱盛!」
「ちょっ、高橋さんエグいて笑」
由香里たちの後ろで騒いでいた高橋たちであったが、男子学生の一人である廣瀬が、滝の上に行く道を見つけたようで、大きな声で叫んでいた。
「滝の上に行けるんだって!行ってみよ」
「いいね」
由香里と齋藤は手を繋ぎながら、殆ど獣道の通路を進んでいく。
「何?」
由香里は、こつんと何かに蹴躓いた。それは、風化した石であった。強いて特徴を挙げるなら、形は三角に近く、石の周りには何らかの繊維が散乱していた。
「ほい」
齋藤はその石を蹴飛ばすと、由香里の手を引いた。
「何でもないよ」
齋藤の横顔があまりにも魅力的で、由香里は自分が躓いたことすらもすぐに忘れてしまった。
その後、由香里の袖に木の棘が引っかかってしまうなどのアクシデントがあったが、由香里たちは滝の上に出ることが出来た。
「いい眺め~!」
由香里と齋藤は断崖のすぐ手前まで歩いていった。獅子織滝から望む光景はとても雄大で、ここまで来た疲れを忘れさせる。
「写真、撮ろ~」
齋藤に後ろから手を回されて、由香里は頬を紅潮させた。彼女はスマートフォンを取り出すと、写真を撮影した。
「こら、あまり崖に近づくと、危ないですよ」
「はーい」
吉村に注意され、二人は崖から離れた。由香里は撮れた写真を確認しようと、スマートフォンを覗き込む。
「何これ?」
撮影した写真は、真っ白であった。
否、目を凝らせば、薄らと由香里たちの輪郭を確認出来る。
「…これ、まさか…」
由香里は、背筋が凍った。この白い粒は、全てオーブであった。仮にオーブではなく、羽虫が太陽光を反射しただけだとしても―由香里と齋藤が戦慄するには十分すぎるほど、異常な数である。
「消そ、これ、やだ」
由香里は写真を削除しようとする。しかし、幾らゴミ箱のアイコンをタップしても、写真が消えることはない。電源ボタンを長押しするが、画面は凍りついたままであった。
「何で、嫌、怖い」
「どうしました?」
由香里たちの様子がおかしいことに気が付き、吉村が彼女たちに歩み寄る。
その背後で、廣瀬が大声を上げる。
一同の視線が、廣瀬に集まる。廣瀬が震える指で示していたのは、骨の塊。何らかの動物の、白骨死体である。
これに関しては、一同はあまり狼狽しなかった。何故なら、ここは山間部。動物の死体くらい、ない方が不自然だ。
「脅かすなよ廣瀬」
齋藤が呆れたように苦笑し、廣瀬の元へと向かった。同時に、齋藤も硬直する。
「…齋藤くん?」
「ゆ、幸樹…?」
変化が分かるほどには明確に、齋藤の顔が青くなる。その様子を見て、吉村はただ事ならぬ気配を感じ取った。彼は齋藤の元へと駆け寄ると、絶句した。数秒おいて、彼はようやくその重い口を開いた。
「猿、です。この辺りには猿が多い。傷ついた猿が水辺で死んでいるのは、よくある光景です」
それは、ある種の祈りに近かった。彼は自分自身にそう言い聞かせながら、齋藤と廣瀬をその場から遠ざけようとした。
「ほら、足の骨が折れているでしょう?腕の骨もだ。きっと、木から落ちたのだろう。ね?」
吉村の言葉を、廣瀬は信じなかった。
「でも、でも、先生」
廣瀬とて、二十数年生きた大人である。彼は、ヒトと野生の猿の違いくらい、月とスッポンの差異を言い表すより容易く説明できた。
「あの死体も、あの死体も。みんな、みんな…着物を着ていますよ…?」
どの白骨も、みな金色の襤褸を纏っていた。それは、由香里たちが古民家で見たものと、酷似しているように見えた。
結婚を控えた婦女子に着物を贈る風習、生贄、『野犬注意』の看板、外界から隔絶された集落、雨乞い、景色とは不釣り合いな宿舎、瀉血、カルト、祭り―神仙―神饌―未知の、信仰。
様々なキーワードが、彼らの脳内を駆け巡った。数秒の間隙の後。最初に決壊したのは、齋藤と廣瀬の二人だった。彼らは半狂乱になり、頭を抱えて蹲る。恐怖は伝染する。吉村は後退り、石の上に尻もちを着いた。
由香里も、齋藤たちのように蹲った。しかし、それは恐怖によるものではない。彼女だけが、この場所において、恐怖という帳の下にはない。少女が立ちくらみを覚えた、その理由。それは、知らない人間の慟哭が、遺骸から波動のように押し寄せてきたからである。
「…っ、ぐ、うぅ…」
頭が、割れるように痛い。記憶の彼方で明滅するのは、金色の着物。禊。滝は干からびて。獣の群れ、烏、蛆。祈祷の声がする。
長い髪の女が、こちらを睨んでいる。知らない女だったが、その顔には、既視感があった。
「贄、贄…だ」
うわ言のように、由香里は呟いた。
このままでは、集団ヒステリーを起こしかねない。いや、既に手遅れかもしれないが。吉村は飛び起きると、慌てて四人を宥めた。
「大丈夫、大丈夫です、四人とも!落ち着いて!これは、事件です!霊的なものでは絶対無い!下山して、警察に…っ」
「先、生…」
吉村は、反射的に身構えた。
声の方には、野本が幽鬼のように生気のない顔で立っていた。失禁してしまったのだろう、彼はジーンズに大きな染みを作ってしまっていた。
「藍沢さんと高橋さんと、木村さんが、いません…」
吉村は、この滝に来てしまったことを、今になって後悔した。




